BC級戦犯 戦犯収容所

BC級戦犯

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/08 04:33 UTC 版)

戦犯収容所

戦犯容疑者たちは、収容所で私的暴行を受けたと証言する者が多く、暴行で死亡した者がいたという証言もある。これは、日本軍が暴行を加えた現地の捕虜が看視兵を務めた例が多いからだといわれている。

裁判

起訴件数は2,244件、5,700名が起訴された[10]。ただし、この数字には、ソビエト連邦中華人民共和国での数字が含まれていない。

軍事法廷という形式上、裁判は一審制であったが、通常の軍律裁判とは違い弁護人が付けられた。特に中国、ソ連、オランダによる法廷では、杜撰な伝聞調査、虚偽の証言、通訳の不備、裁判執行者の報復感情などが災いし、不当な扱いを受けたり、無実の罪を背負わされる事例も多数あったと言われる。(反面、中国では国民党・共産党双方の角逐から其々日本将兵を戦力として期待し自陣営に引き入れようとする動きも強く、現地住民が処刑・処罰を強く希望するにもかかわらず、それを抑え、むしろ元々の日本側の行為にくらべ処罰者も意外なほど少なかったという話も聞かれる。また、ソ連のハバロフスク裁判も冷戦時代の隔絶の中で情報があまり入らずベールに包まれていたが、現地の裁判自体は公開で行われ、そこで明らかにされた関特演や731部隊他による生体実験等の日本軍の非について日本側からも否定する声はあまり聞かれない。)

無実の罪や不当な罪を背負わされという主張は被疑者を含め、日本側の関係者を中心に見られる。

例として、栄養失調の捕虜にゴボウを食べさせた(直江津捕虜収容所事件)、肩凝り腰痛の捕虜にを据えた収容所関係者が捕虜虐待の罪に問われ有罪とされた、などが挙げられる。ただし、これらの事実が公判で虐待として指摘されたことは確かであるが、例えば直江津では実際に異常な数の死者が出ていた等の事もあって、これだけで有罪になったのか、またはこれ以外にも虐待の事実があったがゆえに有罪の証拠として採用されたのかは不明である。

米軍における裁判でも山本七平は「“タナカという憲兵がやった”という証言があって、“やったのはこいつだ”と面通しで言われたらもうおしまいで、『私は憲兵でなく砲兵です』といくら言っても無駄だった」と回想している。一方、林博史は、一般的な軍律裁判と比較して、正確な裁判であったと評価する[11]

処罰

A級戦犯200名が、巣鴨拘置所に逮捕監禁されたのと同時にBC級戦犯5,600人が各地で逮捕投獄された。横浜上海シンガポールラバウルマニラマヌス島等々南方各地の50数カ所の牢獄に抑留され、約1,000名軍事裁判の結果、死刑に処された。 処刑方法は、約3分の2が絞首刑、残りは銃殺刑であり、中国においては市中引き回しの上、死刑執行させられている。また、巣鴨拘置所では、銃殺刑に処された1人(元ネグロス島司令大佐)を除いて33人が絞首刑に処された[12]。 1952年、サンフランシスコ講和条約発効後、戦犯死没者の遺書は巣鴨プリズンの巣鴨遺書編纂会によって取りまとめられ『世紀の遺書』として1953年に出版された。

なお、この裁判では上官の命令に従っただけの下級兵が多く処刑されたというのがよく一般的に言われるが、実際は2等兵などの下級兵士は起訴された割合が低く、死刑になった割合は減刑などを考慮に入れると割合としては少ない(ただし、朝鮮人などの軍属では、処刑になった割合はやや多い)[13]。死刑になった割合が多いのは准士官、下士官が多い。一方で、シンガポール華僑虐殺事件のように戦争犯罪を命令した高級軍人が戦犯逃れで逃亡したために、命令に反対した軍人が身代わりのように処刑された例もあり、旧軍の官僚組織の非道さを具現化した例もあった。他にも真犯人が戦死・抑留等によって不在のために、より罪の軽いはずの軍人が重罪に問われた例もあった。

また、外国で逮捕された中にはマレー半島のイロンロン村の虐殺事件などで現地の人々が「助けてくれた。」などの証言をして弁護したケースがある。この事件では比較的厳しい裁判官であったが、虐殺にしては軽い罪になった。これらのケースでは虐殺などの罪でも比較的軽い罪で済むケースが多かった。

法廷一覧

総計2,235裁判、被告全総数5,724人(但し、同一人物が複数裁判を受けている場合があるので、実際の人数はこれより減少する)。各裁判の人数は公文書館のBC級資料より[要出典]

アメリカ裁判

全461裁判、被告総数1,446人

  • 横浜:331裁判、被告1,029人 1945年12月18日~1949年10月19日(アメリカ裁判終了)
    • 武士道裁判(アメリカ・横浜裁判23号[14]
    • 花岡事件(アメリカ・横浜裁判230号)
    • 伊藤ケース(アメリカ・横浜裁判233号)
    • 東海軍司令部B29搭乗員処刑事件(岡田ケース)(アメリカ・横浜裁判261号)
    • 大船収容所事件 (アメリカ・横浜裁判256,303号など)
    • 石垣島事件
    • ドゥリットル・ケース
  • グアム:29裁判、被告109人 1945年2月26日~1949年4月28日
  • クェゼリン[15]:3裁判、被告18人
  • 上海:10裁判、被告52人 1946年2月12日~
  • マニラ:88裁判、被告総数238人 1945年10月8日~ 1947年にフィリピンに裁判を移管

