W杯選考落選と規模縮小
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/10 06:41 UTC 版)
「豊田スタジアム」の記事における「W杯選考落選と規模縮小」の解説
その後、同大会は日韓共催となることが国際サッカー連盟理事会によって決定する。これにより、日本側の割り当てである10会場に会場を絞り込むことになった。 1996年12月の開催地を決定する投票で、同じ中部圏の新潟県が推す新潟スタジアム(現・デンカビッグスワンスタジアム)との決選投票となり、結果落選した。 落選後、設計の見直しが行われ、1997年9月25日に収容人数を設計当初の6万3千人収容から減らし、開閉式屋根を追加するなどの設計が公表された。一方、スタジアム建設反対派住民らによって結成された「巨大サッカー場問題を考える会」は、1998年7月3日に市に対して31,817人の署名とともに住民投票条例制定を求める直接請求を行ったが、同月17日の市議会臨時会で否決された。 2001年7月21日、開場記念セレモニーが開かれ、2,001人によるテープカットや、Kiroro、ゴスペラーズ、THE BOOMによるオープニングコンサートが行われた。 その後、FIFA関連のイベントでは、FIFAクラブワールドカップの日本開催時の会場の一つとして使用されている(使用年については下記年表を参照)。 2014年のJリーグアウォーズにて、Jリーグベストピッチ賞を受賞した。
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