台湾渡航後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/17 03:37 UTC 版)
日本の芸能界に身を置いた10年間は、自分には特徴がなかったと感じていた。自分の実力で仕事をしたいという思いだけで、2006年、単身で台湾へ渡る。台湾においては、師範大学で北京語を学ぶ。当初、「北京語を完璧にマスターすること」「そのために日本人の友人をつくらない」、この2つを自らに課していた。 台湾に渡った後の1年以上、先が見えない生活を過ごすが、無名の田中に転機が訪れる。台湾生活の悩みをつづっていた田中のブログを見た映画監督、ウェイ・ダーションから、映画『海角七号 君想う、国境の南』のヒロインに抜擢される。当時台湾映画界は、1998年以降の映画不況の真っただ中で10年間ヒット作がなく、この映画の撮影も資金難に遭遇し、2度撮影が中断した。しかし、田中は資金集めに協力し、スタッフと一緒になりスポンサーに頭を下げて歩いた。その後『海角七号 君想う、国境の南』は、2008年に公開されると、台湾映画史上におけるNo.1の興行収入を達成する大ヒットを飛ばし、台湾版アカデミー賞といわれる金馬奨において、10部門がノミネートされ6部門が受賞する快挙を達成した。 近況としては、中国電影集団の会長で『レッドクリフ』のプロデューサーでもあるハン・サンピン(韩三平)が、2010年公開予定の映画『愛情36計』の主演に、田中を指名している。
※この「台湾渡航後」の解説は、「田中千絵」の解説の一部です。
「台湾渡航後」を含む「田中千絵」の記事については、「田中千絵」の概要を参照ください。
- 台湾渡航後のページへのリンク