台湾出兵の計画とは? わかりやすく解説

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台湾出兵の計画

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/03 15:41 UTC 版)

村山等安の台湾出兵」の記事における「台湾出兵の計画」の解説

江戸時代になってからも、高山国日本の貿易船にとって重要な船舶寄港地であり続けた1612年慶長17年)には京都商人津田紹意に澎湖諸島への渡航許可する朱印状発給されている。1615年元和元年7月村山等安に対して高砂国渡航許可朱印状発給されたが、それは単なる渡航許可証ではなかった。朱印状交付翌月リチャード・コックスは、等安に対して中国への出兵計画有無について確認する書状出しており、その後まもなく、コックスは等安が台湾出兵準備進めている事実把握する至った村山等安の台湾出兵理由は、 豊臣秀頼捜索のため 台湾との通商貿易 台湾在住民による遭難船襲撃復讐 村山等安家康対す信用回復狙ったもの 台湾対中国貿易根拠地として利用するため の5点が、当時から取り沙汰されていた。 豊臣秀頼捜索のためというのは、大坂夏の陣自害したとされた秀頼が、実は台湾など南方逃れていたとの風説流れたために持ち上がった説であるが、これは等安が本来の出兵目的隠蔽するために偽情報流したものともみられ、事実とは考えられない台湾との通商貿易台湾在住民による遭難船襲撃復讐理由としては考えにくいとされている。一方1615年頃にはキリシタン弾圧強まっており、家康信任失いつつあったと考えられる等安が、信任回復起死回生策として台湾出兵断行したとの説は当時から有力であったが、同説では台湾出兵先として選択した理由がはっきりとしない結局台湾出兵主目的は、5番目の対中国貿易根拠地として利用するためであると考えられている。室町時代行われていた明との勘合貿易途絶して以降、その復活対す期待大きかった台湾出兵費用はすべて等安の自弁であったそれまで獲得した地位境遇維持に不安を感じるようになっていた等安は、対中国貿易根拠地として台湾活用することを主目的として、台湾出兵計画実行したものと推測されている。

※この「台湾出兵の計画」の解説は、「村山等安の台湾出兵」の解説の一部です。
「台湾出兵の計画」を含む「村山等安の台湾出兵」の記事については、「村山等安の台湾出兵」の概要を参照ください。

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