台湾共和国臨時政府時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 07:57 UTC 版)
インドネシアでの独立運動を目撃した陳は次第に台湾の独立を追求するようになり、東京において設立された台湾共和国臨時政府大統領廖文毅の要請を受け東南アジア巡回大使に就任、台湾独立運動への活動が始まった。陳の人脈により廖は1955年にインドネシアで開催されたバンドン会議の参加に成功している。 間もなく、台湾独立を認めない中国共産党の圧力が始まり、親中のスカルノは陳の東南アジアでの外交工作を妨害し、陳を逮捕した。陳は獄中で独立運動での役割を記した親書をスカルノに送り、それにより釈放された。 その後訪日し、廖文毅との合流を計画するが、日本政府は無国籍であった陳の入国を拒否する。そのためインドネシアと東京を結ぶ航空路を無為に往復することとなった。しかしその機上でスイス政府関係者と知遇を得、その協力でスイスに移住し公民権を獲得する。1958年、スイスの旅券で日本に入国した陳は台湾独立運動を再開した。
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