よこみぞ‐せいし【横溝正史】
横溝正史
横溝正史(よこみぞ・せいし)
1902年(明35)、神戸市生まれ。大阪薬専卒。横溝亮一は長男。戦後、「新青年」編集長を務めた横溝武夫は異母弟。渡辺剣次は一時、義理の息子だったが、のち離婚に至る。
神戸二中時代、西田政治らの影響で探偵小説に開眼する。ビーストンを発見したのは中学生時代の横溝正史。別名山名耕作、阿部鞠哉、蓼科三。
1921年(大10)、「恐ろしき四月馬鹿」が「新青年」に投稿に一等入選。
1921年(大10)、「深紅の秘密」が「新青年」増刊の特別懸賞に三等入選。
1921年(大10)、「一個の小刀より」が「新青年」の懸賞に一等入選。
1925年(大14)、探偵小説趣味の会を結成し、江戸川乱歩と知り合う。。
1925年(大14)、江戸川乱歩の勧めで上京。
1925年(大14)に「苦楽」に発表した「丘の三軒家」は探偵趣味の会の「創作探偵小説集 第一号(1925年版)」に収録される。
1926年(大15)に「小説サンデー毎日特別号」に発表した「飾窓の中の恋人」は探偵趣味の会の「創作探偵小説集 第ニ号(1926年版)」に収録される。
1927年(昭2)、江戸川乱歩の紹介で、「新青年」編集長に就任し、モダニズムが横溢する誌面を構成。この時代に「犯罪を猟る男」「角男」「あてるてえるふいるむ」など江戸川乱歩の代作がある。
1927年(昭2)、「大衆文芸」に発表した「山下耕作の不思議な生活」は探偵趣味の会の「創作探偵小説集 第三号(1927年版)」に収録される。
1928年(昭3)、「文芸倶楽部」の編集に携わる。
1928年(昭3)に「小説サンデー毎日特別号」に発表した「劉夫人の腕環」は探偵趣味の会の「創作探偵小説集 第四号(1928年版)」に収録される。
1931年(昭6)、「探偵小説」の編集に携わる。クイーンの「オランダ靴の謎」、メースンの「矢の家」、ベントリーの「トレント最後の事件」、ミルンの「赤い館の秘密」、クロフツの「樽」などを掲載。
デビュー時には、明るく都会的なモダニズムが溢れ、ユーモアとペーソスとウィットに富む作風だったが、
1932年(昭7)、森下雨村の退社と機を同一にし、博文館を退社し、文筆専業となるが、1933年(昭8)、「新青年」に「面影双紙」を発表してまもなく、喀血。「新青年」に「死婚者」を発表するはずだったが、書けなくなったため、「新青年」は代打として小栗虫太郎を「完全犯罪」でデビューさせた。
横溝正史は信州の正木不如丘の富士見高原療養所に転地療養をする。療養再起後、1935年(昭10)、「新青年」に「鬼火」を発表してからは、因習に根ざした邪悪を耽美幻想的に描写する作品に転じていった。谷崎潤一郎や佐藤春夫など、日本の耽美主義文学の影響が見受けられる。1937年(昭12)からは戦時下につき、探偵小説の注文も途絶えるようになったので、捕物帳、時代小説、少年物も手がけるようになった。
1935年(昭10)、「新青年」に「蔵の中」を発表。
1937年(昭12)、「不知火甚左捕物双紙」を「講談倶楽部」に発表。
1938年(昭13)、「人形佐七捕物帳」の第一話「羽子板娘」を「講談倶楽部」に発表。
1942年(昭17)、井上英三から借りた原書によってディクスンカーを知り、1945年(昭20)、岡山県に疎開後は一変して、本格物を指向するようになった。
1946年(昭21)、「宝石」に発表された「」は、1948年(昭23)、第1回探偵作家クラブ賞を受賞。同時平行して「ロック」に執筆された「蝶々殺人事件」も第1回探偵作家クラブ賞長編賞の候補となり、戦後本格の隆盛を導いた。「蝶々殺人事件」は1946年(昭21)に没した小栗虫太郎の「悪霊」第一回の後を追って掲載された。
1946年(昭21)に「新青年」に発表した「探偵小説」が第1回探偵作家クラブ賞短編賞の候補となる。同時に探偵作家クラブの「探偵小説年鑑1948年版」に収録される。
1947年(昭22)に「小説」に発表された「」(黒猫)が、1949年(昭24)、第2回探偵作家クラブ賞長編賞の候補となる。
