歌
『今昔物語集』巻24-51 赤染衛門は、息子の挙周が重病になった時、「かはらむと思ふ命は惜しからでさても別れむほどぞ悲しき」の歌を住吉明神に奉った。すると、その夜のうちに挙周の病気は治った。
『今鏡』「打聞」第10「敷島の打聞」 蔵人の頼実が「5年の命と引き換えに、名歌を詠ませて下さい」と住吉の神に祈る。やがて彼は「木の葉散る宿は聞きわくことぞなき時雨する夜も時雨せぬ夜も」の歌を詠んだが、その時「これが命と引き換えの歌だ」とは気づかなかった。後に病気になって平癒を祈ると、住吉の神が侍女に憑依して、「もはや延命はできぬ」と告げた〔*『西行上人談抄』では、60年の寿命のうちの30年と引き換えに、「木の葉散る・・・・」の歌を詠む〕。
*地獄堕ちと引き換えに、名画を描く→〔悪魔〕1bの『ハリンゲイの誘惑』(H・G・ウェルズ)。
『今昔物語集』巻27-45 近衛舎人某が東国へ下り、陸奥国から山を越えて常陸国へ入る。「遠くまで来たものだ」と心細くなって、某は「常陸歌」という歌を、2度3度と繰り返し歌う。すると深い山の奥から、何者かが恐ろしげな声で「あな面白」と言い、手を「ハタ」と打った。某はその夜、宿で就寝中に死んだ。常陸国の神が歌をめでて、某を引き止めたのであった。
*笛の音に応じて、「面白いぞー」という声がする→〔笛〕2bの『遠野物語』(柳田国男)9。
『醒睡笑』巻之8「秀句」10 和泉式部が勅命をうけて、雨乞いの歌「日の本の名におふとてや照らすらん降らざらばまた天が下かは」を詠んだ。この歌によって、空がかき曇り大雨が降った。
『俊頼髄脳』 伊予国に日照りが続いた時、能因法師が「天の川苗代水にせきくだせあまくだります神ならば神」の歌を三島明神に奉ると、たちまち大雨になった。
『曽我物語』巻5「三原野の御狩の事」 源頼朝が多くの侍とともに、三原野で狩をする。前日の浅間野の狩に引き続き、降雨があったので、頼朝は梶原源太景季に歌1首を命ずる。景季が「昨日こそあさまは降らめ今日はただみはらし給へ夕立の神」と詠むと、たちまち雨はやんだ。
『耳袋』巻之1「池田多治見が妻和歌の事」 備前の家士池田多治見の妻は坊城大納言の妹で、菊作りを好んだ。ある時夫が離縁を申し渡すと、妻は「身の程は知らで別るる宿ながら跡栄へゆく千代の白菊」と詠んだ。この歌を聞いた友人が夫を諌め、元のごとく夫婦となって栄えた。
『大和物語』第158段 男が愛人を作って妻を遠ざける。秋の夜、鳴く鹿に託して「我もしかなきてぞ人に恋られし今こそよそに声をのみ聞け」と妻が詠むと、夫は感動して、愛人と別れ妻のもとに戻る。
*→〔二人妻〕1。
『崇徳院』(落語) 某大家の若旦那と某大家のお嬢さんが茶店で出会い、互いに一目ぼれして、恋わずらいになる。しかし、ともに相手の名も家も知らない。それぞれの家の使用人たちが、お嬢さんが若旦那に渡した短冊の歌「瀬をはやみ岩にせかるる滝川の」を連呼して捜し回り(*→〔恋わずらい〕1)、ついに床屋で両家の使用人たちが出会う。
*娘が秀歌を詠んで殿様の嫁になる→〔見立て〕1の『紅(べに)皿・欠(かけ)皿』(昔話)。
*家庭教師マリアと子供たちの歌声によって、トラップ大佐は歌うことの喜びを思い出し、やがて大佐とマリアは結婚する→〔七人・七匹〕4の『サウンド・オブ・ミュージック』(ワイズ)。
『蜘盗人』(狂言) 連歌好きの男が有徳人の屋敷へ泥棒に入り、蜘蛛の巣にかかって捕らえられる。そこで男は「蜘蛛の家に荒れたる駒はつなぐとも二道かくる人は頼まじ」の古歌を引いたり、有徳人の「夜手にかかるささがにの糸」の句に「盗人の昼来る暇のなきままに」と付けたりするので、有徳人は感心して男を許す。
