インド大反乱の始まり
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「エンフィールド銃」の記事における「インド大反乱の始まり」の解説
インド大反乱の発生のきっかけとなったのは、エンフィールド弾薬包の、ファウリング防止用のグリースであった。1857年の初め、東インド会社はエンフィールド銃を、ベンガル、マドラス、ボンベイに配備していた。セポイ達が初めてエンフィールド弾薬包の存在を確認したのは、ベンガル、カルカッタ郊外にあるダムダム工廠(英:Dum Dum Arsenal)の近くに設立されたマスケトリー学校(英:Small Arms School Corps)に入学した時で、彼らは確認したと同時に、弾薬包の下部が、グリース漬けにされている事も初めて知ったと考えられる。 1857年1月22日には、マスケトリー学校(英:Small Arms School Corps)付属の第70先住民歩兵連隊(英:The 70th Native Infantry)のセポイ達が、弾薬包のグリースについて不快感を感じている事が報告された。これは、弾薬包のグリースが牛脂や豚脂で出来ているという噂が流れた事が原因であった。豚を穢れた動物としてタブーとしているイスラム教や、牛を神聖な動物としてタブーとしているヒンドゥー教に入っているセポイ達は、その様な噂にとても惑わされ、不安を感じていた。 そして、それらの噂の例として、インドのカースト制度において、高い階級に属している第二グレナディア先住民歩兵連隊(英:2nd Grenadier Native Infantry)の一人の兵士と、低い階級に属している男との会話の記述が存在していた。兵士は、料理をする為に、水入れを運んでおり、駐屯地へと戻っている途中だった。低階級の男は、兵士に水を求めたが、兵士は、自分より低い階級に属する人間に水を与えれば、自分は宗教上、穢れてしまうので、拒否した。それに対し、男が笑ってこう返答した事が、以下の通りに書かれていた。 「貴方はもうすぐ穢れてしまうだろう。何故なら、牛や豚の油が付いた弾薬包を噛まなくてはならなくなるからだ。」 1857年1月22日の報告の後、すぐさま兵士達は招集され、隊列を組ませられた。そして、何かしらの異議がある兵士は、隊列から一歩出るように指示された。その結果、全てのセポイの士官を含めたその隊列の内の3分の2の兵士たちが、列から一歩出た。彼らは、弾薬包のグリースを構成している物質の一つである獣脂について異議を申し立て、弾薬包のグリースを、蜜蝋とオイルで構成するべきだと提案した。 1月23日にはセポイ達が潤滑剤を自分で作れるようにする事が政府へと要請された。1857年1月23日から29日までの間には、この報告がインド政府の秘書へと届いた。そして、1857年1月27日には、グリース抜きの弾薬包をセポイ達に支給し、個人で自由に潤滑剤を塗る事を指示する様に政府が陸軍の副将軍に要請した。 しかし、1857年1月29日には、弾薬包のグリースは何も変わっておらず、大きな変更が起こってはいなかった。そして、結局、グリース抜きの弾薬包はセポイ達に支給されなかった。これは文化的無視と、非常に近視的な考え方から、通常のグリースでも問題はないと考えられてしまった事が原因にあったが、その様なミスはすぐに訂正され、セポイ達は個人で自由に潤滑剤を塗る事が即座に提案された。しかしまだ問題は解決されておらず、より深刻になっていった。 セポイを含めたインド人全員を強制的にキリスト教へと入信させる計画があるという噂や、セポイ達をわざと宗教的に穢れせるために、グリースを塗った弾薬包をセポイ達にに支給しようとしているという噂、弾薬包を噛まなくたとしても、弾薬包を扱ったり、(装填時に)噛んだりした事が知られている連隊に入隊しただけでも、宗教的に穢れてしまう噂など、インド国内では様々な噂が飛び交っていた。これらの噂のせいで、例えグリース抜きの弾薬包を支給されたとしても、牛脂や豚脂で汚染された弾薬包を扱ったと批判され、社会的に追放される可能性があるため、セポイ達は恐怖心で触ることすらできなかった。 1857年の1月と2月、グリース抜きの弾薬包はまだ支給されておらず、ダムダム工廠(英:Dum Dum Arsenal)で製造されていた弾薬包のグリースが、羊脂と蜜蝋で構成されていた事からセポイ達を納得させようとしたが、セポイ達全員がそれを信じるとは限らなかった。そのため、インドへの弾薬包の輸入を停止する様に英国本土へと伝えられた。そして、インドへと既に輸入されてしまった弾薬包は、連隊に支給されないようにする必要がある事も伝えられた。 