『古事記』とは? わかりやすく解説

『古事記』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/06 23:07 UTC 版)

「黄泉」記事における「『古事記』」の解説

黄泉国には出入口存在し黄泉比良坂よもつひらさか)といい、葦原中国つながっているとされるイザナギ死んだ妻・イザナミ追ってこの道を通り黄泉国入ったという。古事記には後に「根の堅州国」(ねのかたすくに)というものが出てくるがこれと黄泉国との関係については明言がなく、根の国黄泉国が同じものなのかどうかは説が分かれる黄泉比良坂の「坂本」という表現があり、これは坂の下・坂の上り口を表しているという説と、「坂」の字は当て字であり「さか」は境界の意味であるという説とがある。また古事記では、黄泉比良坂は、出雲国存在する伊賦夜坂(いぶやざか)がそれであるとしており、現実土地に擬されている。 そこで変わり果てたイザナミの姿を目撃したイザナギが、黄泉の国から逃げ帰る場面が以下のように表現されている。 逃來猶追到黄泉比良坂坂本時(訳)逃げ来るを、猶ほ追ひて、黄泉比良坂坂本至りし時 口語訳では「(イザナギが)逃げるのを、(イザナミは)まだ追いかけて、(イザナギが)黄泉比良坂坂本着いたとき」となる。この時、追いすがる妻やその手下の黄泉醜女(しこめ)達を退けるため、黄泉路ふさいだ大石を、道反大神(ちがえしのおおかみ)といった。道反大神岐神として、日本各地祀られている。 そしてさらにその場にあったの木から実をもぎ取って投げつけることで黄泉醜女追い払っており、このときの功績によって意富加牟豆美命(おおかむつみのみこと)という神名賜り、「これからも(今私にしてくれたように困った人助けておくれ」と命じられた。 イザナミ逃げ帰るイザナギ対し、「1日1000人殺す」と脅した一方イザナギは「1日1500産屋建てる」(1500新しく生まれさせる)と応酬した。これによりイザナミ黄泉津大神呼ばれる

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『古事記』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/12 07:35 UTC 版)

神武東征」の記事における「『古事記』」の解説

神倭伊波礼毘古命カムヤマトイワレビコ若御毛沼命)は、兄の五瀬命イツセとともに日向高千穂で、葦原中国治めるにはどこへ行くのが適当か相談し東へ行くことにした。彼らは、日向出発し筑紫向かい豊国の宇沙(現・宇佐市)に着く。菟狭津彦命ウサツヒコ)・宇沙都比売(ウサツヒメ)の二人が足一騰宮(あしひとつあがりのみや)を作って彼らに食事差し上げた。彼らはそこから移動して筑紫国岡田宮1年過ごし、さらに阿岐国の多祁理宮(たけりのみや)で7年吉備国高島宮8年過ごした速吸門で亀に乗った国津神会い水先案内として槁根津日子という名を与えた浪速国の白肩津に停泊すると、登美能那賀須泥毘古ナガスネビコ)の軍勢待ち構えていた。その軍勢との戦いの中で、五瀬命那賀須泥毘古が放った矢に当たってしまった。五瀬命は、「我々は日の神御子だから、日に向かって(東を向いて)戦うのは良くない廻り込んで日を背にして(西を向いて戦おうと言った。それで南の方へ回り込んだが、五瀬命紀国男之水門着いた所で亡くなった神倭伊波礼毘古命熊野まで来た時、大熊現われてすぐに消えた。すると神倭伊波礼毘古命始め彼が率いていた兵士たちは皆気を失ってしまった。この時、熊野高倉下タカクラジ)が、一振り大刀持って来ると、神倭伊波礼毘古命はすぐに目が覚めた高倉下から神倭伊波礼毘古命がその大刀受け取ると、熊野荒ぶる神自然に切り倒されてしまい、兵士たち意識回復した神倭伊波礼毘古命高倉下大刀手に入れた経緯尋ねた高倉下によれば高倉下夢に天照大神高木神タカミムスビ)が現れた。二神建御雷神呼んで、「葦原中国騒然としており、私の御子たちは悩んでいる。お前は葦原中国平定させたのだから、再び天降りなさい」と命じたが、建御雷神は「平定使った大刀降ろしましょう」と答えた。そして高倉下に、「倉の屋根に穴を空けてそこから大刀を落とすから、天津神御子元に運びなさい」と言った。目が覚めて自分の倉を見ると本当に大刀があったので、こうして運んだという。その大刀甕布都神、または布都御魂と言い、現在は石上神宮鎮座している。 また、高木神命令遣わされ八咫烏案内で、熊野から吉野川辺経て、さらに険しい道を行き大和宇陀至った宇陀には兄宇迦斯(エウカシ)・弟宇迦斯(オトウカシ)の兄弟がいた。まず八咫烏遣わして神倭伊波礼毘古命仕えるか尋ねさせたが、兄の兄宇迦斯は鳴鏑射て追い返してしまった。兄宇迦斯は神倭伊波礼毘古命迎え撃とうとしたが、軍勢集められなかった。そこで、神倭伊波礼毘古命仕えると偽って御殿作ってその中に押機(踏むと挟まれて、あるいは、天上や石が落ちてきて、押し潰すことで、圧死する罠)を仕掛けた。弟の弟宇迦斯は神倭伊波礼毘古命にこのことを報告した。そこで神倭伊波礼毘古命は、大伴氏大伴連)らの祖の道臣命(ミチノオミ)と久米直らの祖の大久米命(オオクメ)を兄宇迦斯に遣わした二神は矢をつがえて仕えるというなら、まずお前が御殿入って仕え様子見せろ」と兄宇迦斯に迫り、兄宇迦斯は自分仕掛けた罠にかかって死んだその後圧死した兄宇迦斯の死体引き出しバラバラ切り刻んで撒いたため、その地を「宇陀の血原」という。 忍坂の地では、土八十建待ち構えていた。そこで神倭伊波礼毘古命八十建御馳走与えそれぞれに刀を隠し持った調理人をつけた。そして合図とともに一斉に打ち殺したその後兄師木エシキ)・弟師木オトシキ)の兄弟戦った最後に登美毘古ナガスネビコ)と戦い、そこに邇藝速日命ニギハヤヒ)が参上し天津神御子としての印の品物差し上げて仕えた。 こうして荒ぶる神たちや多くの土豪族)を服従させ、神倭伊波礼毘古命は畝火の白檮原宮で神武天皇として即位したその後大物主神の子である比売多多良伊須気余理比売ヒメタタライスケヨリヒメ)を皇后とし、日子八井命(ヒコヤイ)、神八井耳命(カムヤイミミ)、神沼河耳命(カムヌナカワミミ、後の綏靖天皇)の三の子生んだ

