インド大衆連盟・ジャナタ党・インド人民党の創設
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1951年にインド大衆連盟を創設。1968年から1973年まで総裁を務めた。また、1957年には第2回総選挙でローク・サバー(下院)議員に選出されている。その後も1967年、1971年、1977年、1980年、1991年、1996年、1998年、1999年、2004年に選出され、計10期下院議員を務めた。また、1962年と1986年にはラージヤ・サバー(上院)議員にも選ばれている。 1977年、インディラ・ガンディーの強権政治に対する反発から、インド国民会議の反インディラ派などとともにジャナタ党を創設。同年の選挙では国民会議を破って第一党となり政権を獲得した。ヴァージペーイーは1977年から1979年までジャナタ党政権で外相を務めた。外相としては、対立が続いていた中華人民共和国やパキスタンへの訪問を実現した。同時に、印ソ政府間貿易経済・科学技術協力委員会の共同議長も務めた。 ジャナタ党政権が党の分裂により崩壊すると、1980年にインド人民党を創設する。ヴァージペーイーは初代総裁に就任した。その後インド人民党は1984年の総選挙では2議席のみの獲得だったものの、1989年の選挙では85議席を獲得し躍進を遂げる。ヴァージペーイーは躍進する党の中で指導的立場を維持し、1993年7月から下院の野党院内総務を務めた。
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