1947年(昭22)に「サンデー毎日増刊」に発表した「泣虫小僧」が、探偵作家クラブの「探偵小説年鑑1949年版」に収録される。
1948年(昭23)、「宝石」に連載された「」は、1949年(昭24)、第2回探偵作家クラブ賞長編賞の候補となる。日本屈指の名作として名高い。
1949年(昭24)、「時事新報」に発表した「女が見ていた」が1950年(昭25)、第3回探偵作家クラブ賞長編賞の候補となる。
1951年(昭26)に「改造」に発表した「百日紅の下にて」が、探偵作家クラブの「探偵小説年鑑1951年版」に収録される。
1949年(昭24)、「読物春秋」に発表した「車井戸はなぜ軋る」で1950年(昭25)、第3回探偵作家クラブ賞短編賞の候補となる。同時に探偵作家クラブの「探偵小説年鑑1950年版」に収録される。
1951年(昭26)に「新青年」「宝石」に発表した「」が、1952年(昭27)に第5回探偵作家クラブ賞の候補となる。
1953年(昭28)に「宝石」に発表した「悪魔が来たりて笛を吹く」が、1954年(昭29)に第7回探偵作家クラブ賞の候補となる。
1954年(昭29)に「オール讀物」に発表した「蜃気楼島の情熱」が、1955年(昭30)に第7回日本探偵作家クラブ賞の候補となる。また、日本探偵作家クラブの「探偵小説年鑑1955年版」に収録される。
1955年(昭30)に「オール讀物」に発表した「廃園の鬼」が、1956年(昭31)に第9回日本探偵作家クラブ賞候補作となる。また、日本探偵作家クラブの「探偵小説年鑑1956年版」に収録される。
1956年(昭31)に「オール讀物」に発表した「迷路荘の怪人」は日本探偵作家クラブの「探偵小説年鑑1957年版」に収録される。
1957年(昭32)に「太陽」に発表した「支那扇の女」は日本探偵作家クラブの「探偵小説年鑑1958年版」に収録される。
1957年(昭32)、「宝石」に「」を発表。
1958年(昭33)に「オール読物」に発表した「悪魔の降誕祭」が日本探偵作家クラブの「探偵小説年鑑1959年度版」に収録される。
長らく乗り物恐怖症であり、外出ができなかったが、1960年(昭35)頃からアルコールの助けをかりて克服し、外出できるようになった。酒豪としても有名である。編み物も得意。
1970年(昭45)に講談社より「横溝正史全集」が刊行され、「少年マガジン」にて「八つ墓村」がマンガ化、さらに角川文庫から文庫が発刊されるに及んで、1974年(昭49)頃から横溝ブームが起こる。2000年(平12)には角川文庫だけで6,000万部を突破した。
1971年(昭46)、「探偵小説五十年」を発表。
1974年(昭49)、「仮面舞踏会」を刊行。
1976年(昭51)、勲三等瑞宝章叙勲。
1975年(昭50)、「病院坂の首縊りの家」を「野性時代」に発表。この作品は1978年(昭53)に「週刊文春」の78年「傑作ミステリーベスト10」の9位に選ばれる。
1979年(昭54)、「野性時代」に「悪霊島」を掲載し、1980年(昭55)に「週刊文春」の80年「傑作ミステリーベスト10」の7位に選ばれる。
1981年(昭56)、結腸癌のため死去。
2004年(平16)、生誕地である神戸市東川崎に記念碑が設立される。
横溝正史に関するサイト:「かけや's Pages & 横溝正史クロニクル」
横溝正史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/12 23:05 UTC 版)
1902年〈明治35年〉5月24日 - 1981年〈昭和56年〉12月28日)は、日本の推理作家[注 2]。戦前にはロマン的な『鬼火』、名探偵・由利麟太郎が活躍する『真珠郎』、戦後には名探偵・金田一耕助を主人公とする『獄門島』『八つ墓村』『犬神家の一族』などの作品を著した。
(よこみぞ せいし、本名: よこみぞ まさし、注釈
- ^ 大阪薬専は3年制で専攻科もなかったので、薬学得業士の称号は有さないと思われる。
- ^ 「探偵作家」を自負し、「推理作家」と呼ばれることに抵抗を感じていた[1]
- ^ 江戸時代に柳井原村の村役人であった者の氏名には、主として庄屋文書(名主の項目も参照)に載っているところでは横溝の氏を称したものが多い[11]。
