『文我出席控』
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/10 02:06 UTC 版)
初代文我自身が、1879年から1912年に至るまでの出席記録、噺家のプロフィール、改名襲名歴、エピソードなどを克明に記した史料。 この史料は、文我没後、どういう訳か5代目笑福亭松鶴の手元に渡り、何度か出版の話が持ち上がったが、戦中・戦後の紙不足などの諸事情により、結局出版には至らなかった。5代目松鶴没後は、実子の6代目笑福亭松鶴がこの史料を継承した。 1950年以降に再度、落語研究家I氏(東京在住)によって出版の企画が持ち上がった。6代目三遊亭圓生(大阪出身で上方落語にも理解を示していた)を介して6代目松鶴から史料を拝借したこの研究家は、学生アルバイトに筆写を頼んだのだが、なんとこの学生が『文我出席控』を抱えたまま失踪してしまった。 その後、演芸作家・評論家の小島貞二によって、原本2冊(巻2・6)と写本1冊(巻5)が神田古書市で古い大福帳の中から掘り出され、その1ヵ月後には原本1冊(巻4)と写本1冊(巻6)が再び発見された。 こうして原本・写本計5冊が6代目松鶴の手元に戻り、そのコピーは6代目圓生、I氏、小島貞二の3氏にそれぞれ手渡された。6代目松鶴の没後、豊田善敬が遺族の了承を得て松鶴自宅の資料整理をした際、原本3冊は見つかったが、写本2冊は紛失していた。 2001年、「大阪芸能懇話会」によって『文我出席控』(巻2・4・5・6)の翻刻・出版がなされた。現在は、引き続き未発見の原本の捜索が行われている状況である。 主な内容 巻1 巻2 1885年1月~ 巻3 巻4 1894年1月~ 巻5 1902年3月~ 巻6 1906年1月~
※この「『文我出席控』」の解説は、「桂文我 (初代)」の解説の一部です。
「『文我出席控』」を含む「桂文我 (初代)」の記事については、「桂文我 (初代)」の概要を参照ください。
- 『文我出席控』のページへのリンク