アメリカ オレゴン州ラジニーシプーラムとは? わかりやすく解説

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アメリカ オレゴン州ラジニーシプーラム

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/24 16:45 UTC 版)

Osho」の記事における「アメリカ オレゴン州ラジニーシプーラム」の解説

1981年の春、Osho長年患った喘息糖尿病のため、講話を含む公共の場での発言一切しなくなった。アシュラム実権は、Osho個人秘書であったインド人女性マ・アナンド・シーラに委ねられることになったシーラ中心とする運営スタッフは、中央オレゴンに64000エーカー(東京23区面積に相当)の荒涼とした土地購入し81年8月にはOshoをそこへ招待した。サニヤシンたちは、その中にラジニーシプーラム市を建設した警察活動を含む自治体様々な行政活動は、コーディネーターによって実質的に管理・運営されていた。ラジニーシプーラム市の市長コミューン事務長助役出納長コミューン出納係市議会議員は5名すべてサニヤシンであった。 ラジニーシプーラム最盛期弟子たち接触機会を持つために、Oshoロールス・ロイス乗って視察名目でラジニーシプーラム内を一周するようになったOshoは、「96台のロールス・ロイス必要な理由などまったくないアメリカ全体に、あらゆる大金持ちのあいだに嫉妬かきたて、もし彼らに十分な知性があったなら、私の敵になるよりはむしろ、私のところに来て自分嫉妬を落とす方法を見つけようとしただろう。嫉妬こそが彼らの問題だ」と語った。 約2000人のサニヤシンが、近隣の人々日常的交流のない孤立した生活を送っていたが、彼らは1)永住者、2)長期滞在者、3)訪問者カテゴリー分類された。伊藤雅之は、Osho自身閉鎖性統制性が強まる流れ半ば容認する形で、運動展開していったと述べている。 1982年3月一部弟子隣接するアンテロープ町に移りシーラたちによる乗っ取り恐れた町民たちは町を廃止してワスコ郡直轄地にしようと住民投票行ったが、すでに弟子たちの数が元々の住民の数を上回ってしまっており、乗っ取りを防ぐことはできなかった。町名は「ラジニーシ市」に変わり、ラジニーシプーラム市の姉妹都市とされ、首長教育委員長などの要職次々弟子たち変わり、町全体徹底したラジニーシ化」が進められた。コミューン活動注目集めて新聞テレビで大きく取り上げられ世論反発激しさ増したニュース全米放送されオレゴン州政府の対応注目集まり、しだいに州政府が対応せざるを得ない状況になっていった。アメリカ憲法では、「宗教団体自治体形態をとる」ことは認められず、このような自治体交付税贈与税交付を含む財政上の助成補助を行うことは、納税者にとって信徒でもないのに献金強要される等しく違憲である。1984年3月オレゴン州法務長官デイビット・B・フローンマイヤー(David B. Frohnmayer)は州を代表し、ラジニーシプーラム市及び同市の公務員及び住民等を被告とし、Osho宗教的基盤と市の運営の関係がアメリカ合衆国憲法修正第1条国教樹立禁止条例政教分離原則反しており、ラジニーシプーラム市の設立無効であるとして訴えた1984年10月3年半の沈黙終えOsho は再び講話を行うようになったレーガンキリスト教原理主義者権力威信にとって、Osho存在脅威的だった。なぜなら、Oshoは彼らの権威基盤執拗に攻撃したからだ。Osho聖職者政治家たちを「魂のマフィア」と呼び、彼らは一般の人々搾取するために深い共謀関係にあると言った1985年9月になると、シーラ10数人スタッフが突然コミューン去りFBI介入した捜査結果彼女らが行ってきたコミューン内外での不法行為明らかになる。そのなかにはOshoとその世話人部屋盗聴資産5500ドル横領Osho主治医デバラジへのヒ素による殺人未遂近隣レストランでの有害物質サルモネラ菌混入とそれによる住民750名の食中毒(うち45名が入院)、公共施設放火などが含まれていた。シーラとその仲間逃亡先の旧西ドイツ逮捕されカリフォルニア州刑務所服役した。この事件近年アメリカ史最大生物兵器による攻撃と言われる州軍コミューン周囲待機状態にあり、コミューン侵攻しようとしてたことをOshoは勘づき、5000人のサニヤシンの流血惨事避けるためにシャーロット向かったインド脱出同様、同行する側近以外の弟子たちには何も知らされなかった。燃料補給立ち寄ったノース・カロライナ州空港で、1985年10月28日Osho逮捕状なしに逮捕された。 逮捕後、最終的に司法取引が行われた。司法取引結果としてOsho告訴されていた34罪状のうち移民管理局への偽証に関する2つの罪を認めることや、今後5年アメリカ入国しないことを条件釈放され11月14日アメリカ去ったOsho弁護士は、窮余の策として、次のように考えたのだったOsho本人望んでいるように、偽装結婚教唆無罪証明しようとすれば法的な手続き長引いて彼の生命と健康は脅かされるだろう、それより一部罪状認めて国外退去になったほうが、彼の安全のためにはよい、と。チャールズ・ターナ―(ポートランド連邦検事)、起訴遂行対す責任者は、逮捕状なしでOsho逮捕した後、記者会見開催した記者会見ターナーは、「Osho告発目的は、Osho米国から追い払うめだった」と述べ法的手続きは、政治的な目的にかなうように利用されてきたことを認めた目的刑罰ではなくコミュニティ破壊Osho追放だった。ターナーたちはすっかり歴史書き換えようとしていた。彼らは法廷宣言のもとに意図的に嘘をつき、報道陣対し事実歪曲しすり替え実際には起こらなかったことを巧みに起こったこととし通用させた。彼らの意図Oshoの名前を完全に失墜せしめること、彼の名望抹消することだった。 後になってOsho彼の主治医オクラホマ郡拘留所で、アメリカ政府から殺鼠剤として用いられる重金属タリウム盛られ可能性疑った。このあたりの事情は2冊の著作の中で徹底的かつ詳細に検証されている。ジュリエット・フォアマンの『バグワン世界揺るがした12日間』“Bhagwan:Twelve Days that Shook the World” と、オーストラリア人弁護士スー・アップルトン著『バグワン・シュリ・ラジニーシレーガン政府アメリカに毒を盛られたのか?』“Was Bhagwan Shree Rajneesh Poisoned by Ronald Reagan's America?”だ。いずれの本も具体的な証拠状況証拠示してOshoオクラホマシティで毒を盛られたと主張している。 1985年アメリカから国外追放されたあと、Osho新し拠点求めたが、世界各国政府から危険人物と見なされ、20数か国で入国あるいは長期滞在拒まれ世界転々とした。1986年3月19日ウルグアイ思いがけなく招待状持って現れたが、ウルグアイ大統領サンギネッティは、もしOshoウルグアイ滞在させるなら、アメリカからの60ドル借款打ち切られ将来いかなる借款与えられないであろう、というワシントンDCからの電話受け取りOsho一行ウルグアイを去らなければならなかった。

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