『今昔物語集』巻24-55 白髪の老郡司が職務怠慢で、笞打ちの罰を受けることになった。老郡司は、「年を経て頭(かしら)に雪は積もれどもしもと〔霜と笞(しもと)の掛詞〕見るこそ身は冷えにけれ」と詠み、国司は感心して罪を免じた。
『太平記』巻2「為明詠歌の事」 二条中将為明は歌道の達人であったが、幕府への謀叛の嫌疑で、拷問の場に引き出された。為明は硯を請い、料紙に「思ひきやわが敷島の道ならで浮世の事を問はるべしとは(和歌の道ではなく、俗世のことを問われようとは、思わなかった)」と書いた。取調べにあたった駿河守範貞は感動の涙を流し、為明は無罪放免された。
『花盗人』(狂言) 花盗人が桜の大枝を折り取り、見張りの人々につかまって、木に縛られる。盗人は漢詩や古歌を引いて、「花盗人は罪にならぬ」と説き、「この春は花のもとにて縄つきぬ烏帽子桜と人や見るらん」と詠む。人々は感心し、盗人の縄を解いて許す。
『古事記』下巻 槻の大樹の葉が落ちて酒盃に浮かんだのに気づかず、采女が雄略天皇に酒盃を捧げる。天皇は怒って采女を殺そうとする。采女が「纏向の日代の宮は朝日の日照る宮・・・・」に始まる槻の樹の長歌を詠じると、天皇は采女の罪を許した。
『万葉集』巻16 3829歌 葛城王が陸奥に派遣された折、国司の接待が疎かだったため、王の顔に怒りの色が見えた。かつて采女であった女が盃を捧げ、王の膝に拍子を打って「安積香山影さへ見ゆる山の井の浅き心を我が思はなくに」の歌を詠み、王の機嫌を直した。
『日本書紀』巻14〔第21代〕雄略天皇13年(A.D.469)9月 雄略天皇が、木工猪名部真根(こだくみ・いなべのまね)を処刑するよう命ずる(*→〔相撲〕4a)。真根の仲間の男が、「あたらしき猪名部の工匠(たくみ)かけし墨縄 其(し)が無けば誰かかけむよあたら墨縄(*惜しいことだ。猪名部の工匠がいなくなったら、誰が墨縄を張るのだろうか)」という歌を詠んだ。天皇はそれを聞いて、真根を惜しむ心を起こし、処刑を取りやめた。
『雲は天才である』(石川啄木) 21歳の「自分(新田(あらた)耕助)」は、村の小学校の月給8円の代用教員である。職員は、校長と首座訓導と女教師と「自分」の4人だけだ。2~3日前、「自分」は生徒たちが日常朗唱すべき、校歌といったような性質の歌詞を作り、自ら作曲した。生徒たちは喜んでその歌を歌い出した。すると校長は、「私の認可なしに、勝手に校歌を作るとはけしからん」と言って怒った〔*そこへ乞食同然の青年が「自分」を尋ねて来るところで、小説は途切れる。未完の作品である〕。
『熊野(ゆや)』(能) 遊女熊野(湯谷)は、平宗盛のために都に留め置かれるが、故郷遠江の老母の病気を見舞うことを願う。「いかにせむ都の春も惜しけれどなれし東の花や散るらむ」の歌を詠むと、宗盛はその歌に感じ、暇(いとま)を与える。
『上海帰りのリル』(島耕二) 太平洋戦争末期の上海。山本謙吉は、キャバレー「クリフサイド・クラブ」のダンサー竹本リルと知り合った。しかしヤクザとのトラブルで、リルは誘拐されたのか殺されたのか、消息不明になった。終戦後、日本へ帰った山本は、「リルも日本に戻ったかもしれない」と思う。彼は闇商売で金をもうけ、横浜に「クリフサイド・クラブ」を再現する。親友岡村が「上海帰りのリル」の歌を作ってくれたので、山本はこの歌を日本中にはやらせ、リルを呼び寄せようと考える→〔最期の言葉〕1。
*「上海帰りのリル」の歌のせいで、完全犯罪が崩れる→〔アリバイ〕6の『捜査圏外の条件』(松本清張)。
*歌を歌って、怪物を呼び寄せる→〔美女奪還〕4の『モスラ』(本田猪四郎)。
