あり得ぬこと
★1a.「枯れた植物が芽吹く・根づく」という、あり得ぬことを想定し、それが実現する。
親鸞の伝説 親鸞が1本の枯竹の杖を、根を上にして大地に突き刺し、「もし南無阿弥陀仏の教えが後世に広まるならば、この杖も必ず根をおろし芽を吹くであろう」と言った。その竹は逆さのまま根づき、現在の鳥尾野の竹林になった。今でも、枝が下を向く竹が発生し、これを「親鸞上人の倒枝杖(さかさだけ)」と呼ぶ(新潟県新潟市)。
『タンホイザー』(ワーグナー)第3幕 タンホイザーは、愛の女神ヴェヌスとの歓楽の生活(*→〔穴〕1)を悔い、神の赦しを求める。しかしローマ法王が、「ヴェヌスブルク(ビーナスの丘)を訪れた者は、我が持つ杖に新緑の芽が出ぬごとく、永遠に救われない」と宣告する。タンホイザーを愛する乙女エリーザベトが、ひたすら彼の救済を祈り、死んで行く。タンホイザーも彼女の柩の傍で死ぬ。法王の杖に新緑が芽吹く。
★1b.「調理した食物が芽吹く・根づく」という、あり得ぬことを想定し、それが実現する。
『宇治拾遺物語』巻15-1 難を避け身を隠す皇太子〔*後の清見原天皇=天武天皇〕が、山城国田原で、焼き栗と茹で栗を「思うこと叶うべくは生い出て木になれ」と言って埋めた。やがて皇太子は帝位につき、焼き栗・茹で栗は、形も変わらず生え出て、木となった。
お菊と小幡の殿様の伝説 小幡の殿様の侍女お菊は、無実の罪で殺された(*→〔針〕3a)。母が悔しがり、「もしお菊が無実だったら、炒り胡麻から芽を出してやる」と言って、炒り胡麻をまいた。すると何本もの芽が出た(群馬県甘楽郡妙義町中里)。
★1c.「馬に角が生え、烏の頭が白くなる」という、あり得ぬことを想定し、それが実現する。
『平家物語』巻5「咸陽宮」 燕の太子丹は、秦国に12年間捕らわれていた。丹は「故国へ帰り、老母に会いたい」と訴えるが、始皇帝は「馬に角が生え、烏の頭が白くなる時まで待て」とあざ笑う。丹が天地に祈ると、角ある馬が宮中にやって来て、白い頭の烏が庭木に止まった。始皇帝は驚き、丹を燕に帰した。
*「太陽が東へ沈む」ということを想定し、それが実現する→〔太陽〕6a。
★1d.「人の死体が川をさかのぼる」という、あり得ぬことを想定し、それが実現する。
『へたも絵のうち』(熊谷守一)「生いたち」 「私(熊谷守一)」の故郷の村(岐阜県恵那郡付知村)の昔話。京都の偉い坊さんが村へ布教に来た時、村の男が、「言動が気にくわぬ」と言って坊さんを殴り殺し、死体を川までかついで行ってタンカをきった。「偉そうなことばかり言って、自分では何もできないじゃないか。くやしかったら川上に向けて流れてみろ」。すると坊さんの死体が、どんどん上流へのぼって行く。これは大変だというので、川岸の岩の上に祠を作り、霊人様として祀った。この祠は、「私」の若い頃にはまだあった。
*死者の血が、竹竿を上へ昇る→〔血〕6aの『捜神記』巻11-28(通巻290話)。
★2.あり得ぬはず、と安心していたことが意想外の形で現実化する。
『マクベス』(シェイクスピア)第4~5幕 スコットランド王となったマクベスに、3人の魔女が、「女が産んだ者にマクベスを倒す力はない」「バーナムの森が動き出さぬ限りマクベスは滅びぬ」と教える。マクベスは「天から迎えが来るまでは、安らかに王座を保つことができる」と安堵する。しかし、イングランドの兵が木の枝をかざして攻め寄せる有様は、あたかも森そのものが動くかのように見えた。月足らずで母の胎内から引きずり出されたマクダフが現れ、マクベスを斬り殺した。
『奇怪な再会』(芥川龍之介) 中国人女性蕙蓮(けいれん)は、軍人牧野の妾になるが、愛人金(きん)を忘れることができなかった。易者に「東京が森や林にでもなったら、その人に逢えるかもしれぬ」と言われた蕙蓮は、金の身代わりのようにして飼っていた犬に死なれてから、心を病む。縁日の植木屋の前で、蕙蓮は「とうとう東京も森になったんだねえ」と嬉しそうにつぶやく。
『三尺角』(泉鏡花) 深川の木挽(こびき)・17歳の与吉は、一昨日の朝から、丈4間半・小口3尺の四角な樟(くすのき)を、大鋸で挽いていた。いつしか与吉は、深い森林の底にいるような気持ちになり、「大変だ」と叫んで、作業小屋から飛び出す(*→〔生命〕2a)。「材木が化けた。小屋の材木に葉が茂った。枝ができた」と、大声で呼ばわって与吉は歩き回り、その声は、恋の病で死に瀕する娘お柳の耳にも届いた→〔恋わずらい〕5。
『笑林』26「鼻を噛み落とす」 甲と乙が喧嘩して、甲が乙の鼻を噛み切った。役人が甲を罰しようとすると、甲は「乙が自分で自分の鼻を噛み切ったのです」と言う。役人「鼻は口よりも高い所にある。噛めるはずがない」。甲「乙は踏み台に乗って噛みました」。
『ナスレッディン・ホジャ物語』「おお神さま(アッラー)!」 夜の庭に怪しい人影があったので、ホジャは弓で射て、見事に土手っ腹に矢を命中させる。翌朝見ると、人影と見えたのは、洗濯紐に吊るした自分の法衣だった。ホジャはひれ伏して神さまに礼を言い、「これがありがたがらずにおれようか。もし、あの土手っ腹に穴を開けた法衣の中にわしが入っておったら・・・・」と妻に説明する。
『ほらふき男爵の冒険』(ビュルガー)「ミュンヒハウゼン男爵自身の話」 ある時「ワガハイ(ミュンヒハウゼン男爵)」は、馬で沼を跳び越えるのに失敗して、首まで沼に沈んでしまった。「ワガハイ」は自分の手で自分の髪をつかんで上へ引っ張り、左右の膝で馬の腹をしっかりとはさみ、ワガ腕力にて、ワガ身と馬を沼から引き上げた。
*棺桶の中の死人が、その棺桶をかつぐ→〔棺〕4aの『片棒』(落語)。
★5.あり得ぬもの。
『徒然草』第88段 ある人が、小野道風(894~966)書写の『和漢朗詠集』を秘蔵していた。別の人が、「藤原公任(966~1041)撰の『和漢朗詠集』を小野道風が書写したというのは、時代が矛盾するのではないか」と問うと、その人は「だからこそ世に稀な物なのだ」と答えて、いよいよ珍重した。
*源頼朝の幼い頃の髑髏→〔髑髏〕3dの『再成餅(ふたたびもち)』「開帳」。
★6.あり得ぬ不幸。
『サザエさん』(長谷川町子)朝日文庫版・第40巻24ページ サザエがトランプ占いをして、「7が3枚そろった。幸運だわ」と喜ぶ。カツオが「じゃあ不幸は?」と聞くと、サザエは「13が5枚そろった時」と答える。「そんなことありっこないじゃないか」と言うカツオに、サザエは真剣な顔で「あってたまるか」と言い返す。
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