インド大三角測量とパンディット
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/03 05:52 UTC 版)
「パンディット (密偵)」の記事における「インド大三角測量とパンディット」の解説
19世紀の地理学上の一大壮挙にインド大三角測量と呼ばれるイギリス領インド帝国で行われた測量事業があった。当時、イギリスはインド北方の地理情報も求めていた。これは、単に地理学上の関心だけが背景にあった訳ではなく、それに加えてロシア帝国が中央アジアへその支配を拡げつつあり、やがて当時イギリスの植民地下にあったインドの富へもその触手を伸ばしてくるのではないかというイギリスのロシアに対する"恐れ"があった。当時、イギリス人もロシア人もそれぞれアジアでの覇権拡大を図ろうとしていた。その為この地域の地理的な情報は、いわゆる「グレート・ゲーム」という意味において喉から手が出るほど重要な情報だった。 しかしながら、一部の地域ではこれらの調査は不可能と考えられた。というのも、インドが国境を接したいくつかの国、特にチベットは、イギリス人の調査隊はおろか西洋人が入国することすら許されない情勢にあったからだった。この調査の隊長を務めたトーマス・ジョージ・モントゴメリーは、1860年代にこの問題の解決策としてシッキムといったインド北辺の国境地域の出身者を測量調査員として訓練してその地域の調査に差し向けるというアイデアに思い至った。現地出身者の密偵であれば現地で聖者として敬われるチベット仏教の僧侶(ラマ僧)や交易商人に扮することでヨーロッパ人よりも疑われなくて済んだ。これらの現地出身の調査要員はパンディットと呼ばれた。 その最たる人物、キントゥプ(英語版)は、当時はまだ太平洋に流れ込んでいるのか、あるいはインド洋に流れ込んでいるのか分かっていなかったヤルンツァンポ川が、インド洋のベンガル湾に流れ込むガンジス河の支流ブラマプトラ川の上流部であることを確認した最初の人物となった。
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