台湾出兵と江華島事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 03:27 UTC 版)
明治政府はこの政変で西郷らを退けたが全ての征韓派が下野した訳ではなく、また西郷遣使は「中止」されたものの公式には内外情勢を理由とした「延期」と発表されたために後日に征韓論が再燃する可能性を残した。 翌年の明治7年(1874年)には宮古島島民遭難事件を発端として、初の海外出兵となる台湾出兵を行った(木戸孝允は征韓論を否定しておきながら、台湾への海外派兵を行うのは矛盾であるとして反対した結果、参議を辞任して下野した)。また、翌々年の明治8年(1875年)には李氏朝鮮に対して軍艦を派遣し、武力衝突となった江華島事件の末、日朝修好条規を締結することになる。
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