『ビルマの竪琴』(竹山道雄)第1話「うたう部隊」 ビルマ戦線にいたわれわれの部隊は、音楽学校出身の隊長の指導で、よく合唱をした。イギリス軍に包囲された時、われわれは包囲に気づかないふりをして、『庭の千草』や『埴生の宿』(ともに原曲はイギリスの歌謡)を合唱しながら戦闘準備をした。するとイギリス兵たちも、同じように歌い始めた。こうなると敵も味方もない。両軍は一緒になって合唱し、双方から兵隊が出て行って手を握り合った〔*3日前に日本が降伏したことをわれわれは知らず、イギリス軍はわれわれの徹底抗戦を想定していた〕。
『古事記』中巻 倭建命の后・弟橘比売は走水の海に沈む時(*→〔畳〕3)、浪の上に畳を敷き、「さねさし相模(さがむ)の小野に燃ゆる火の火中(ほなか)に立ちて問ひし君はも(炎の中で私の安否を問うて下さった君(=倭建命)よ)」と歌った〔*それから7日後に后の櫛が海辺に流れ寄ったので、御陵(みはか)を作って櫛を納めた〕。
『大和物語』第147段 2人の男に求婚された津の国の女は、「すみわびぬ我が身投げてむ津の国の生田の川は名のみなりけり」と詠んで生田川に投身した。
★7.覚悟の入水でなく、思いがけず水に落ちた時も、歌をうたう。
『古事記』中巻 大山守命は天下を得るため、弟・宇遅能和紀郎子(ウヂノワキイラツコ)を殺そうとする。しかし宇遅能和紀郎子は船頭に変装し、それと知らずに船に乗った大山守命を、宇治河へ落とす。大山守命は「ちはやぶる宇治の渡りに棹執りに速けむ人しわがもこに来む(=棹使いの上手な人よ、助けに来てくれ)」と歌いながら河を流れ、やがて沈む。
『猿婿入り』(昔話) 臼を背負った猿婿が、嫁の頼みで川端の桜を1枝取ろうと木に登るが、枝が折れて川に落ちる。猿婿は、「猿沢に流るる命は惜しくあらねども、あとで嫁こはお泣きしやるらん」と歌って、川を流れて行く(山形県最上郡真室川町及位。*嫁は実家に帰り、その後幸せに暮らした)。
『ハムレット』(シェイクスピア)第4幕 オフィーリアは、恋人のハムレットから「尼寺へ行け」と言われ(*→〔狂気〕2)、さらに父ポローニアスがハムレットに殺されたため、正気を失う。彼女は野原をさまよい、川辺の柳の枝に花冠をかけようとした時、枝が折れて流れに落ちる。しばらくは川面をただよい、歌を口ずさむが、やがて川底へ沈む。
★8a.歌合。
『沙石集』巻5末-4 天徳の歌合(960)の時、「初恋」の題で、壬生忠見は「恋すてふ我が名はまだき立ちにけり人知れずこそ思ひそめしか」と詠み、「名歌を詠んだ」と思って勝利を確信した。しかし、平重盛の「つつめども(*「しのぶれど」とも伝えられる)色に出でにけり我が恋はものや思ふと人の問ふまで」の歌に負けてしまった。壬生忠見は落胆し不食の病になって、ついに死んでしまった。
★8b.歌合戦。
『ギリシア神話』(アポロドロス)第1巻第3章 美貌と吟唱に優れたタミュリスは、芸術の女神ムーサたちと歌の技を競った。彼が勝てばムーサたちを我がものにできる約束だったが、負けたため、彼は両眼と吟唱の技とを奪われた。
『タンホイザー』(ワーグナー)第2幕 愛の女神ヴェヌスの洞窟から人間世界へ戻ったタンホイザーは(*→〔穴〕1)、ワルトブルク城の歌合戦に臨む。ヴォルフラムが清らかな愛の尊さを歌ったのに対し、タンホイザーは「愛の本質は性の歓楽である」と歌い、「愛を知らぬ憐れな者たちはヴェヌスブルク(ビーナスの丘)へ登るが良い」と言い放つ。人々は怒り、タンホイザーは追放されて、ローマへの巡礼の旅に出る→〔あり得ぬこと〕1a。
『ニュルンベルクのマイスタージンガー』(ワーグナー) ニュルンベルクにやって来た騎士ヴァルターは、金細工師ポーグナーの娘エヴァに一目ぼれする。聖ヨハネ祭の歌合戦で優勝すればエヴァと結婚できるので、ヴァルターは出場資格を得るためマイスタージンガーの組合に加入しようとするが、恋敵に妨害される。靴屋ハンス・ザックスの援助で、ヴァルターは自作の恋愛歌を歌うチャンスを得、歌合戦に勝利を収めてエヴァと結婚する。
