カフカースに残ったアラン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/23 16:56 UTC 版)
「アラン人」の記事における「カフカースに残ったアラン」の解説
フンとともにヨーロッパへ移住したアランとは別に北カフカースに残ったアランもいた。クバン川とテレク川の河間地帯や山中へと移動した。6~7世紀には北カフカースに本拠を置き、しばしばサーサーン朝の同盟者としてその名がみえる。7~8世紀にはテュルク系のハザールやブルガールと戦火を交え、その後もカフカース山中に残存した。8~9世紀に封建関係の萌芽が生まれ、10~12世紀には国家の形態をとるまでになった。10世紀にキリスト教が受容されたが、それは支配階級にとどまり、一般民衆の間には古来の多神教的な要素が根強く残ったという。オセット人やカバルダ人など今日のカフカース諸民族は自らの民族形成にアランが果たした役割を強調しており、とくに北オセチアは国名に「アラニヤ(Алания)」という語を付している。
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