台湾独立運動 中華民国による統治以前の台湾独立運動

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台湾独立運動

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/23 16:26 UTC 版)

中華民国による統治以前の台湾独立運動

この時代の台湾独立運動についてまず特筆すべきことは、日清戦争後の下関条約で日本が清国から台湾を割譲された際に、台湾が「台湾民主国」として一応の独立を宣言していることである(黄昭堂:『台湾民主国の研究―台湾独立運動史の一断章』東京大学出版会1970年)。しかし、この政権は大陸から派遣されていた清朝の官僚や清国軍、清国の科挙試験に合格したごく一部の台湾人特権階級を中心としたものであったため、短期間で解体、崩壊した。日本軍の台湾上陸の報を聞いた清朝の官僚は直ちに外国船で大陸へ逃亡し、清国兵は台北で台湾人への略奪を始めている。台湾人の有産階級は、独立どころか日本軍に救援を依頼し、進軍の手引きまでしている。

1920年代日本共産党の指導の下にあった台湾共産党は、コミンテルンの指示を受け、「日本帝国主義」からの独立を目指したが、大きな広がりを持つには至らなかった(この時期の台湾独立運動の代表人物としては、謝雪紅などが上げられる)。また、中国共産党は、台湾共産党の主張する社会主義的理念に基づく台湾独立を認めず、彼らの多くを追放したため、台湾共産党の主導による独立運動も終焉を迎えた。

中国国民党独裁体制下の台湾独立運動

1970年台湾独立建国連盟設立後を境に前期・後期と分けられる。

前期

初期の独立運動は、日本へ留学した留学生が活動の中心となった。これは日本統治時代の影響で日本語を習得していた人間が多く、台湾から日本の大学への留学が比較的容易だった背景がある。1960年には、台湾ではできない自由な論壇として王育徳らにより雑誌『台湾青年』が創刊された。

中華民国国外における本格的な独立運動の先駆けとしては、廖文毅による日本での台湾共和国臨時政府樹立が挙げられる。臨時政府は財政問題や国民政府の圧力などによっていきづまり、廖文毅の「投降」後に瓦解した。

後期

他にも、日本では許世楷や黄昭堂、金美齢および夫の周英明、日本人では台湾独立を主張した雑誌『台湾青年』の編集長を永年務めた宗像隆幸らが中心に活動し、同誌をはじめとする諸著作の出版や中華民国政府による人権抑圧、中華民国政府に好意的な日本政府に対する抗議デモ、同じく中華民国政府に好意的な自由民主党の政治家の集会での催涙ガス散布、また当時台湾で軟禁状態だった彭明敏亡命の支援など積極的に台湾独立運動が行われた。この時期に出版された諸著作は台湾独立運動の法学・歴史学上の基礎となっている。

こうした日本の活動参加者やアメリカへの留学生などにより、台湾独立建国連盟が設立された。アメリカでは1960年代に各地で台湾人留学生の活動が活発になり、陳以徳率いるフィラデルフィアのUnited Formosans for Independence (UFI)が全米の組織を吸収し、1966年にUnited Formosans in America for Independence (UFAI)が設立された[3]台湾青年社が入手した彭明敏らによる「台湾自救運動宣言」が『台湾青年』に掲載されるとともに、それを刻んだアルミ板が全米に配布され、台湾、米国、日本、カナダヨーロッパ南米の独立運動団体が連名でニューヨーク・タイムズ紙に政治広告として掲載した[3]。その後、アメリカが台湾独立運動の中心となった。これは日本語を常用していた学生が年月の経過により減少したことや、中華民国政府の対米影響力が減少したことが背景にある。

ちなみに、1980年代の台湾の民主化によって台湾独立運動は一気に加速するが、台湾の民主化は、主に国民党に入党した李登輝ら台湾人(許國雄の項参照)の手によって推進された。李登輝は、国民党による大陸との統一路線である「反攻大陸」のスローガンを破棄し、「二国論」を展開。大陸は中華人民共和国が有効に支配し、台湾にはこれとは別の国家である中華民国が存在すると主張した(中華民国在台湾)。李登輝は更にこの主張を前進させ、「台湾中華民国」という呼称を提唱、国民党主席を離職してからは、「台湾団結連盟」(後述)という「台湾」と名の付く初めての政党を結成させた他台湾正名運動に取り組んだ。

民主化以後の台湾独立運動

中華民国の民主化により、急進的な台湾独立運動は進歩的知識人を除いて衰退した。

象徴的なできごととして、独立派であった李登輝が中華民国総統に就任したことが中華民国の統治システムの追認となり、台湾が中華民国から独立するという目的が事実上消滅した[4]

台湾独立派による街頭デモ(2007年)
台湾の国連加入を訴えるスローガン(2008年)

