台湾独立運動への関与
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日本留学直後の1960年に台湾独立運動団体「台湾青年社」(後に台湾青年会・台湾青年独立連盟に改組)に加入して以来、台湾独立運動に身を投じてきた。機関紙『台湾青年』にペンネーム「十心」「高見信」で数多くの論文を執筆したため、国民党政府により旅券を剝奪、在外反政府分子としてブラックリストに掲載され、約30年間、日本で事実上の亡命生活を余儀なくされた。1970年「台湾独立連盟」の発足とともに中央委員に就任。1987年には、改組された「台湾独立建国連盟」の総本部主席を務めた。1989年に台湾の月刊誌『自由時代』に「台湾共和国憲法草案」を寄稿。同誌は発禁処分となり、反乱罪に問われた同誌発行人の鄭南榕は抗議の焼身自殺を遂げた。
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