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たいら-のむねもり たひら― 【平宗盛】

(1147-1185) 平安末期武将清盛の子内大臣従一位清盛死後一門統率して源氏対抗、壇浦で捕らえられ、近江篠原義経に斬られた。


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平宗盛

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/01/15 03:25 UTC 版)

平 宗盛(たいら の むねもり)は、平安時代末期の平家一門の武将公卿平清盛の三男。母は清盛の継室平時子。時子の子としては長男であり、安徳天皇の母・建礼門院は同母妹である。官位従一位行内大臣。通称は屋島大臣など。


  1. ^ これは左大史・小槻隆職が左少弁・藤原行隆から聞いた内密の話を、隆職が兼実の邸を訪問した際に語ったものである。「天下の事、偏に前幕下の最なり。異論あるべからず」は清盛の発言とするのが一般的な解釈であるが、この発言の前に「行隆を召し仰せて云はく」という記述がある。その丁寧な語法から、行隆を召してこの発言をしたのは後白河法皇であるという説もある(高橋昌明『平清盛 福原の夢』講談社、2007年)。
  2. ^ 『玉葉』6月5日条は、北陸追討軍を4万余騎とする。
  3. ^ 『玉葉』7月21日条は、1080騎とする。資盛の出撃は宗盛の命令ではなく、後白河法皇の宣旨によるもので、後白河法皇は資盛を密かに見送っている。後白河法皇と小松家の関係の深さを表すものといえる。


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