横溝の長男・亮一によると、柳井原はどこもかしこも横溝姓だらけで、鎌倉幕府末期の武将・北条泰家(第14代執権高時の弟)が分倍河原の戦いで新田義貞軍に敗れた際に家臣の横溝八郎が泰家を逃すために討ち死にし、逃れてきた八郎の一族が柳井原に移り住んだことによるものと言われており、城跡があることから侍であった横溝一族が横溝城という城(#関連項目の梁場山城も参照)も築いたと柳井原の人は信じているとのことである[12]。 - ^ 「柿木」は「かきのき」と読む[14]。『横溝正史の世界』には「柿の木」と記載されている[15]。生薬屋の注釈で後述するように、総社町を中心に、真備町岡田や清音村あたりまで「備中売薬」という置き薬が盛んな地で、かつては「日本五大売薬」に挙げられる時代もあった[16]。
- ^ 生薬屋は母親が営んでいたもので、母親の生家の柿木は総社に近く、その辺一帯が置き薬の製造販売が盛んな地であったことから、母親の生家もそれに関係していたのではないかというのが、横溝の長女・冝子(現・高松冝子)の説である[15]。
- ^ この時の規制は連載のみで単行本化はできたので本人によるとこの方の印税で終戦まで食いつなげたという。
- ^ 『金田一耕助のモノローグ』には「4月の終わりか5月上旬のことであったろう」と記載されている[22]。
- ^ 清張と正史のお互いに対する考えは、「松本清張#推理作家」の横溝正史に関する記述を参照。
- ^ 実際には横溝は超常現象的な内容はほとんど書かない。角川文庫収録作品では話の端[要校閲]的にのせられた短編を除くと『髑髏検校』に例外的に妖怪が登場する。
- ^ 第1位は松本清張、第5位は森村誠一、第10位が高木彬光であった[27]。
- ^ 封切り初日に、プロデューサーの葛井欣士郎から作者に「先生、ヒットです、ヒットです。あまりの観客にドアがしまらないくらいです」と電話があり、京都でもヒットしていると監督の高林陽一から電話があった[28]。
- ^ 彫刻家の平櫛田中は当時103歳。別のインタビュー記事では「田中さん」となっている[29]。
- ^ アガサ・クリスティは、横溝が戯れ歌を詠んだ時点で84歳(横溝は当時72歳)。その翌年の1月12日に85歳で没したが、晩年まで現役作家であったクリスティの死を悼んで、横溝の寄稿文が朝日新聞に掲載された。
なお、横溝が酔うとよく口にした戯れ歌は長男・亮一が記したところでは「コナン・ドイルに及びもないが、せめてなりたやクリスティー」である[30]。他方、次女の野本瑠美によれば「田中さんには及びもないが、せめてなりたやクリスティー」を日ごろ口にしていたという[31]。もっとも、コナン・ドイルは71歳で没しており、「田中さんには及びもないが」の戯れ歌を詠んだ当時の横溝はその年齢を上回っている。 - ^ この4作は、長野県、静岡県、東京都、岡山県と、横溝が好んで舞台にした4つの都県を一巡している。
- ^ 『古城の秘密』は『813』の翻案作品。同書の前篇[34]は1912年(大正元年)11月15日に、後篇は1913年(大正2年)2月4日にそれぞれ武侠世界社から出版された[35][36][37]。
- ^ 横溝が『古城の秘密』前篇を読んだのは小学6年生時の1914年(大正3年)であるが、後篇は神戸中の本屋を探し回って見つからず、神戸市立図書館の目録に見つけたものの常に貸し出し中で、1917年(大正6年)にようやく閲読することができた[38]。ただし、同書を先に読んでいた同級生の西田徳重からストーリーを教えられたため、興趣をそがれた読書となってしまった[38]。
- ^ 具体的には、乱歩が1925年末に東京に引っ越し、翌1926年に横溝のもとに「トモカク スグコイ」と電報が届いた。乱歩の身を案じて慌てて東京に駆けつけると、「君の顔が見たかっただけ」と告げられ拍子抜けした。乱歩は冗談のつもりだったが反省し、正史を大手出版社・博文館に編集者として就職させた。
