インド売却までの経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/20 04:15 UTC 版)
「ヴィクラマーディティヤ (空母)」の記事における「インド売却までの経緯」の解説
「バクー (空母)」も参照 本艦は元来、ソビエト連邦海軍の1143.4型重航空巡洋艦として建造されており、西側諸国ではキエフ級航空母艦の4番艦として知られていた。設計番号の通り、原型となった1143型重航空巡洋艦「キエフ」を元にした発展型で、当時現用のYak-38 V/STOL艦上攻撃機のほか新型のYak-41(のちにYak-141に改称)の運用を想定して航空艤装を拡張し、また兵装や電子機器も全体的に増強されており、艦隊配備後の1989年に行われた国防省中央監察局の視察では非常に高い評価を受けた。なお1987年に竣工した際には「バクー」と命名されていたが、1990年10月4日付けで「アドミラル・フロタ・ソヴィエツコゴ・ソユーザ・ゴルシコフ(ソ連海軍提督ゴルシコフ)」と改名した。 しかしVTOL機の応援者であったドミトリー・ウスチノフ国防相が1984年に、セルゲイ・ゴルシコフ総司令官が1985年に死去すると、海軍はVTOL機への興味を急速に失っていき、Yak-38は1991年には予備役編入され、1992年には除籍されたため、本艦は固定翼機の運用能力を失うことになった。また1991年のソ連崩壊に伴って海軍の規模は劇的に削減され、本艦の活動も不活発となった。その最中にも、Yak-38の後継となるYak-141の運用試験は精力的に進められており、順調に進めば本艦も固定翼機の運用能力を復活できる見込みであったが、同年10月の着艦時事故を受けて同機の開発は中止されてしまい、また同年と1993年、1994年には相次いで火災事故が発生した。1995年5月にムルマンスクで行われた第二次世界大戦終戦50周年記念観艦式に参加したのを最後の花道に、1995年7月、予備役編入された。 これに先駆けた1994年より、ロシア政府はインド政府と売却交渉を開始していたとされている。売却と改装に関する交渉は難航し、1998年12月には、「艦自体は無償譲渡する代わりに、修理・近代化改装費用はインド側負担とする」内容で当時のロシア首相エフゲニー・プリマコフが政府間覚書に署名するまで漕ぎ付けたが、具体的な契約額、特に改造費用を巡り両国の溝は埋まらず、引き続きインド・ロシア間で交渉が断続的に続けられた。1999年の年明け早々、インドの代表団が本艦の視察に訪れ、同年7月には、全通飛行甲板を備える航空母艦への改装が決定された。 ロシア兵器輸出公社ロスオボロンエクスポルトは、当初(2002年11月)改装費用を20億ドル、艦載機購入費用を7億ドルと見積もっていたが、2004年1月に交わされた契約は、改装費用(9億7,400万ドル)はインド側が捻出、搭載機(MiG-29K等)やその他オプションをロシアから購入する(艦載機の費用は5億2,600万ドル)ものであった。中古艦とは言え改装費用込みで9億ドル台(そもそも船体そのものは無償)と言う価格は破格であるが、これは前述の通り艦上機をロシアから購入することを承諾し、さらにTu-22M超音速爆撃機の購入と、アクラ型原子力潜水艦の建造費用を負担しこれをリース導入すると言う条件をインド側が承諾したのが理由だとされている。
※この「インド売却までの経緯」の解説は、「ヴィクラマーディティヤ (空母)」の解説の一部です。
「インド売却までの経緯」を含む「ヴィクラマーディティヤ (空母)」の記事については、「ヴィクラマーディティヤ (空母)」の概要を参照ください。
- インド売却までの経緯のページへのリンク