『ホメロスとヘシオドスの歌競べ』 アウリスで先王の葬礼競技が催され、ホメロスとヘシオドスが、さまざまな詩句を朗誦し合って技を競った。最後にホメロスが『イリアス』、ヘシオドスが『仕事と日』の詩節を朗誦すると、パネーデース王が「戦争と殺戮を歌う者よりも、農業と平和を勧める者を勝利者とすべきだ」と言って、ヘシオドスに冠を与えた。
『李娃伝』(白行簡) 名家の青年が、おちぶれて長安の葬式人夫になった。青年は歌の才能があったので、挽歌を誰よりも上手に歌えるようになる。長安の東と西の葬儀屋が、葬儀道具くらべの大会を催し、最後に挽歌の歌合戦が行なわれる。青年は東組の歌い手として出場し、素晴らしい歌唱で西組を圧倒する〔*しかし青年の父が、零落した息子を見て激怒し、鞭で打つ。青年は身体をこわし、ついに乞食になる〕→〔遊女〕3。
★9.歌のとおりに殺人事件が起こる。
『僧正殺人事件』(ヴァン・ダイン) 「誰が殺したクック・ロビン」の『マザー・グース』の歌詞のとおりに、連続殺人事件が起こる。それは、ある人物を犯人として陥れるために、真犯人が仕組んだものだった。
*→〔偽死〕4の『そして誰もいなくなった』(クリスティ)。
『十訓抄』第10-10 能因は、「都をば霞とともに立ちしかど秋風ぞ吹く白河の関」の歌を、都にいて作った。彼は、しばらく身を隠し、日に当たって色を黒くした後に、「奥州修行の折に詠んだ歌である」と言って、この歌を披露した。
★10b.虚構の新体詩。友人の体験を聞いて、現地へ行かずに詩を作る。
『故郷七十年』(柳田国男)「文学の思い出」 「私(柳田国男)」が21歳の頃。渥美半島の伊良湖岬で、南の海の果てから漂着した椰子の実を見た。東京へ帰って島崎藤村にその話をすると、彼は「君、その話を僕にくれ給えよ。誰にも言わずにくれ給え」と言った。そして彼は、現地へ行かずに『椰子の実』の歌詞を作った。「そをとりて胸にあつれば」などというのも、全くのフィクションである。
★11.歌による占い。
『歌占』(能) 伊勢の神職渡会の家次が男巫となり(*→〔蘇生者の言葉〕2)、歌を記した多くの短冊を小弓につけて、占いを請う人に短冊1枚を引かせる。父を尋ね歩く少年が来て短冊を引くと、「鶯の卵のうちのほととぎす、しゃが父に似てしゃが父に似ず」の歌が出る。それは「すでに父と出会っている」ことを意味する歌だったので、渡会の家次は、目前の少年が8年前に別れた我が子幸菊丸と知る。
★12.神の歌。託宣歌。
『古本説話集』上-6 和泉式部が貴船神社に詣で、「飛ぶ蛍を 我が魂かと見る(*→〔蛍〕3)」と詠ずると、貴船明神が「奥山に たぎりて落つる 滝の瀬に たま散るばかり 物な思ひそ」と返歌した。その歌は男の声で和泉式部の耳に聞こえたのだった。
『狭衣物語』巻4 賀茂明神が束帯姿で堀川関白の夢に現れ、「光失する 心地こそせめ 照る月の 雲かくれ行く ほどを知らずは」の歌を詠じた。これは、堀川関白の息子狭衣が出家の決意をしたことを知らせる歌であった。堀川関白は狭衣のもとへ急行し、遁世を思いとどまらせた。
『平家物語』巻7「主上都落」 平家一門が安徳天皇を擁して都落ちする騒ぎの中、摂政藤原基房の車の前を童子が走り過ぎた。その左袂には「春の日」という文字が見え、「いかにせん 藤のすゑ葉の かれゆくを ただ春の日に まかせてや見ん」と詠ずる声が聞こえた。藤原氏の氏神春日大明神のお告げと知った基房は、都にとどまった。
*歌の力で鬼を退ける→〔鬼〕4aの『太平記』巻16「日本朝敵の事」。
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