しかし、それでも噂が止まることはなく、カースト制度で高い階級に属している第二擲弾先住民歩兵連隊の一人の兵士と、低い階級に属している男の会話についての噂が手に負えなくなるほど広がっていった。 そして、弾薬包紙には豚脂や牛脂などが染み込んでいるという新たな噂も流れ始めた。エンフィールド銃の弾薬包紙は、100%布からできた滑らかな表紙であるため、この噂も当然嘘であったが、1857年2月4日、グリース抜きの弾薬包を支給されたセポイ達は、グリース抜きの弾薬包の弾薬包紙がそれまでの古い弾薬包のそれと違っていることに気づき、弾薬包紙に何かが入っているのだと考えた。 イギリスからインドへと輸入されていた弾薬包紙には、サイジング剤と、ロジンが含まれていた。これらの成分は、弾薬包が湿ってしまうのを防ぐ役目があったが、それ以前までインドで製造されていた弾薬包紙とは、感触や、防水性の高さが違っており、なにより紙を燃やした時の匂いが違っていて、グリースが入っているような臭いがした事から、セポイ達は、弾薬包紙がグリースに浸されていると考えた。これがセポイ達のエンフィールド弾薬包に対する不審感をより一層増大させた。 1857年2月6日、弾薬包のどの部分が、宗教的に問題があるのかを探るために、9人のセポイの士官は、軍人予備裁判所へと行く様に指示された。以下の文は、軍人予備裁判所での質疑応答の記録の一部である。この記録では、 根も歯もない様々な噂が、いかにセポイ達のエンフィールド弾薬包への不審感を増大させたかを示している。 Q、貴官は、弾薬包の使用についての何かしらの異議がありますか? A、私は、弾薬包紙に対して、異議があります。レポートでは、弾薬包紙にグリースが染み込んでいると書かれているからです。 Q、貴官は、弾薬包紙にグリースが染み込んでいる事を証明できますか? A、この弾薬包(グリース抜きの弾薬包)の紙は、通常の弾薬包のそれと違うため、中にグリースが入っていると確信しております。 Q、貴官は、弾薬包の使用についての何かしらの異議がありますか? A、私は、弾薬包紙を不審に思います。何故ならば、レポートでは、弾薬包紙にグリースが染み込んでいると書かれているからです。 Q、貴官は、弾薬包紙に対する不審感を無くすことができますか? A、できません。 Q、もし、弾薬包紙にグリースが染み込んでいないとして、貴官はこの弾薬包を噛みちぎる事が出来ますか? A、出来ません。私がその様な行為をすれば、他のセポイ達がその行為に対して異議を申し立てるからです。 そしてこの様な噂は、一度定着して仕舞えば、どの様な方法を用いても解決することはできなかった。 1857年2月11日、カルカッタの医科大学にいる博士はグリース抜き弾薬包紙を顕微鏡的かつ化学的に観察し、紙が製造中または製造後以降に、グリースが塗られたり、油性の物質などで処理されていない事が証明された。しかしそれでも問題は解決されることはなく、1857年3月上旬、ダムダム工廠近くのマスケトリー学校(英:Small Arms School Corps)のセポイ達は、弾薬包を口で噛み千切って装填するのを拒否した事が報告された。 そのため、「手で弾薬包を破って装填する」方法が全連隊に採用された。しかし、それでもセポイ達は根も歯もない噂のせいで、弾薬包を触ることすらできなかったため、この様な対策も全く意味がなかった。 1857年3月、4月頃には、セポイ達が、訓練での旧式滑腔銃の空砲弾薬包の使用を拒否した。殆どのセポイ達は、弾薬包にグリースなどが漬けられていない事を知っていたが、他のセポイ達からの同調圧力によって、弾薬包を使用できなかった事が使用の拒否の原因にある。 この様に、エンフィールド弾薬包に対するセポイ達の不審感はより増加していき、1857年3月の終わり頃には、第34ベンガル先住民歩兵連隊 (英:Bengal Native Infantry)に所属するセポイであるマンガル・パンディが、アヘンと大麻で興奮状態にいる際に、メーラトで複数の白人下士官を攻撃した。この彼の行動が、インド大反乱の始まりであった。この様な反乱行動は他の連隊にも拡散し、ついには、1857年5月、インド人の兵士達がメーラトでイギリス軍に対し、反乱を起こした。1857年の春と夏頃には、多くのイギリスの部隊がインドへと急遽送られた。 反乱は、他のインド人の兵士達にも拡散し、それらの反乱勢力は、デリーやその他の都市、そしてインドの中北部を捕獲した。反乱勢力は、ムスリムか、ヒンドゥー教徒のセポイであり、彼らが協力し合った事で、反乱はより規模が拡大していき、独立のようなものへと変わろうとしていた。その結果、インド大反乱は、非常に激しい戦いとなり、インド人やイギリス人の民間人が多く死傷する事となった。
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