カフカへの解釈
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 14:20 UTC 版)
カフカの作品は前述したシュルレアリスムや実存主義のほかにも、宗教学や精神分析学、社会主義やマルキシズム、ポストモダニズムなど様々な立場から極めて多面的な解釈が行われている。それぞれの立場からの代表的な解釈・作家論を以下に挙げる。 宗教的・神学的解釈:カフカに対して初期に宗教的解釈を行っているのはマックス・ブロート、ヴィリー・ハースらである。ブロートはカフカの生前に発表したカフカ論「カフカについて」(1921年)ですでに作品のユダヤ的特性を強調しているが、のちにはカフカをユダヤ教と強く結びつけ、『審判』と『城』にはカバラにおける神性の2つの現象形式である審判と恩寵がそれぞれ描かれていると見なした(『城』あとがき)。ブロートはこのような自身の解釈に従ってカフカの遺稿を整理し編集しており、このことが後の研究で批判・再検討の対象となった。ブロートとともにカフカ全集の編集にも携わったヴィリー・ハースは『カフカ論』(1930年)において、ブロートの解釈を踏まえつつ、カフカが先史的な世界を現代に見出す能力や、機械のように精密な夢の世界を作り出す能力を持つ点を指摘した。 精神分析的解釈:精神分析的解釈の代表的なものはヘルムート・カイザーの『フランツ・カフカの地獄』(1931年)であり、カイザーはここで『変身』や「流刑地にて」などの作品を、父に対する息子のエディプス・コンプレックスが表れた作品として論じている。新フロイト派のエーリヒ・フロムは『夢の精神分析』(1951年)で『審判』を取り上げ、この作品を心理的事実が表れた一つの夢として読むべきだとした。また精神分析の発想を応用しているものとしてジョルジュ・バタイユのカフカ論(『文学と悪』所収、1957年)があり、ここではジークムント・フロイトの快感原則の理論などを踏まえつつ、父親の権威が支配する世界に対して小児的な幸福を追求した者としてカフカを論じている。 社会的・歴史的解釈:ヴァルター・ベンヤミンらは上記のような宗教的解釈や精神分析的解釈を拒み、社会学的・歴史的解釈を行っている。ベンヤミンはそのカフカ論(1937年)において、『審判』や『城』で描かれている権力の領域が、太古における「父祖たちの世界」に通じるものとして論じつつ、カフカの中心には共同体における労働と生活に関する問題があると論じた。またベンヤミンと親しいテオドール・アドルノは『カフカ覚え書』(1953年)において後期資本主義に対する批判としてカフカを捉え、その作品が社会からの強制による個性の喪失や道徳的腐敗といった、ブルジョワ社会に潜む否定的真実を抜き出しているものとして論じている。一方マルキシズムの理論家であるゲオルク・ルカーチは『誤解されたリアリズムに抗して』(1958年)などにおいて、カフカの作品がその悲観的な世界観によってプロレタリア階級への加担の道を閉ざし、資本主義社会における人間の疎外状況を固定化しているとして批判した。ヴィルヘルム・エムリヒの『カフカ論』(1958年)も、ベンヤミンやアドルノを踏まえつつ、カフカの作品を現代の労働世界の疎外状況を比喩的に描いたものとして論じたが、アドルノやルカーチとは違い、その作品が認識の獲得による自由を目指したポジティブな性質を持つものと見なした。 作品内在的解釈:このような多くの立場からのカフカ解釈に対し、モーリス・ブランショは『カフカ論』などにおいてよりカフカの作品に密着した批評を行い、カフカの批評史に一線を画した。ブランショはカフカがその生涯に渡って、つねに自分を作家として意識していたことを強調し、カフカをめぐって「書くこと」の意味を追究した。「書くこと」をカフカの根本的なモチーフを取り上げたブランショに対して、マルト・ロベールはむしろ「書き方」に着目し、『カフカ』(1960年)、『古きものと新しきもの』(1963年)などにおいて、カフカが論文やエッセーではなくほかならぬ小説という形式において思考したことを強調した。またフリードリヒ・バイスナーは『物語作家フランツ・カフカ』(1952年)において、カフカの作品中の「単一の視線」、すなわち三人称形式においても語りの視線が主人公に密着し、常に主人公の視点と考えを通じてのみ叙述されていることを指摘し、ドイツのカフカ研究に強い影響を与えた。 伝記的解釈:上記のような作品・テクストに密着した解釈に対して、ハルムート・ビンダーはカフカの作品を伝記的要素、現代史的要素、文学史的要素を踏まえて解釈する必要があるとし、『新しく見たカフカ』(1976年)ではカフカの生活史をもとにして『城』に対する詳細な研究を行った。ビンダーはこのような観点から実証的、文献学的研究を精力的に行っており、後述するようにカフカの伝記的研究に大きく貢献している。このほか伝記的解釈の例としてはエリアス・カネッティの『もう一つの審判―カフカの「フェリーツェへの手紙」』(1969年)があり、カネッティは『審判』にカフカの生活上の困難が反映されていると考え、カフカがフェリーツェ・バウアーに宛てた膨大な手紙を検証しつつ『審判』を論じている。 ポストモダニズムによる解釈:1970年前後より隆盛したポストモダン哲学においてもカフカは頻繁に取り上げられており、その代表的なものとしてジル・ドゥルーズの『カフカ―マイナー文学のために』(1975年、フェリックス・ガタリとの共著)がある。ドゥルーズはラカンの精神分析学などを踏まえつつ、カフカの文学を「マイナー文学」と規定し、「根茎」「脱領域」といった、『アンチ・オイディプス』においてプログラム化した独自の概念のもとに論じている。このほかのポストモダニストの著作としてジャック・デリダ『カフカ論 「掟の門前」について』、フェリックス・ガタリ『カフカの夢分析』などがある。
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