平宗盛とは? わかりやすく解説

たいら‐の‐むねもり〔たひら‐〕【平宗盛】

読み方:たいらのむねもり

[1147〜1185]平安末期武将清盛三男従一位内大臣源義仲の軍に追われ安徳天皇奉じて京を離れた。のち、義経の軍に一ノ谷の戦い敗れ壇ノ浦の戦い大敗捕らえられ近江(おうみ)で斬られた。


平宗盛

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/20 06:18 UTC 版)

平 宗盛(たいら の むねもり)は、平安時代末期の平家一門の武将貴族公卿平清盛の三男。母は清盛の継室平時子。時子の子としては長男であり、安徳天皇の母・建礼門院(平徳子)は同母妹である。官位従一位行内大臣平氏政権惣管。通称は屋島大臣など。


注釈

  1. ^ これは左大史・小槻隆職が左少弁・藤原行隆から聞いた内密の話を、隆職が兼実の邸を訪問した際に語ったものである。「天下の事、偏に前幕下の最なり。異論あるべからず」は清盛の発言とするのが一般的な解釈であるが、この発言の前に「行隆を召し仰せて云はく」という記述がある。その丁寧な語法から、行隆を召してこの発言をしたのは後白河法皇であるという説もある[18]
  2. ^ 『玉葉』寿永2年6月5日条は、北陸追討軍を4万余騎とする。
  3. ^ 『玉葉』寿永2年7月21日条は、1,080騎とする。資盛の出撃は宗盛の命令ではなく、後白河法皇の宣旨によるもので、後白河法皇は資盛を密かに見送っている。後白河法皇と小松家の関係の深さを表すものといえる。
  4. ^ 女系では宗盛の娘が平通盛(宗盛の父清盛の異母弟平教盛の嫡男、宗盛の従弟)に嫁ぎ、通衡を生んでいる。外孫・通衡は後に出家している(没年は不明)。なお、「鶴岡八幡宮供養次第」によると鎌倉幕府第3代将軍源実朝暗殺の際に嫌疑をかけられた教盛の孫とされる僧がいるが、出家した通衡か教盛の別の孫なのかは不明。いずれにせよ、現段階で通衡が記録上では宗盛最後の直系子孫となる。

出典

  1. ^ 兵範記』同日条
  2. ^ 公卿補任
  3. ^ 山槐記』応保元年11月18日条
  4. ^ 『兵範記』仁安元年11月13日条
  5. ^ 『兵範記』嘉応元年12月23日条
  6. ^ 玉葉』同日条
  7. ^ 『玉葉』治承3年11月14日条
  8. ^ 『玉葉』治承4年5月21日条
  9. ^ 『玉葉』治承4年5月22日条
  10. ^ 『玉葉』治承4年8月12日条
  11. ^ 『玉葉』治承4年11月5日条
  12. ^ 吉記』治承4年11月12日条
  13. ^ 『玉葉』治承4年12月14日条
  14. ^ 『玉葉』治承4年12月16日条
  15. ^ 『玉葉』治承5年2月26日条
  16. ^ 『玉葉』閏2月1日条
  17. ^ 『玉葉』治承5年閏2月5日条
  18. ^ 高橋昌明『平清盛 福原の夢』講談社、2007年
  19. ^ 『玉葉』治承5年閏2月6日条
  20. ^ 『玉葉』治承5年閏2月7日条
  21. ^ a b c 『吉記』同日条
  22. ^ 『玉葉』治承5年3月28日条
  23. ^ 『玉葉』治承5年7月1日条
  24. ^ 『玉葉』養和元年7月24日条
  25. ^ 『玉葉』養和元年8月1日条
  26. ^ a b c 百錬抄
  27. ^ 『玉葉』養和元年8月15日条
  28. ^ 『吉記』養和元年9月10日条
  29. ^ 『玉葉』養和元年9月12日条
  30. ^ 『玉葉』養和元年9月6日条
  31. ^ 『玉葉』養和元年10月10日条
  32. ^ 『吉記』養和元年11月20日条
  33. ^ a b c d 『吉記』
  34. ^ 明月記
  35. ^ 『玉葉』養和2年3月9日条
  36. ^ 『玉葉』養和2年3月12日条
  37. ^ a b 『玉葉』
  38. ^ a b 『百錬抄』『玉葉』『吉記』
  39. ^ 『吉記』寿永2年2月21日条
  40. ^ 『玉葉』寿永2年4月14日条
  41. ^ 『玉葉』寿永2年5月16日条
  42. ^ 『吉記』同日条、『玉葉』寿永2年6月9日条
  43. ^ 『吉記』寿永2年6月18日条
  44. ^ 『吉記』寿永2年6月29日条
  45. ^ 『百錬抄』7月8日条、『吉記』7月12日条
  46. ^ 『吉記』寿永2年7月10日条
  47. ^ a b 『吉記』寿永2年7月16日条
  48. ^ 『吉記』寿永2年7月21日条
  49. ^ 『玉葉』寿永2年7月22日条、『吉記』同7月24日条
  50. ^ 『吉記』寿永2年7月24日条
  51. ^ 『玉葉』養和元年9月19日、29日条
  52. ^ 『愚管抄』
  53. ^ 『吉記』寿永2年7月25日条
  54. ^ 『玉葉』寿永2年11月14日条
  55. ^ 『玉葉』寿永2年9月21日条
  56. ^ 『玉葉』寿永2年閏10月2日条
  57. ^ 『玉葉』寿永2年閏10月21日条
  58. ^ 『玉葉』寿永2年12月2日条
  59. ^ 『玉葉』寿永2年11月27日条
  60. ^ 『玉葉』寿永3年正月9日条
  61. ^ 『玉葉』寿永3年正月13日条
  62. ^ 『百錬抄』寿永3年正月8日条
  63. ^ 『百錬抄』寿永3年正月29日条、『玉葉』同2月1日条
  64. ^ 『玉葉』寿永3年2月8日条
  65. ^ 『玉葉』2月10日条
  66. ^ 『吾妻鏡』寿永3年2月20日
  67. ^ 『玉葉』寿永3年2月19日条
  68. ^ 『玉葉』寿永3年2月29日条
  69. ^ 『玉葉』寿永3年3月10日条
  70. ^ 『玉葉』『百錬抄』『吾妻鏡』同日条
  71. ^ 『玉葉』同日条
  72. ^ 平宗盛 斬首の地に「首洗い池」 野洲大篠原 地元住民ら復元『京都新聞』2021年(令和3年)6月15日朝刊、滋賀版25面
  73. ^ 元木泰雄「平重盛論」(朧谷壽・山中章 編『平安京とその時代』(思文閣出版、2009年 ISBN 978-4-7842-1497-6)所収
  74. ^ a b c d 『平家物語』
  75. ^ a b 源平盛衰記