- ^ 乾は生前に1945年から1948年までの4年分の横溝の書簡32通を熊本市の「くまもと文学・歴史館」に寄贈した。さらに乾の没後、遺族から遺品の寄贈を受けた同館は、その中から横溝が乾に宛てた書簡240通を発見した[39]。
- ^ 出版社から探偵小説では売れないから推理小説にしてくださいといわれれば、結構ですよとはいうものの、本音は「推理作家とはおれのことかと正史いい」と歎いている旨を記している[1]。
- ^ 「辞世」に「私はまだまだ死なないつもりである。まだまだ探偵小説なるものを書いていくつもりである。」と記している[45]。
- ^ 『横溝正史読本』によれば一種のアル中だと自己診断している。
- ^ 野本によると「父はあれだけ血生臭い作品を書いていたのに、ヒゲ剃りで失敗して少し血が出るたび『大変だ!』と独りで大騒ぎしていました」と回想している[8][47]。
- ^ 野本によると、戦時中に自宅がB29の爆撃を受けた際、横溝はわざと大音量でベートーヴェンの『田園交響曲』をかけながら、「この芸術が分かるか!」と飛行機に向かって髪を振り乱しながら叫んだこともあったという[8][47]。
- ^ 1974年の夏、横溝が揮毫した色紙には「謎の骨格に論理の肉付けをして、浪漫の衣を着せましょう」と書きつけられている[61]。
- ^ 「金田一耕助シリーズ」の第1作。
- ^ 「金田一耕助最後の事件」として知られる。
- ^ 横溝正史による最後の長編。
- ^ 横溝正史の処女作の短編。
- ^ 横溝正史の最初の長編。
- ^ ノンシリーズ(シリーズ外作品)であるが映画化されており、ニューハーフの松原留美子が姉を演じて話題となった。
- ^ 主人公は不知火甚左。横溝正史の捕物帳シリーズ最初の作品。
- ^ 横溝の書いた初捕物帳。西洋人が黒幕で江戸城大奥にも絡む、大掛かりな新興宗教の本山が敵というスケールの大きな作品となっている。
- ^ 島抜けの直次郎(御家人くずれ)は後の「人形佐七」にも登場。
- ^ 「三人羽子板娘」の別題あり。
- ^ 『人形佐七捕物帳1 嘆きの遊女』嶋中文庫(2005年)収録。
- ^ 「振袖幻之嬢」の別題あり。
- ^ 振袖を着た女装美少年・幻之丞(実は大身旗本の正室(江戸御前)の息子)登場。旗本の隠し子で女装の美男という設定は、のちの女装の女狂言師「お美乃(舞台で男役の時は坂東蓑次)」として敵の屋敷に潜入する「お役者文七」に引き継がれている。
- ^ 『横溝正史時代小説コレクション-捕物篇2』出版芸術社(2004年)収録。
- ^ 『人形佐七捕物帳全集8(新装版)』春陽文庫(1984年)収録。
- ^ 花吹雪左近が難事件に挑む。
- ^ 旗本・服部左門を主人公にした捕物帳。
- ^ 性別を問わず変装できる美男・お役者文七(正体は大身旗本のご落胤)を中心に、だるま親分・その妻でお吉・女装姿の文七に惚れるお小夜などが活躍する推理群像劇。
- ^ 第一長編。中村錦之介主演で映画化(東映『お役者文七捕物暦 蜘蛛の巣屋敷』1959年)。
- ^ 題名のほかは草稿の一部が判明しているのみの「幻の作品」とされていたが、1941年6月12日 - 12月29日の『新潟毎日新聞』(途中の8月1日から『新潟新聞』と統合して『新潟日日新聞』)に連載されていたことが発見され、2018年3月8日に戎光祥出版から単行本 ISBN 978-4-86403-281-0 として刊行された。この時点では最終回の上部が28行分欠損していたため、不足部分を山口直孝、浜田知明らが補っていた。その後、他の地方紙にも連載していたことが判明し、今のところ『京都日日新聞』が初出とされている。他の連載としては『九州日日新聞』1940年10月7日 - 1941年7月15日(『愛馬召さるゝ日』の別題にて)、『徳島毎日新聞』1941年1月11日(マイクロフィルム欠落のため推定) - 8月2日が判明している。2021年4月23日には、単行本で欠損を補っていた部分を『京都日日新聞』のテキストに差し替えるなどの校合を行ったうえで、角川文庫から文庫本 ISBN 978-4-04-109300-9 として刊行された[65][66]