民主進歩党は、1999年に台湾前途決議文を採択し、党綱領にある台湾独立を棚上げした。これは、2000年総統選挙に向けて、党内最大派閥の新潮流と穏健派が妥協した結果であった。同選挙で勝利し、陳水扁政権が成立するとアメリカの意向を汲み、「四つのノー、一つのない」を唱えた。そのため、民進党と従来の台湾独立派との間には、亀裂が生じた。

李登輝は、かつての国民党李登輝派である台湾本土派の一部に台湾団結連盟(台聯)を結党させ、自らはその精神的指導者となった。台聯は綱領において、台湾新憲法の制定と、国号を台湾にすることをうたっている。当初、台聯は民進党を支援する目的で結成された。しかし、中国国民党の台湾本土派を十分に取り込むことが出来ず、固定的な支持基盤を獲得できなかった。そこで、急進的な独立派路線により、民進党と独立派に近い(深緑)支持者の票を奪い合うことになった。そのため、民進党と台聯の間で、独立的な主張を競い合うという循環に陥り、中間票を取りこぼす結果も生まれている。

一方、本来の台湾独立派は、陳水扁政権において総統府国策顧問や資政(上級顧問)に就任するものも現れた。しかし、顧問職の者も含めて、陳政権とは一線を画している。むしろ、台湾正名運動を推進し、最終的には陳政権が放棄した国号改称も行うよう求めた。また、現行憲法を廃止し、台湾新憲法の制定も求めている。

その他、政治体制についても、五院体制から三権分立への変更を求める者もいる。対中国政策については、台聯や台湾独立派は、経済交流(貿易投資、人的交流)規制の継続と強化を求めている。

2008年国民党馬英九政権となり、中国に急接近する政策を取ると、反発する反政権デモが独立派によりたびたび発生するに至った。2008年8月には台北市内で主催者発表で30万人のデモが行われ、総統府前を埋め尽くした[5]2009年5月には主催者発表で台北で60万人、高雄で20万人が「(馬英九政権の)中国傾斜に反対し、台湾を守ろう」とのスローガンを掲げ、大規模な抗議活動を行った[6]

2014年には孫文の像を引き倒す事件が独立派団体により引き起こされた[7]。他にも市民を弾圧した2.28事件の日には蔣介石の像にペンキをかけるなどの破壊活動が増えている。こういった行動に対して報復として独立活動家の像を破壊する動きが出るなど衝突が増えている[8][9]

2016年に民進党の蔡英文政権となり、中華人民共和国との関係については、圧力に屈しない穏健な現状維持とする路線を取っている。

2020年立法委員選挙では、陳水扁や李登輝など旧来の中華民国否定派は議席を獲得することができなかった[10]


  1. ^ https://www.taiwannews.com.tw/en/news/3951560
  2. ^ 蔡総統掲げる「中華民国台湾」 独立か統一、2択を超越”. フォーカス台湾. 2020年6月8日閲覧。
  3. ^ a b 『台湾青年』と共に四十年羅福全、『台湾青年』第500号、2002年6月5日
  4. ^ 『台湾物語』筑摩書房、2019年4月15日。 
  5. ^ 2008.8.30 産経新聞
  6. ^ 2009年5月17日 産経新聞
  7. ^ 台湾独立派、孫文像を引き倒す”. AFP. 2020年1月23日閲覧。
  8. ^ 台湾独立運動家の銅像に赤いペンキ 蒋介石像破壊への報復か”. フォーカス台湾. 2020年1月23日閲覧。
  9. ^ 台湾独立派、孫文像を引き倒す”. AFP. 2020年1月23日閲覧。
  10. ^ 「台湾総統選」の本当の読み方。蔡英文「圧勝」韓国瑜「惨敗」と言い切れない?”. ハフポスト. 2020年6月8日閲覧。
  11. ^ 江文瑜編. 《人文社會主動出擊》. 臺北: 前衛出版社. 1995: 頁351. ISBN 9578010346 (中文).
  12. ^ 若者層の3割が中国での就職を希望——改革頓挫と中国の威嚇で習近平下回る台湾総統の好感度
  13. ^ 台湾総統選 民進党勝利の決定打となった勢力「天然独」とは?
  14. ^ <コラム>中国の大学が台湾人学生の受け入れ条件を緩和、狙いは「天然独」抑制か?効果は不明
  15. ^ 「台湾独立を“望まぬ”若者」と「民主化を進めた李登輝氏」の思い”. NHK. 2020年2月18日閲覧。
  16. ^ 聯合報黑白集/要台獨,不要當兵”. 聯合報. 2020年12月19日閲覧。
  17. ^ 中国軍の侵攻で台湾軍は崩壊する──見せ掛けの強硬姿勢と内部腐敗の実態”. ニューズウィーク. 2020年12月19日閲覧。
  18. ^ 天安門事件リーダー王丹氏 台湾から米に移住で反応二分
  19. ^ 学生指導者だった王丹氏 「歴史ではなく現在進行形」
  20. ^ 如果統一就是奴役...劉曉波論臺灣、香港及西藏





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