『文武雅俗經渭辨』
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『文武雅俗經渭辨』上下2冊 は寛政9年刊行(1797年)に出版された。執筆はこれよりかなり以前で、天明6年(1786年)には藩主松平康哉に上覧し、翌年には松平定信も入手している。刊行後は、『臺山随筆』と改題されたり、巻末に「小頑俗訓」が掲載された刊本が出ている。 武士社会の規範の緩みを嘆き、本来の武士のあり方を説いた。「聖人の道が文であり、それが行われることが武である。文武とはひとつであり、武士たる者は文武兼備であること」と主張。
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