インド太平洋海域
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/09 02:50 UTC 版)
「港市国家」も参照 初の遠洋航行船を製作したオーストロネシア人らは、インド洋最初の海上貿易ネットワークを開拓した。彼らは早くも紀元前15世紀ごろに、南インドやセイロン島との交易路を築いてインドや中国の有形文化を結ぶとともに、それら(双胴船やアウトリガーカヌー、キンマ)や栽培起源種(英語版)(ココヤシやバナナ、香木、サトウキビ)における貿易の先駆けとなった。特にインドネシア諸族は、東アフリカとの間で香辛料(主にシナモンやシナニッケイ)を扱った交易をしており、双胴船やインド洋の偏西風を利用して航海していた。この貿易ネットワークはアフリカやアラビア半島にまで拡大し、1千年紀前半までのオーストロネシア人はマダガスカル島を植民地化するに至った。それは有史時代へと続き、後に海のシルクロードとなった。 インド太平洋における最初のタラソクラシーは、オーストロネシア人の航海術発達を利用した、マラッカ海峡を通る扶南国・古代インド間の交易路の繁栄によるエンポリウムの台頭を通じて、2世紀ごろに出現し始めた。多数の沿岸都市国家が出現し、河口付近またはその周辺に設けられた交易港を中心に、海上貿易のための内陸由来の産品に容易にアクセスできるようになった。これらの都市国家は、東南アジア内外の他の貿易センターとともに商業ネットワークを確立した。インドの社会構造や宗教を取り入れて内外に権力を確立することにより、その支配者らもまた徐々にインド化していった。 シュリーヴィジャヤの海上帝国は、近隣のタラソクラシーへの遠征や征服を通じて7世紀に成立し、メラユ王国(英語版)やタルマヌガラ王国、古マタラム王国など多くの国々を内包していた。シュリーヴィジャヤは東南アジアの航路を支配し、モルッカ諸島の香辛料貿易や中印間の海上貿易ルートを開拓した。しかし、1275年ごろにシンガサリ王国の侵攻を受け、最終的に後継国家となったマジャパヒト王国のタラソクラシーに吸収された。
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