イギリス裁判

全316裁判、被告950人

オーストラリア裁判

全292裁判、被告総数960人

  • ラバウル:197裁判、被告408人
  • ラブアン:16裁判、被告157人
  • 香港:13裁判、被告42人 ~1948年12月13日
    • ガスマタ豪軍飛行士介錯事件(オーストラリア・香港裁判13号)
  • シンガポール:24裁判、被告62人
  • ウェワク:1裁判、被告1人
    • ニューギニア人肉事件(オーストラリア・ウエワク裁判1号)
  • ポート・ダーウィン:3裁判、被告22人
  • マヌス:26裁判、被告121人 1950年6月5日から1951年4月9日まで。6月11日で最後の死刑執行。この裁判で事実上BC級裁判終了。
  • アンボンモロタイ:12裁判、被告147人
    • アンボン島豪軍捕虜殺害軍件

オランダ裁判

全448裁判、被告総数1,038人

フィリピン裁判

マニラ軍事裁判全70裁判、被告総数169人、

フランス裁判

全40裁判、被告総数231人

  • サイゴン:40裁判、被告231人 1946年2月11日~1950年3月29日
    • ランソン事件(フランス・サイゴン裁判39号)

中華民国裁判

全605裁判、被告総数884人。無罪判決は40%にのぼるが、これは国共内戦における政策変換によるとされる[28]

中華人民共和国による裁判

全3裁判、被告総数46人(但し判明分のみ)。戦犯容疑者は処罰されるよりも撫順戦犯管理所などで「認罪学習」を受けることがおおかった[29]

ソ連による裁判

ソ連は連合国戦争犯罪委員会に参加しなかったため、ソ連での裁判の実態がわからない[31]


  1. ^ 対象は「枢軸諸国のために、一個人として、又は組織の一員として、次の各犯罪のいずれかを犯した者」(第六条)で、原則としては官吏や軍人、市民など地位や身分を問わない。
  2. ^ 野呂浩「パール判事研究 : A級戦犯無罪論の深層」、『東京工芸大学工学部紀要. 人文・社会編』31(2)、東京工芸大学、2008年、p43
  3. ^ 1948年戦争犯罪人に対する裁判と天皇の責任 法学館憲法研究所
  4. ^ BC級戦犯とは? 日本共産党中央委員会
  5. ^ 林(2005) 32-33頁。
  6. ^ a b 林(2005) 3頁。
  7. ^ 東京裁判研究会編『共同研究パル判決書(上)』(講談社、1984年)「第一章 パル判決の背景 東京裁判の概要」
  8. ^ (忘れられた朝鮮人戦犯:上)歴史の隙間、取り残された 朝鮮名貫いた旧日本軍中将:朝日新聞デジタルによれば、148人の内訳は軍人2人、通訳16人、警察官1人、監視員129人
  9. ^ 『朝鮮人BC級戦犯の記録』内海愛子 ii頁
  10. ^ 法務大臣官房司法法制調査部『戦争犯罪裁判概史要』
  11. ^ BC級戦犯裁判 林 博史著 岩波新書
  12. ^ 前坂 俊之 (2003年7月). 東京裁判で絞首刑にされた戦犯たち― 勝者が敗者に執行した「死刑」の手段― (PDF) (Report). 2020年10月23日閲覧
  13. ^ 巣鴨遺書編纂会編「世紀の遺書
  14. ^ 以下、裁判対象事件の出典は半藤一利 秦郁彦 保阪正康 井上亮『「BC級裁判」を読む』日本経済新聞社ほか。
  15. ^ 林(2005) 86頁。
  16. ^ 岩川(1995) 199-200頁
  17. ^ 岩川(1995) 199頁
  18. ^ 林(2005) 121-125頁
  19. ^ 岩川(1995) 237-238頁
  20. ^ 岩川(1995) 238-240頁
  21. ^ 岩川(1995) 232-234頁
  22. ^ 岩川(1995) 235-236頁
  23. ^ 岩川(1995) 220-224頁。林(2005) 126-127頁。林(1998)
  24. ^ 岩川(1995) 213-220頁
  25. ^ 林前掲岩波新書、98頁
  26. ^ 井上ほか(2010) 152頁
  27. ^ 林前掲岩波新書、97頁
  28. ^ 林前掲岩波新書、104頁
  29. ^ 林前掲岩波新書、106頁
  30. ^ 石井明 「中国の立場とソ連の立場」『[争論]東京裁判とは何だったのか』築地書館 1997、pp.93-102.
  31. ^ 林前掲岩波新書、112頁
  32. ^ 朝日新聞 朝刊. (1953年5月10日) 
  33. ^ 朝日新聞. (1952年8月11日) 
  34. ^ 朝日新聞 朝刊. (1953年8月9日) 
  35. ^ 朝日新聞. (1953年11月5日) 
  36. ^ 朝日新聞 朝刊. (1955年9月2日) 
  37. ^ “社説”. 朝日新聞 朝刊. (1956年9月26日) 
  38. ^ 中立悠紀「戦後日本における戦犯「復権」 : 戦犯釈放運動から戦犯靖国神社合祀へ」九州大学 博士論文(学術)、 17102甲第14131号、2018年、NAID 500001371063 





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