黄昭堂とは? わかりやすく解説

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黄昭堂

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/05 00:06 UTC 版)

黄昭堂(2008年)

黄 昭堂(こう しょうどう、1932年9月21日 - 2011年11月17日)は、台湾政治活動家台湾独立建國聯盟主席、昭和大学名誉教授。

略歴

日本統治時代の台湾台南州(後の台南県、現在の台南市)生まれ[1]

台湾大学法学部卒業後、1958年東京大学大学院へ留学し社会学博士を取得。聖心女子大学、東京大学講師を経て、1976年から昭和大学の政治学教授となり、1998年まで務めた[2]

1992年、34年ぶりに台湾へ戻り、1995年には台湾独立建国連盟主席に就任した[2]

2011年11月17日、動脈剥離のため台北市内の病院で死去。79歳没[1][2]

主な著書

単著

共著

  • 大中華主義はアジアを幸福にしない(金美齢との対話、草思社、1997年)、ISBN 978-4794207630
  • 続・運命共同体としての日本と台湾―アジアを覆う中国の影(早稲田出版、2005年)、ISBN 978-4898273098
  • 台湾の法的地位(彭明敏、東京大学出版会、1976年)

脚注

  1. ^ a b “訃報:黄昭堂さん79歳=昭和大名誉教授”. 毎日新聞. (2011年11月17日). オリジナルの2011年12月5日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20111205024916/http://mainichi.jp:80/select/person/news/20111118k0000m060063000c.html 2020年12月26日閲覧。 
  2. ^ a b c “昭和大名誉教授・黄昭堂氏が死亡、台湾独立運動の重鎮”. msn産経ニュース. (2011年11月17日). オリジナルの2012年10月15日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20120105111539/http://sankei.jp.msn.com:80/world/news/111117/chn11111720510006-n1.htm 2020年12月26日閲覧。  {{cite news}}: |archive-date=|archive-url=の日付が異なります。(もしかして:2012年1月5日) (説明)

関連項目

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