アイドル歌手デビュー
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翌1986年3月に松任谷由実作曲(クレジットは呉田軽穂名義)のシングル『メロンのためいき』でアイドル歌手デビュー。当初のキャッチコピーは「国民のおもちゃ新発売」だった。デビュー前の特技はクラシックバレエで、タレントスカウトキャラバンで用いられたイメージVTRではバレエを踊る映像がある。 同年、アニメ映画『スーパーマリオブラザーズ ピーチ姫救出大作戦!』にてピーチ姫の声優を担当。テレビアニメ『ホワッツマイケル』(1988年)では主題歌の歌唱を担当し、声優としても出演している。 アイドルとしては大成しなかったが歌唱力に定評があり、当時マネジャーだった岡孝二郎(現:ホリプロ役員)は所属レコード会社の担当者と、正統派アイドルとしては成功しなかったが、アーティストしてはまだ可能性があるのではないかとの話になり、「山瀬まみロック化計画」としてロック歌手とコラボレーションして、オリジナルアルバム『親指姫』を発売し、ヒットする。山瀬本人は後年になって「アイドルとしては背が高すぎた」と自ら評している。
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アイドル歌手デビュー
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NHK『勝ち抜き歌謡天国』で準優勝したことがデビューに繋がった。1985年、スターチャイルド(キングレコード)からアニメ『機動戦士Ζガンダム』の後期オープニングテーマ曲「水の星へ愛をこめて」でアイドル歌手としてデビューし、オリコン16位のスマッシュヒットとなった。 ちなみに1985年5月のオーディションから始まって6月にレコーディング、7月に福岡から上京して8月にはレコードデビューという慌ただしいスタートだった。同期に本田美奈子.、森川美穂、中山美穂、芳本美代子、斉藤由貴、南野陽子、浅香唯、井森美幸、松本典子、大西結花、中村繁之らがいる。 しかし、次以降の曲にヒットが続かず、歌手としての認知度向上にはならなかった。1988年、アニメ『鎧伝サムライトルーパー』が当時のアニメ好きな女子中高生を中心にヒットし、後期テーマ曲であった「サムライハート」も人気を博す。
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アイドル歌手デビュー
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岡田のタレント活動と並行して、「アイドル歌手」デビューの準備が進められた。キャニオンレコードの音楽プロデューサー・渡辺有三は、岡田のイメージを「六大学野球を観に行く山の手のお嬢さん」と定め、デビュー曲の制作を竹内まりやに依頼。デビュー曲候補である「学園恋愛三部作」および「ティーンエイジ・ラブ」をテーマとした、合計6曲が提供された。1983年12月10日、竹内もコーラスとして参加する中、初めてのレコーディングが行われた。デビュー以降も竹内からの楽曲提供が続くこととなり、作詞のみも含めてお互い最多の11曲に及んだ。 1984年(昭和59年)、休日が1日だけの多忙な年となった。1月10日、若年男性向け情報誌『スコラ』(スコラ)から初めての取材を受けた。3月11日、東京の明治神宮絵画館前でラジオ番組のイベント『とびだせ! ポップシティ お菓子フェア』が開催され、初めてステージに立った。3月20日から4月8日まで、ティーパーティ形式のファン交流会『集まれYukikoフレンズ』が名古屋(プリンセスガーデンホテル)を皮切りに全国7都市で開催。3月25日放送の音楽番組『ザ・ヒットステージ』(TBS、最終回)、4月14日放送のバラエティ番組『ヤンヤン歌うスタジオ』(テレビ東京)と音楽バラエティ番組『アイドルパンチ』(テレビ朝日)で、歌手として初めてテレビ出演した。 4月21日、シングル「ファースト・デイト」でメジャーデビュー。キャッチフレーズは「いつまでも、一緒にいてね。ステキの国からやって来たリトル・プリンセス」。名古屋ではグラビア雑誌『BOMB!』(学習研究社)による密着取材の中、日産ギャラリーのキャンペーン、中日スポーツ記者からの取材、CBCラジオ・東海ラジオ・FM AICHIの番組ゲスト出演など、10時から23時まで芸能活動を行っていた。歌手デビュー後はサンミュージックの先輩・松田聖子と比較され、「岡田有希子は第2の松田聖子」「ポスト聖子の第1候補」と言われるようになった。それに対し「自分は自分だから、松田聖子の物真似にはなりたくない」と語っている。また、インタビューで「目標とする歌手は誰か」と問われ「岡田有希子」と答えていた。 5月31日、音楽番組『ザ・ベストテン』(TBS)のスポットライト・コーナーに菊池桃子とともに初出演。この時の邦楽ランキングは21位だった。司会の久米宏からはデビュー曲「ファースト・デイト」を「ファースト・レディ」、黒柳徹子からは芸名「おかだゆきこ」を「おかだうきこ」と間違えられている。7月29日、サンミュージック公設ファンクラブを結成。京王線新宿駅で一日駅長を務めた後、8両編成の特別列車「リトルプリンセス号」でファン2,500人と会場のよみうりランドに移動。会場では4,000人のファンと結成式を行った。9月24日に大阪(大阪厚生年金会館)、9月30日に東京(日本青年館)で、岡田自身初のコンサート『恋はじめまして』が開催された。10月8日から翌1985年10月7日まで、ラジオ番組『ちょっとおあずけ』(ニッポン放送)が放送。この番組は岡田の希望によりコーナーは設けられず、楽曲選定を岡田自身が全て行っていた。10月15日に音楽番組『ザ・トップテン』(日本テレビ系列局)で8位、10月18日に『ザ・ベストテン』で10位となり、歌手になってからの目標「10位以内での出演」を達成した。 この年は、新人賞を吉川晃司、菊池桃子、荻野目洋子、長山洋子、SALLY、一世風靡セピアらと争い、『日本レコード大賞』最優秀新人賞をはじめ音楽賞などの新人賞を総なめにした。『日本歌謡大賞』ほか5つの最優秀新人賞は、吉川と同時受賞した。
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アイドル歌手デビュー
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1981年に開かれた第6回ホリプロタレントスカウトキャラバンの優勝をきっかけとして芸能界入り。 1982年3月に『潮風の少女/メルシ・ボク』で、アイドル歌手としてデビューする。なお、デビュー当時のキャッチフレーズは「GOOD FRIEND」。堀の代表曲としては、1983年『さよならの物語』、1984年『クレイジーラブ/愛のランナー』、1985年『リ・ボ・ン』など。また同期生のデビューでは、小泉今日子、三田寛子、松本伊代、早見優、中森明菜、石川秀美、シブがき隊らが居り、「花の82年組」とも言われた。さらに、1984年末の『第35回NHK紅白歌合戦』には『東京Sugar Town』で初出場を果たしている。
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