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『古事記』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/02 07:21 UTC 版)

キサガイヒメ・ウムギヒメ」の記事における「『古事記』」の解説

大国主の神話で、たくさんの兄神たちである八十神から嫉視された大国主神が、八十神偽って山上より転がした焼ける岩を抱き止めて焼け死んだところへ、神産巣日之命の命令によって両神派遣され、キサカイヒメが「刮(きさ)げ集め」、ウムカイヒメが「持ち承(う)けて、母(おも)の乳汁(ちしる)を塗り」て治療を施すと大国主神蘇生したとある。 ここの記述については、粉末にした赤貝の殻を母乳見立てたの白い汁で溶き火傷治療使ったという民間療法を表すとする説があるが、一方での汁が母乳見立てられた点を重視し、これは母乳の持つ生命力促進回復効能期待して蘇生利用したもので、神名の「ウム」から「母(おも)」が喚起され、そこから「母乳による蘇生」という一つ神話素(英語版)が形成されたものと指摘する説もある。なお、『和名抄』に「海蛤ウムキノカヒ」とあり、古くから薬剤として利用されていた。 一方赤貝『和名抄』に「キサ」とあり、「状(かたち)ノ如ク円クシテ厚ク、外理(すじ)有リ縦横ナリ」とあるので、貝殻表面付いた「刻(きざ)」(年輪)から名付けられたものであり、「刮(きさ)げ集め」の部分赤貝の殻を削ってその粉を集めた解釈できるが(「刮キサぐ」は「削る」意味で「刮コソぐ」とも読める)、赤貝の殻がどのような効能を持つものとされていたかは不明である。キサカイヒメが「きさげ集め」の語を喚起しているのは確かであるものの、その点以外でこの説話及びウムギヒメとどう関連するのかは語られないため、キサカイヒメの「キサ」に「父」の古語である「カソ」の音を響かせ、ウムカイヒメの「ウム=母(おも)」に対するものとして登場させたとする説もある。

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『古事記』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/04 01:31 UTC 版)

ツクヨミ」の記事における「『古事記』」の解説

上巻では、月讀命は伊邪那伎命の右目を洗った際に生み成され天照大御神須佐之男命とともに「三貴き子」と呼ばれる月讀命は、伊耶那伎命から「夜の食国を知らせ」と命ぜられるが、これ以降活躍一切ない。夜を治める月は「日月分離」(後述)後の満月現す考えられる

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『古事記』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/05 22:28 UTC 版)

神世七代」の記事における「『古事記』」の解説

『古事記』では、別天津神次に現れ十二七代の神を神世七代としている。最初二代一柱一代その後二柱一代数えて七代とする。 国之常立神(くにのとこたちのかみ別天津神5代目) 豊雲野神(とよぐもぬのかみ) 宇比地邇神(うひぢにのかみ)・須比智邇神(すひぢにのかみ) 角杙神(つぬぐいのかみ)・活杙神(いくぐいのかみ) 意富斗能地神おおとのぢのかみ)・大斗乃弁神おおとのべのかみ) 淤母陀琉神(おもだるのかみ)・阿夜訶志古泥神あやかしこねのかみ) 伊邪那岐神いざなぎのかみ)・伊邪那美神いざなみのかみ) (左側男神右側女神

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