豊田スタジアム 豊田スタジアムの概要

豊田スタジアム

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2013/05/08 05:03 UTC 版)

豊田スタジアム
豊田スタジアム外観
施設情報
所在地 日本の旗愛知県豊田市千石町7-2
位置 北緯35度5分4.28秒
東経137度10分15.41秒
起工 1997年9月
開場 2001年7月21日
所有者 豊田市
運用者 (株)豊田スタジアム
グラウンド 天然芝(115 x 78 metres)
ピッチサイズ 105 x 68 metres
大型映像装置 可動式アストロビジョン1基
建設費 総工費308億700万円
設計者 豊田市中央公園推進室・黒川紀章建築都市設計事務所
建設者 大成清水矢作・太啓・豊田総建・三栄建設JV
使用チーム、大会
トヨタ自動車ヴェルブリッツラグビー・トップリーグ
名古屋グランパス(ホーム[1]Jリーグ
FIFAクラブワールドカップ[2](2005〜2008年、2011年〜2012年)
収容能力
45,000人
アクセス
名鉄三河線豊田市駅
愛知環状鉄道新豊田駅
豊田スタジアムメインスタンド
豊田スタジアムバックスタンド

目次

概要

豊田市が市制50周年記念事業の一環として整備を進めたスタジアムで、設計は建築家黒川紀章が行った。2015年の完成を目指してロシアサンクトペテルブルクに黒川設計のガスプロム・アリーナFCゼニト・サンクトペテルブルクが利用する予定)が建設されており、このデザインは豊田スタジアムとほぼ同一である。

施設は豊田市が所有し、豊田市と愛知県内の主要企業の出資による第三セクター・株式会社豊田スタジアムが運営管理を行っている。球技専用スタジアムのため、陸上競技用トラックは存在しない。

ジャパンラグビートップリーグトヨタ自動車ヴェルブリッツのホームスタジアムとなっている。Jリーグでは、名古屋グランパスが、開場以来準ホームスタジアムとして主に2万人(ホームである名古屋市瑞穂公園陸上競技場のJリーグでの定員)以上の集客が見込めるカードで使用するが、近年は開催頻度が上がり、週末を中心に年間のグランパス主管ホームゲームのほぼ半数がここで行われ事実上「ダブルフランチャイズ」となっていた。2012年シーズンよりグランパスのホームタウンがこれまでの「名古屋市のみ」から「名古屋・豊田・みよし市の3市(を中心とした愛知県全域)」に広域化されたことに伴い、豊田スタジアムも瑞穂陸上競技場とともにホームスタジアムの一つとなった[3]。また毎年8月には豊田国際ユースサッカー大会が行なわれている。

2002年FIFAワールドカップの候補地となったが、落選。2019年ラグビーワールドカップの会場となる予定。

スタジアムの「10番ゲート」は名古屋グランパスエイトで活躍し、現在の監督であるドラガン・ストイコビッチの功績を称え『ピクシー・ゲート』と名付けられている(ピクシーは、ストイコビッチの愛称、10番は代表でもグランパスでも彼の不動の背番号であった)。現在も彼のガッツポーズをモチーフにした装飾と、「PIXY GATE」と書かれたゲート看板が残されている。なお、ストイコビッチがこのスタジアムでプレーしたのは開場直後に行なわれた引退記念試合の1試合のみである。

名称については、豊田市に所在するスタジアムという意味であり、トヨタ自動車株式会社及びグループ各社の命名権によるものではない(名称の表記が「トヨタスタジアム」、「TOYOTAスタジアム」ではない。ただし、英文表記は"TOYOTA STADIUM"である)。ただし豊田市という名称は、トヨタ自動車と共に発展した市の歴史を踏まえ、挙母市から改まったという経緯があるため、関連性は大きく、またアウェー側サイドスタンドとバックスタンドの4階席部分に「TOYOTA」の文字が刻まれている他、トヨタ自動車グループのスポンサー看板も多く設置されている。そのため、2005年から開催のFIFAクラブワールドカップでは、トヨタ自動車がスポンサーであることもあり、日本での開催時の会場の一つになっている。

愛知県内ではかなりの客席数を誇るため、コンサート会場としても使われる。コンサートでの使用や屋根の存在により芝の状態がよくないという指摘もある。

2009年には本スタジアムで使用する天然芝の農地が豊田市内に作られた[4]。競技場の芝を地産地消で賄うのは日本で初めての試みであるという。

建設経緯

サッカーW杯開催地へ立候補

愛知県では、1989年に戦前から県内ではサッカーどころで知られる刈谷市が5万人収容で国際規格のサッカースタジアムの建設を計画していた[5]。また、同時期に2002年に開催予定のFIFAワールドカップ(W杯)を日本に誘致する計画が浮上し、愛知県でも開催地を誘致する動きが活発化した。愛知県内では、1992年7月13日に刈谷市が正式に誘致を表明した[6]

名古屋市でも誘致の検討がはじまり、1993年1月14日に立候補を表明した[7]。立候補時は瑞穂公園陸上競技場の増築によって賄う計画で、同年7月25日にはスタンドを2層構造とするなどの具体案が発表されたが[8]

  1. 増築に伴う近隣住宅の立退き費用が多額であること。
  2. 増築そのものが消防法に抵触する可能性がある。

という2点の問題や狭い敷地のために周辺が人であふれかえることなどに日本サッカー協会が難色を示したため、計画の実現性が低いと判断され、1994年5月9日に瑞穂案の断念が発表された[9]

