カルバン‐しゅぎ【カルバン主義】
カルヴァン主義
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カルヴァン主義(カルヴァンしゅぎ、Calvinism)とは、すべての上にある神の主権を強調する神学体系、およびクリスチャン生活の実践である[1]。
宗教改革の思想家ジャン・カルヴァンにちなんでカルヴァン主義と名づけられている。このプロテスタントのキリスト教は、改革派の伝統、改革派信仰、改革派神学と呼ばれる。
改革派の伝統は、マルチン・ブツァー、ハインリヒ・ブリンガー、フルドリッヒ・ツヴィングリなどの神学者によって進展し、また、トマス・クランマーら英語圏の宗教改革者にも影響を与えた。 それでも、ジャン・カルヴァンの大きな影響と信仰告白、教会の議論における役割のため、これは17世紀から、一般にカルヴァン主義として知られている。
今日、この語はカルヴァンが初期の指導者であった改革派教会の教理と実践を意味する。またこの神学体系は予定説と全的堕落の教理により、最もよく知られている。
日本語では「カルビン主義」表記で知られる。
歴史的背景
プロテスタント宗教改革の教理の発展へのカルヴァンの国際的な影響は、25歳の時からはじまった。彼の著書『キリスト教綱要』は1536年に出版された[2]。この著書はフランス語訳を含め、何度も改訂版が出された。綱要と共に彼の論争的、牧会的な働きと、聖書註解は、教会の信仰告白文書に大きな影響を与えた。カルヴァンは最も卓越していたが、改革派の教会の教理に影響を与えた多くの人のうち一人である。
改革派教会とカルヴァンは、プロテスタント宗教改革の第二段階目に位置する。マルティン・ルターがローマ・カトリックから破門された時、福音主義教会は形成されだした。
カルヴァンはジュネーヴのフランス人亡命者であった。彼はメランヒトンによって修正されたルター派のアウクスブルク信仰告白に署名していたが、ルターよりもスイス宗教改革のツヴィングリの線にある。改革派教会の教理がルター派に対して独自に発展していたことは初期から明らかであった。その後、カルヴァンの名声によって、改革派教会の教理はカルヴァン主義と呼ばれるようになった。
進展
カルヴァン主義者はフランスではユグノー、オランダではフーゼン、スコットランドではプレスビテリアンと呼ばれた。
カルヴァンの実践はジュネーヴでなされたが、彼の出版物はヨーロッパの多くに改革派教会の思想を広めた。カルヴァン主義の神学教理は、スコットランドで多数派となり(ジョン・ノックスの項を参照)、オランダ、ドイツの一部と、またフランス、ハンガリーと、そこから独立してトランシルヴァニアとポーランドに影響があった。
カルヴァン主義はスカンディナヴィア、スウェーデンでも広まったが、1593年のウプサラの教会会議のルーテル主義によって拒絶された。
アメリカ中部大西洋とニューイングランドの多くの移住者がカルヴァン主義者であった。その中にはピューリタン、フランスのユグノー、オランダの移民を含む。
最大のカルヴァン派の教派は19世紀から20世紀の宣教師の働きによって始められた。インドネシア、韓国、ナイジェリアにおいて特に大きい教会を形成している。
伝統的なアングリカンは39ヶ条で告白されたカルヴァン主義の教理を持っているが、その礼拝原則を避けている。
をカルヴァン主義の5つの特質、いわゆるドルト信仰基準として定義した。

神学者
カルヴァン以降
- テオドール・ド・ベザ
- ハインリヒ・ブリンガー
- ウルジーヌス
- オレヴァイアーヌス
- ロロック
- コクツェーユス
- ザンキウス
- ウェルミーリ
- フランソワ・トゥルレッティーニ
19世紀
- チャールズ・ホッジ
- ブレッキンリジ
- ジェイムズ・ヘンリ・ソーンウェル
- W・G・T・シェッド
- ロバート・ルーイス・ダブニ
- ベンジャミン・ウォーフィールド
- アブラハム・カイパー
- ヘルマン・バーヴィンク
- W・カニングカム
20世紀
- ゲルハルダス・ヴォス
- J・G・メイチェン
- コーネリウス・ヴァン・ティル
- ジョン・マーレイ
- ヘリット・コルネーリス・ベルカウワー
- P・マルセル
- A・ルセルフ
- E・ドゥメルグ
哲学者
- ヘルマン・ドーイェウェールト
政治哲学者
- ヨハネス・アルトジウス
脚注
注釈
出典
参考文献
- 森田安一 (2010). 図説 宗教改革. ふくろうの本. 河出書房新社. ISBN 978-4-309-76145-9
関連項目
カルヴァン主義
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 17:54 UTC 版)
「ジャン・カルヴァン」の記事における「カルヴァン主義」の解説
カルヴァンは改革派教会、改革長老教会を方向づけ、多大な影響を残す巨星ではあるが、改革派的教義を掲げ、長老主義的教会政治を重んじる教会は、カルヴァンに始まるものでもカルヴァン個人の信仰理解に立つものでもない。保守的カルヴァン主義者として名高いオランダの改革派教義学者ヘルマン・バーフィンクでさえ、「改革派教義学はツヴィングリと共に始まった」と書いている。 とくに社会学や歴史学や政治学等の文脈で用いられる場合、カルヴァン主義、カルヴァン主義者という用語は予定論者とほとんど同義に用いられることがある。その代表的な例は、マックス・ヴェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』やエルンスト・トレルチの『キリスト教会ならびに諸集団の社会教説』である。そして、その場合の「カルヴァン主義」とは、しばしば、カルヴァン本人の信仰理解とは必ずしも一致しているわけではないという意味で語られる。たとえば、トレルチにとっての「カルヴァン主義者」の最大のモデルは、主著『カルヴァン主義』の著者、アブラハム・カイパーである。カイパーの立場は「新カルヴァン主義」(Neo Calvinism) などと呼ばれ、カルヴァン自身の立場とは区別される。しかし、カルヴァンとカルヴァン主義者を極度に対立的に扱うことに対して慎重であるべきとする有力な声(ポール・ヘルム(英語版)ら)もある。 「カルヴァン派」という呼び方は、宗教改革初期における各都市の教会改革指導者の分類を必要とする、歴史的話題においては用いられる。具体的には「改革派」として「ツヴィングリ派」と統合される以前には確かに「カルヴァン派」といえる勢力が存在し、「急進派」とも「ルター派」とも異なる思想や方針を持っていた。 現在「カルヴァン主義」もしくは「カルヴァン派」という言葉を教団名に冠する例は知られていない。神学校の名称としては、北米キリスト改革派教会(英語版)が経営するカルヴィン神学校がアメリカ合衆国ミシガン州グランドラピッズにあり、欧米のカルヴァンならびに改革派神学の研究の一大拠点になっている。
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