『マクベス』
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 01:56 UTC 版)
「シェイクスピア別人説」の記事における「『マクベス』」の解説
またストラトフォード派は、オックスフォード説にとっては根底を覆されるほど不利な証拠となる作品として『マクベス』を挙げる。この作品は伯爵死後の1605年11月に露見した火薬陰謀事件の余波の中で書かれたものであると考えられるためである。とりわけ、第3幕における門番のセリフに出てくる"equivocation"(二枚舌。同一の曖昧な言葉を複数の意味で使用するという虚偽はどこまで許容されるかという議論も意味する)が、この事件に関与して処刑されたヘンリー・ガーネット神父(Henry Garnet)を指している可能性が高いことも指摘される。オックスフォード派は、この"equivocation"はエリザベス1世の宰相ウィリアム・セシルによる1583年の政治論文もしくは1584年にスペインの高位聖職者マルチン・デ・アツピルクェタ(Martin de Azpilcueta)によって書かれ、ヨーロッパ中に広まって1590年代にはイギリスへも流入していた綱領で扱われていたテーマでもあると反論している。ニュー・ケンブリッジ版全集においてA・R・ブラウンミュラー(A. R. Braunmuller)も、1605年以降の作品と断定するには根拠が薄弱であり、遅くとも1603年以降と見ておくのが妥当であると述べている。またオックスフォード派は、王の殺害と王位簒奪を主題としている作品であることから、『マクベス』がジェームズ1世の即位(1603年)を祝うために書かれたという定説をも疑問視している。
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