続いて、名古屋市南部の大高緑地公園に10万人収容のサッカー専用スタジアム構想を立ち上げ、「決勝戦も可能」と謳うが、環境保護団体と地域住民の猛烈な反発にあい、計画段階で断念。

さらにナゴヤドーム[10]内に天然芝を敷き詰めて開催する案を提出するものの、組織委員会から一蹴され、打つ手をなくした名古屋市としては条件を満たすスタジアムの設置が不可能と判断し、立候補を取り消す事態に発展した。

一方、豊田市では1993年12月の市議会で加藤正一市長がW杯誘致に意欲を見せた。1994年10月24日には、豊田市体育協会・連合愛知豊田地域協議会・豊田商工会議所の代表が、同年8月から10月にかけて集めたサッカー場を建設を求める254,899人の署名を豊田市長・市議長に手渡した[11]

W杯誘致では、名古屋市の撤退が発表された後、日本サッカー協会から「日本有数の大都市圏で試合が無いのは問題である。」との救済意見が入り、1995年1月25日、愛知県が「愛知県」として立候補を発表。同年2月9日に日本サッカー協会理事会で承認された[12]。名古屋市の立候補により表立った活動をしてこなかった刈谷市と豊田市の2市が立候補に名乗りを上げ、熾烈な誘致合戦を行った。

1995年4月12日、愛知県サッカー協会の審査の結果、交通の便や市民の熱意は刈谷市が上回るものの、

  1. 市の財政力が高い
  2. すでにスタジアム構想が立ち上がっていることで、土地収用等の時間が短縮できスタジアムの建設が容易

との理由で「愛知県」枠は豊田市となった。

1995年夏に豊田市の新聞『矢作新報』が市民千人にスタジアム建設の是非を問うたアンケートでは、賛成20%、反対40%、どちらでもない37%と、スタジアム建設に否定的な意見が目立った[13][14]

W杯選考落選と規模縮小

本来であれば、これで豊田市は開催地に決定するが、その後、同大会は日韓共催となることが国際サッカー連盟理事会によって決定する。これにより、日本側の割り当てである10会場に会場を絞り込むことになった。

当初、スタジアムの収容人数や市の経済力・世界的知名度で、豊田市は優位と言われていた。しかし、1996年12月の開催地を決定する投票で、同じ中部圏の新潟県が推す新潟スタジアム(現・東北電力スタジアム)との決選投票となり、結果落選した。

理由としては、

  1. 新潟県は立候補地の中で唯一の『日本海沿岸』であり、地域性の均衡が図れる。また、空路・海路で朝鮮半島やロシアからの受け入れが容易である。
  2. 同様の理由で、「愛知県」の隣には「静岡県」(静岡スタジアム)があるので、開催地域が集中してしまう。

の2点が挙げられる。

落選後、設計の見直しが行われ、1997年9月25日に収容人数を4万3千人に減らすなどの設計が公表された[15]。一方、スタジアム建設反対派住民らによって結成された「巨大サッカー場問題を考える会」は、1998年7月3日に市に対して31,817人の署名とともに住民投票条例制定を求める直接請求を行ったが[16]、同月17日の市議会臨時会で否決された[17]

2001年7月21日、会場記念セレモニーが開かれ、2,001人によるテープカットや、KiroroゴスペラーズTHE BOOMによるオープニングコンサートも行われた。コンサートには篠原ともえも参加予定だったが、急病のため出演とりやめとなった。

その後、FIFA関連のイベントでは、FIFAクラブワールドカップの日本開催時の会場の一つとして使用されている(使用年については下記年表を参照)。




  1. ^ 名古屋市瑞穂公園陸上競技場との併用
  2. ^ 2005年は「FIFAクラブ世界選手権」の名称で開催。
  3. ^ ホームタウンの広域化について 名古屋グランパス 2011年12月20日
  4. ^ 「中部経済新聞」 2009年5月18日
  5. ^ 「中日新聞」 1989年5月21日 朝刊、東海社会面 29頁
  6. ^ 「中日新聞」 1992年7月14日 朝刊、県内版
  7. ^ 「中日新聞」 1993年1月15日 朝刊、1面
  8. ^ 「中日新聞」 1993年7月26日 朝刊、第2社会面 12頁
  9. ^ 「中日新聞」 1994年5月10日 朝刊、第2社会面 24頁
  10. ^ 1994 FIFAワールドカップ屋内競技場に一時的に天然芝を敷いて会場とした例や、Jリーグプレシーズンマッチで東京ドームに天然芝を敷いて開催した例はあったが、不評だった。
  11. ^ 「朝日新聞」 1994年10月25日 朝刊、愛知面
  12. ^ 「朝日新聞」 1995年2月10日 朝刊、第2社会面 28頁
  13. ^ 「朝日新聞」 1995年10月19日 朝刊、第2社会面 34頁
  14. ^ 「朝日新聞」 1996年4月10日 朝刊、愛知面
  15. ^ 「朝日新聞」 1997年9月26日 朝刊、第3社会面 27頁
  16. ^ 「朝日新聞」 1998年7月4日 朝刊、第2社会面 30頁
  17. ^ 「朝日新聞」 1998年7月18日 朝刊、第3社会面 29頁


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