ローマへとは? わかりやすく解説

ローマへ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/31 09:45 UTC 版)

パウルス・マヌティウス」の記事における「ローマへ」の解説

1561年教皇ピウス4世パウルスローマ招待し年間500ドゥカート俸給提供するとともにローマで印刷所設立維持約束した出版による利益は、パウルスローマ法王庁財務省の間で分配されることになっていた。パウルスはこの招待を受け、後の人生大部分ローマの街で、様々な運命を辿ることになる3人の教皇の下で過ごしたバチカンは、アルプス越えてプロテスタント出版物影響力強まっていることに対抗するため、印刷所有効活用ようとしていた。彼がStamperia del Populi Romano(「ローマ人印刷所」の意)で出版したローマ版は、神学聖書教理学のラテン語作品中心であった。例としては、 レジナルド・ポールDe ConcilioとReformatio Angliae(いずれも1562年)、トリエント公会議の公式出版物であるCanones et decreta(1564年)、「禁書目録 Index Librorum Prohibitorum」(1564年)、「カテキズム Catechismus」(1566年)、Breviarium Romanum(1568年)などである。健康状態思わしくなかったこと、ヴェネツィア商業的利益残してきていたことに加え教皇ピウス5世事業関心を示さなかったことにより、パウルス1570年には9年滞在したローマ離れヴェネツィアに戻る準備をした。

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ローマへ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/07 14:05 UTC 版)

ペトロ岐部」の記事における「ローマへ」の解説

キリスト教徒両親の間に生まれたペトロ岐部は、13歳有馬セミナリヨ入学した1606年イエズス会入会志してカスイ」と号したイエズス会の諸資料において「ペトロ・カスイ岐部と書かれる。 1614年江戸幕府によるキリシタン追放令によってマカオ追放された岐部は、司祭神父)になるべく同地コレジオラテン語神学学んだ。しかし、マカオの上長の日本人への偏見から司祭叙階かなわないことを知ると、独力でローマイエズス会本部目指すことを決意しマンショ小西ミゲル・ミノエスとともにコレジオ脱出して渡航したマカオからマラッカゴアへは船で渡り、そこから岐部は1人陸路インドからペルシャ経てヨーロッパ目指した。ホルムズバグダード経て日本人としてはじめエルサレム入り果たしたローマにたどりついたのは出発から3年経った1620年のことであった。 すでにマカオからローマへは「マカオ脱出した日本人がそちらへ向かうが決し相手にしないように」という警告の手紙が送られていたが、ローマでイエズス会士による審査受けた岐部は、司祭にふさわしい適性充分な学識備えていることを認められ1620年11月15日サン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂32歳で司祭叙階された。さらにローマイエズス会聖アンドレ修練院(イタリア語版)で2年イエズス会士としての養成を受け、リスボン赴いて同地誓願を宣立した。1623年20人のイエズス会士とともにインド目指す旅に出る。はるか喜望峰回り、翌1624年ゴアにたどりついた。

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ローマへ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/08/12 13:22 UTC 版)

フィリッポ・ネリ」の記事における「ローマへ」の解説

フィリッポ・ネリは、商売学びつつも、自分一生をいかに生きるべきか悩みモンテ・カッシーノ教会に通う日々が続く。そこで、神への祈り生きるべきであると確信しローマ出た18歳の時である。 彼は、ローマ在住フィレンツェ貴族の子弟の家庭教師しながら聖アウグスチノ修道会にて学びつつ、病院救貧院での奉仕始める。彼が理想とするのは、祈り中心とする生活であった。しかし、修道院において聖職者になるための勉強をする時間が、フィリッポ・ネリにとって、祈りの時間を削ることになると考えさせるうになる。彼は、修道院での勉強終止符打ちカタコンベ独り祈り奉仕をする生活を始める。ただし、トマス・アクィナス神学大全を学ぶことは欠かさなかった。

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