- ^ 『大迷宮』と『黄金の指紋』の前日談で登場人物も一部共通するなど、世界観は金田一耕助のジュブナイル作品系統と同一だが、耕助本人は登場しない(等々力警部は登場する)。
- ^ 巻末に横溝による紹介文「フアーガス・ヒユウム」がある。
- ^ 扶桑社文庫S1-2 『昭和ミステリ秘宝 横溝正史翻訳コレクション 鍾乳洞殺人事件/二輪馬車の秘密』ISBN 4594052983 2006年12月刊に「鍾乳洞殺人事件」と併録。巻末に前記横溝正史の紹介文を「ファーガス・ヒューム」と仮名遣いを改めて収録、博文館の単行本の第10章が丸々割愛されて、結合するため前後の文章に相違のある『新青年』掲載版の該当部分を付録として収録、解説 杉江松恋、「横溝正史翻訳リスト」浜田知明
- ^ ベインはペイン(英: Pain)の訳の誤り。
- ^ 作品名の表記は国立国会図書館のデータベースに準拠した。
- ^ 各巻の内容は国立国会図書館のデータベースによる。
- ^ 『悪魔の降誕祭』のみ1990年代に出版したものを改版。
- ^ 本コレクションに先立って『横溝正史探偵小説コレクション1』に収録されている。
- ^ 1946年の『むつび』と1949年の『ロック』に連載されていずれも中断しており、そのうち『ロック』のものは本コレクションに先立って『横溝正史探偵小説選5』に収録されている。
- ^ 本コレクションに先立って『横溝正史探偵小説コレクション4』に収録されている。
- ^ シリーズものの一部が角川文庫で欠落していた『怪盗X・Y・Z』第4話のみ重複収録されている。
- ^ 『不死蝶』の原型作品と『迷路荘の惨劇』の中間段階作品は、各々後述の論創社や出版芸術社の書籍に収録された。『火の十字架』については『金田一耕助の新冒険』の単行本版の解説では未収録としているが、文庫版では量的にも質的にも改稿に値しないとの記述に改められている。
- ^ 中絶作品『病院横町の首縊りの家』については1998年3月に光文社文庫に収録されている(病院坂の首縊りの家#原型短編を参照)。
出典
- ^ a b c d 横溝正史 著、日下三蔵 編『横溝正史エッセイコレクション1 探偵小説五十年 探偵小説昔話』柏書房株式会社、2022年6月5日、327–329頁。"『探偵小説昔話』 「探偵作家の歎き」"。
- ^ “昭和随一の流行作家は超遅咲き 横溝正史”. 本の話WEB (2011年7月11日). 2016年6月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年6月12日閲覧。
- ^ a b 小林信彦編『横溝正史読本』(角川文庫、2008年改版)「年譜」参照。
- ^ a b 「口絵 写真報告 自己紹介 横溝正史」『富士』第5巻第8号、株式会社世界社、1952年6月15日、15頁、NDLJP:3561709/10。頁数は表示がある25頁から逆算。なお、出典では横溝の出生日について日付が1日異なる5月25日(楠公祭の日)であると自己紹介されている。
- ^ 横溝正史 著「『横溝正史の世界』書かでもの記」、日下三蔵 編『横溝正史エッセイコレクション2 横溝正史の世界 横溝正史読本』柏書房株式会社、2022年6月5日、40-52頁。
- ^ 横溝正史 著「『横溝正史自伝的随筆集(抄)』(新保博久・編) 続・書かでもの記 1 - 10」、日下三蔵 編『横溝正史エッセイコレクション3 真説 金田一耕助 金田一耕助のモノローグ』柏書房株式会社、2022年6月5日、325-394頁。
- ^ 江藤茂博、山口直孝、浜田知明 編「連載 横溝正史年譜事典 3 横溝宜一郎」『横溝正史研究 創刊号』戎光祥出版株式会社、2009年4月10日、180–181頁。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab 『週刊現代』2022年6月11日・18日号「昭和の怪物」研究・横溝正史「人の心の闇を見つめて」pp. 173–180
- ^ a b c d e 「横溝正史氏の書斎・山梨市に」『広報やまなし』通巻第16号、山梨県山梨市、2006年5月23日、2-4頁“兵庫県神戸市で薬種商の三男として誕生”
- ^ 横溝正史ってどんな人?来歴・代表作 江戸川乱歩との関係は?(exciteニュース 2018年5月16日) - ウェイバックマシン(2024年2月24日アーカイブ分)
- ^ 船穂町誌編集委員会 編『船穂町誌』船穂町役場、1968年12月、84頁。NDLJP:9572514/69。
- ^ 横溝亮一 著「岡山疎開時代の思いで(インタビュー)」、江藤茂博、山口直孝、浜田知明 編『横溝正史研究 3』戎光祥出版株式会社、2010年9月10日、8-11頁。
- ^ 横溝正史(倉敷市ホームページ)(2023年12月5日アーカイブ) - 国立国会図書館Web Archiving Project
- ^ “柿木の郵便番号”. 日本郵便. 日本郵便株式会社. 2023年6月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年6月9日閲覧。
- ^ a b 横溝正史 著、日下三蔵 編『横溝正史エッセイコレクション2 横溝正史の世界 横溝正史読本』柏書房株式会社、2022年6月5日、43頁。"『横溝正史の世界』 「書かでもの記」"。
- ^ 幸田浩文「備中売薬と11代万代常閑 -江戸時代中期から幕末まで-」『経営論集』第97巻、東洋大学経営学部、2021年3月、1-15頁、CRID 1050006363687240960、ISSN 0286-6439、NAID 120007026170。
- ^ a b c d 「年譜」『江戸川乱歩 木々高太郎 横溝正史 集』角川書店〈現代国民文学全集8巻〉、1957年9月、381-382頁。NDLJP:1663462/195。
- ^ 赤屋敷殺人事件(2022年), p. 189, 推理小説の故郷(横溝).
- ^ 「探偵小説の鬼 横溝正史の生涯」『別冊宝島 僕たちの好きな金田一耕助』第1375号、株式会社宝島社、2007年1月5日、120–121頁。
- ^ 横井司 編『横溝正史探偵小説選3』論創社、2008年。ISBN 978-4-8460-0734-8、p.596「佐七誕生記」(『探偵作家クラブ会報』1948年11月号(通巻30号))・pp. 609–610「私の捕物帳縁起」(『推理文学』1971年4月号(通巻6号))。
- ^ 横井司 編『横溝正史探偵小説選3』論創社、2008年。ISBN 978-4-8460-0734-8、pp. 606–607「佐七誕生記」
- ^ 『金田一耕助のモノローグ』(横溝正史著・角川文庫、1993年)25ページ。
- ^ 横溝正史『真説 金田一耕助』(角川文庫、1979年) 「「本陣殺人事件」由来I」参照。
- ^ 横溝正史「悪魔が来りて笛を吹く」『真説 金田一耕助』角川書店〈角川文庫〉、1979年1月5日、156–159頁。
- ^ 小林信彦 編「年譜」『横溝正史読本』(改版)角川書店〈角川文庫〉、2008年9月25日、267–268頁。
- ^ 横井司 編『横溝正史探偵小説選3』論創社、2008年。ISBN 978-4-8460-0734-8、p.546「還暦感あり」(『信濃毎日新聞』1962年6月15日付)・p.604「探偵小説五十年」(『新刊ニュース』1972年10月15日号(通巻252号))
- ^ a b 横溝正史 著、日下三蔵 編『横溝正史エッセイコレクション3 真説 金田一耕助 金田一耕助のモノローグ』柏書房株式会社、2022年6月5日、213頁。"『真説 金田一耕助』 「付・昭和五十一年八月二十二日 ~ 昭和五十二年八月二十日の日記抄」より、昭和五十二年五月一日"。
- ^ 『真説 金田一耕助』(横溝正史著、角川文庫、1979年)「小説と映画 I」参照。
- ^ 横溝正史 著、小林信彦 編『横溝正史読本』(改版)角川書店、2008年9月、184頁。
- ^ a b 横溝亮一 著「父・横溝正史のこと」、角川書店 編『横溝正史に捧ぐ新世紀からの手紙』角川書店、2012年5月25日、260–271頁。
- ^ 赤屋敷殺人事件(2022年), p. 209, 父を支えた猫たち犬たち(野本).
- ^ 横溝正史『真説 金田一耕助』(角川文庫、1979年)「勲章を貰う話」参照。
- ^ 岩井寛『作家の臨終・墓碑事典』(東京堂出版、1997年)351頁
- ^ ルブラン『(武侠探偵)古城の秘密』三津木春影(訳)(前篇)、武侠世界社、1912年。NDLJP:947412/2。
- ^ “作品しょうかい 作品の名前 (武侠探偵小説)古城の秘密”. 子どもの本 いま・むかし 大阪国際児童文学振興財団デジタル・ミュージアム. 一般財団法人 大阪国際児童文学振興財団. 2023年10月8日閲覧。
- ^ “仙間龍賢に出会う――三津木春影『古城の秘密』を読む”. 横溝正史エンサイクロペディア. 2024年2月26日閲覧。
- ^ 国立国会図書館 編『明治・大正・昭和 翻訳文学目録』株式会社風間書房、1959年9月、674頁。NDLJP:1345281/345。
- ^ a b 江藤茂博、山口直孝、浜田知明 編「連載 横溝正史事典 25 神戸市立図書館」『横溝正史研究 創刊号』戎光祥出版株式会社、2009年4月10日、199–200頁。
- ^ a b c 横溝正史「弟分」に手紙240通 筆が進まぬ様子などつづる くまもと文学・歴史館『毎日新聞』朝刊2020年9月12日
- ^ 横溝正史『金田一耕助のモノローグ』角川書店〈角川文庫〉、1993年11月10日、8-25頁。
- ^ “横溝正史疎開宅”. 倉敷市 文化産業局 文化観光部 文化振興課. 倉敷市. 2023年12月17日閲覧。
- ^ a b “赤屋敷殺人事件”. 論創社. 2024年2月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年2月25日閲覧。 “野本瑠美(ノモト ルミ)……横溝正史次女。児童文学家、エッセイスト”の野本瑠美が巻末エッセイを執筆。
- ^ 横溝正史『真説 金田一耕助』(角川文庫、1979年)「最高と最低」参照。
- ^ “横溝正史が70歳を超えて「国民的探偵作家」となった理由”. 現代ビジネス. 講談社. p. 2 (2022年6月19日). 2024年2月25日閲覧。
- ^ a b 水谷準 編『横溝正史追憶集』横溝孝子、1982年12月10日、1–4頁。"横溝正史「辞世」"。
- ^ 横溝亮一「巻末インタビュー 横溝亮一~父・横溝正史に金田一の影を見た~」『別冊宝島 僕たちの好きな金田一耕助』第1375号、株式会社宝島社、2007年1月5日、122–123頁。
- ^ a b c d e f “横溝正史が70歳を超えて「国民的探偵作家」となった理由”. 現代ビジネス. 講談社. p. 6 (2022年6月19日). 2024年2月25日閲覧。
- ^ 『真説 金田一耕助』ハードカバー版参照。
- ^ 備中ひと・風・景~高梁川流域百選(50)横溝正史疎開宅(倉敷市真備町岡田) - YouTube
- ^ “横溝正史、苦闘の跡 「仮面舞踏会」草稿など、軽井沢で発見”. 好書好日. 朝日新聞 (2022年5月30日). 2022年6月8日閲覧。
- ^ 「横溝正史の自筆資料を年内公開へ 軽井沢で発見の小説草稿やメモ」『毎日新聞』2022年5月30日(同日閲覧)
- ^ a b “横溝正史作品の戦前と戦後に大別した作風解説――『蝋面博士』横溝正史 文庫巻末解説【解説:山村正夫】”. KADOKAWA文芸WEBマガジン カドブン (2022年10月8日). 2023年2月25日閲覧。
- ^ “没後40年の「横溝ミステリー」が欧米で翻訳続々 消えゆく日本の上流社会を求めて”. sankeibiz. (2021年7月10日) 2021年7月10日閲覧。
- ^ “横溝正史館”. 山梨市. 2020年11月14日閲覧。
- ^ 「横溝正史邸から生原稿など発見される」(アーカイブ)47NEWS
- ^ “くまもと文学・歴史館企画展「没後40年横溝正史展-新発見書簡に見る探偵小説作家の素顔-」”. KADOKAWA 2021年10月15日閲覧。
- ^ a b 金田一耕助シリーズ「悪霊島」「仮面舞踏会」横溝正史の新資料発見 NHK(2022年4月25日)2022年5月30日閲覧
- ^ a b 「横溝正史晩年の草稿発見 金田一シリーズ650枚」共同通信(2022年4月26日)2020年5月30日閲覧
- ^ a b 横溝正史の自筆資料を年内公開へ 軽井沢で発見の小説草稿やメモ毎日新聞(2022年5月30日)2022年6月8日閲覧
- ^ 横溝正史 苦闘の跡「仮面舞踏会」草稿など軽井沢で発見『朝日新聞』夕刊2022年6月1日2面(同日閲覧)
- ^ 『殺人暦』(横溝正史著・春陽文庫、1995年)巻末の山前譲「講説」参照。
- ^ “真備ふるさと歴史館”. 倉敷市. 2021年4月17日閲覧。
- ^ “高梁川流域キッズ 倉敷市真備ふるさと歴史館”. 高梁川流域キッズ. 2021年4月18日閲覧。
- ^ a b “岡山県倉敷市真備町にある横溝正史疎開宅探訪、名探偵金田一耕助はここで誕生しました!!”. Life=Risk. 2021年4月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年4月25日閲覧。
- ^ 山口直孝「解説 銃後の芸術家小説」『雪割草』KADOKAWA、2021年4月23日。ISBN 978-4-04-109300-9。
- ^ “横溝正史、幻の長編小説「雪割草」見つかる…金田一耕助の“モデル”も登場”. 産経新聞社 (2017年12月21日). 2021年5月9日閲覧。
- ^ “角川文庫 緑三〇四 ― 旧No.シリーズ ―”. 横溝正史エンサイクロペディア. 2020年3月28日閲覧。
- ^ “角川文庫 よ5 ― 現行No.シリーズ ―”. 横溝正史エンサイクロペディア. 2020年3月28日閲覧。
- ^ “扉の影の女”. 2022年5月18日閲覧。
- ^ “支那扇の女”. 2022年5月18日閲覧。
- ^ 金田一耕助ファイル
- ^ 「金田一耕助」シリーズ (全28巻)
- ^ 金田一耕助の冒険 (角川文庫) Kindle版
- ^ 怪獣男爵 (角川文庫) Kindle版
- ^ 横溝正史少年小説コレクション2 迷宮の扉 単行本
- ^ 浜田知明「解説」『横溝正史自選集5』、365頁。ISBN 978-4-88293-318-2。
- ^ 浜田知明「解説」『横溝正史自選集2』、317頁。ISBN 978-4-88293-313-7。
- ^ 浜田知明「解説」『横溝正史自選集6』、365頁。ISBN 978-4-88293-323-6。
- ^ “横溝正史”. 柏書房. 2022年3月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年12月8日閲覧。
- ^ 日下三蔵「編者解説」『横溝正史少年小説コレクション6姿なき怪人』、488頁。ISBN 978-4-7601-5389-3。
- ^ “横溝正史研究 6”. 戎光祥出版. 2017年12月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年12月22日閲覧。
- ^ 『ACC CM年鑑'79』(全日本CM協議会編集、誠文堂新光社、1979年 44頁)
横溝正史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 23:52 UTC 版)
江戸川乱歩らとの座談会(『別冊宝石』第109号収録)では、社会派推理小説の流行に関して「作家は(時流に)受けるものを書くのではなく、好きなものを書く」として、距離を置く発言をしている。ただし、後年には社会派の影響を受けた作品も執筆しており、「本格推理小説が復興するにしても、松本清張氏が築き上げたリアリズムの洗礼を受けたものでなくてはならないでしょう」とトーンを変化させている。なお、清張が横溝の作品を「お化け屋敷」と呼んだとされることがあるが、清張が横溝の作品を指してそのように呼んだ事例は、『随筆 黒い手帖』を含めて、実際には存在しない。にもかかわらず、この解釈が生じた背景の一つとしては、1957年に行われた荒正人と清張の論争があり、その中で荒は、清張の文章が名前を伏せた横溝批判に相当するのではないかと主張している。
※この「横溝正史」の解説は、「松本清張」の解説の一部です。
「横溝正史」を含む「松本清張」の記事については、「松本清張」の概要を参照ください。
横溝正史と同じ種類の言葉
固有名詞の分類
- 横溝正史のページへのリンク