『文明の衝突』論との関り
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「歴史の終わり」の記事における「『文明の衝突』論との関り」の解説
フクヤマの説に対し、サミュエル・P・ハンティントンは著書『文明の衝突』の中で「支配的な文明は人類の政治の形態を決定するが、持続はしない」とし「歴史は終わらない」と主張した。このように、「歴史の終わり」への批判として、ハンティントンの「文明の衝突」論が挙げられることが多いが、文明の衝突論と歴史終焉論はもともと思考軸が違うことに注意を払う必要がある。 ハンティントンが言うように、文明による価値観の違いが衝突を生むということは十分ありえる。しかし、フクヤマの考えによれば、その文明の衝突を回避する唯一の方法は、リベラルな民主主義の普及のみであり、発展途上国の宗教戦争や民族紛争は、民主主義理念の普及が不十分だから起こるのであるとする。また、フクヤマは9・11同時多発テロ後も「まだ歴史は終わったままだ」という見解を示している。フクヤマにとって、リベラル民主主義とは、文明圏や宗教圏よりも高次にある普遍的なイデオロギーであり、けしてキリスト教圏やアングロ・サクソン文化圏などに固有なものではない。日本や大韓民国、台湾、インドといったアジア諸地域にも民主主義は普及した。ウラジーミル・プーチンの強権主義が批判されるロシアも、一党独裁に回帰するような動きは見られない。五大国の最後の独裁国家である中国も段階的な民主化を進めている。反米的なイスラム教国であるイラン・イスラム共和国も限定的だが民主体制は維持されており、フセイン体制崩壊後のイラクの国民議会選挙にも多くの有権者が参加した。アフリカでも、2011年、チュニジアでは「ジャスミン革命」が起き、約23年続いたベンアリ政権が崩壊した。エジプトでも約30年続いたムバラク政権が崩壊した。カダフィ政権の崩壊したリビアでもその原動力となったのは市民によるネット世論やデモの盛り上がりである。「歴史の終わり」が発表されて30年近くたつが、その間、フクヤマの「歴史とは世界が民主化されていく過程である」という主張は、揺らぐどころか、ますます精度を増しているとフクヤマは考えている。 「米ソ冷戦の終結によってイデオロギー闘争の時代が終わり、次に文明の衝突が始まる」という言説は、フクヤマの歴史哲学に対する誤解である。フクヤマにとって文明の衝突は、弁証法的に統一される、歴史上ごくありきたりなイデオロギー対立でしかない。フクヤマは「歴史の終わり」で、共産主義に対してのみ勝利宣言を行ったのではなく、他のすべてのイデオロギーに対して、民主主義の勝利宣言を行ったのである。 宗教戦争や民族紛争は、はるか太古の時代から繰り広げられてきたものであり、新時代の現象として、なんら目新しいものではない。弁証法的な対立としてみたら、「民主主義vs共産主義」「民選政体vs共産党一党独裁政体」の冷戦のイデオロギー対立よりも原始的で低レベルなものである。民主主義のアンチテーゼとしても、宗教原理主義や民族原理主義よりも、マルクス・レーニン主義のほうが理論性といい、普遍性といい、はるかに洗練されていた。現実に、宗教原理主義者はテロ行為は行えても、正規軍抗争ではまったくと言っていいほど民主国家諸国に歯が立たないし、他宗教国家からはまったくというほど支持、共感されない。あくまで治安維持レベルの問題であり、国家の存亡を左右する歴史的でマクロ的な問題ではないのである。共産主義という最強のライバルを打倒した民主主義諸国家からすれば、宗教原理主義や民族原理主義は、はるかに格下で脆弱なライバルでしかない。宗教テロリズムは新しい時代の矛盾ではなく、近代化に適応できないただの時代錯誤の集団であり、時間が経てば経つほど、弁証法的に切り捨てられ、孤立化し、無力化していく存在なのである。フクヤマにとって、それらは文明の衝突というよりも、あくまでも民主主義とそれに敵対するイデオロギーとのイデオロギー対立なのであり、民主国家と独裁国家(カルト的なテロ組織)、脱歴史世界と歴史世界の衝突なのである。 また、歴史終焉論よりも文明の衝突論のほうが未来を予見していた事例として、中国の急成長を挙げる識者もいるが、これも典型的な誤解のひとつである。中国が急成長を遂げているのは、あくまで資本主義や自由主義経済を取り入れた結果であり、経済的な共産主義体制そのものの効果ではない。中国が経済的に成長すればするほど、中国共産党は支配の正統性を失っていくのである。中国の国力が増大し、国際的な影響力を増せば増すほど、むしろ中国共産党一党独裁による支配体制は揺らいでいくという、まさに主人と奴隷の弁証法の矛盾の真っ只中に、中国共産党は叩き落されているのである。中国国民は資本主義的な労働を通して、中国共産党に反抗するだけの気概と知恵と技術を確実に身につけていっているのだ。実際に中国国内では暴動が頻発し、将来の体制崩壊を予期して家族や資産を外国に逃亡させている中国共産党幹部も多い。もはや共産党一党独裁体制を長期維持することは困難だと、中国共産党もよく自覚しているのである。むしろ、膨大な人口という労働力と需要力を持った中国が、自由主義経済を取り入れてもまったく経済発展しないほうが、フクヤマからすれば大きな理論的矛盾を抱えることになってしまう。中国の成長は、どんな国や地域でも近代化をとげ、経済発展し、やがて民主化していくというフクヤマの歴史理論をむしろ典型的にトレースしているのである。 また、ハンティントンの文明論は文明の定義や境界が曖昧であり、紛争が起こった地域を後付で異なった文明同士の境目であり、文明の衝突だと指摘することが可能である。それに対してフクヤマの国家体制論は、明文化された法制度に基づいたものであり、厳密な基準と反証可能性を有したものである。 ハンティントンの文明の衝突論が、冷戦の終結によって、押さえ込まれていた民族紛争や宗教戦争が先祖返り的に復活する危険性を妊んでいるという問題提起であるのなら、フクヤマの歴史終焉論はその問題提起に対するひとつの解決案である。
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