「平宗盛」の続きの解説一覧

平宗盛

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/28 22:06 UTC 版)

破戒王〜おれの牛若〜」の記事における「平宗盛」の解説

平清盛三男出来悪く甘やかされ育った女性を宗から輸入したワニトラ食べさせて楽しむ等、非常に残虐な性格

※この「平宗盛」の解説は、「破戒王〜おれの牛若〜」の解説の一部です。
「平宗盛」を含む「破戒王〜おれの牛若〜」の記事については、「破戒王〜おれの牛若〜」の概要を参照ください。


平宗盛

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/28 16:39 UTC 版)

義経 (小説)」の記事における「平宗盛」の解説

清盛三男清盛の死後、兄達が早逝していたことから跡を継ぎ平氏一門総帥となる。が、その器量甚だ凡庸で、清盛実子ではないという噂を立てられるほどの愚物屋島の戦いでは、わずか百数十騎の義経部隊数万大軍見誤って本営放棄し平氏水軍一大拠点を失うという愚にもつかぬ失態犯した

※この「平宗盛」の解説は、「義経 (小説)」の解説の一部です。
「平宗盛」を含む「義経 (小説)」の記事については、「義経 (小説)」の概要を参照ください。


平宗盛(たいらのむねもり)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 04:27 UTC 版)

神戸・清盛隊」の記事における「平宗盛(たいらのむねもり)」の解説

清盛三男「青」イケメン担当モデルのような風貌女性好き。口上『愛を貫く平家武将神戸・清盛隊イケメン担当、平 宗盛なり!』掛け声イケメン

※この「平宗盛(たいらのむねもり)」の解説は、「神戸・清盛隊」の解説の一部です。
「平宗盛(たいらのむねもり)」を含む「神戸・清盛隊」の記事については、「神戸・清盛隊」の概要を参照ください。


平宗盛

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/19 06:21 UTC 版)

遮那王義経」の記事における「平宗盛」の解説

清盛三男で、清盛亡き後平家棟梁。常に公家風の厚化粧をしている。清盛比べて器量がなく、京が危うくなる早々に都落ち決定してしまい、合戦指揮弟たち任せるなど無能な面が目立つ。壇ノ浦の戦いでは敗北決まった際に自決しようとする躊躇してなかなか入水できずにいたところを盛によって捕らえられてしまう。捕虜になったあとは義経媚びて命乞いをするも頼朝によって処刑命じられ息子清宗の助命託し最期武家の棟梁らしい態度処刑された。

※この「平宗盛」の解説は、「遮那王義経」の解説の一部です。
「平宗盛」を含む「遮那王義経」の記事については、「遮那王義経」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「平宗盛」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



平宗盛と同じ種類の言葉


固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「平宗盛」の関連用語

平宗盛のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



平宗盛のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
デジタル大辞泉デジタル大辞泉
(C)Shogakukan Inc.
株式会社 小学館
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの平宗盛 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの破戒王〜おれの牛若〜 (改訂履歴)、義経 (小説) (改訂履歴)、神戸・清盛隊 (改訂履歴)、遮那王義経 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS