F-Projectとヤクルトタウン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 10:07 UTC 版)
「東京ヤクルトスワローズ」の記事における「F-Projectとヤクルトタウン」の解説
2005年秋に古田敦也が監督に就任し、日本プロ球界では29年ぶりとなる選手兼任監督が誕生した。日本プロ野球選手会の会長でもあった古田は、かねてから「ファンにとって、プロ野球をもっと身近な存在にしたい」という想いが強く、2004年の球界再編問題で自ら奔走した経験から、その想いをより強くした。そこで監督就任と共にファンサービス向上や地域密着の強化などを柱とした球団改革構想「F-Project」の活動を同年11月1日に開始した。 F-Projectの「F」はFuruta(古田)の他、プロジェクトが目指すFan(ファン)、Fun(楽しむ)、Full(満員の球場)の3つの言葉を表しており「よりファンと選手・チームの距離を身近なものにして、本拠地の明治神宮野球場をスワローズファンで満員にし、かつ単に応援するだけでなく、ファン自らチームに参加してもらい、共に楽しみを分かち合いたい」という願いが込められていた。プロジェクトには古田の他、ヤクルト球団職員、外部からもカカクコム社長の穐田誉輝(当時。現相談役)や芸能・放送関係者を招聘し、IT産業やマスメディアを巻き込んだ球団の多角的経営を目指すことを打ち出した。同年11月23日に神宮で行われたファン感謝デーに合わせて、球団モバイルサイトのURLのQRコードが刷り込まれた名刺が作成され、当日は古田自らファンにこの名刺を配布するパフォーマンスが繰り広げられた。さらに、都内の企業ともオフィシャルパートナーシップを締結し、カカクコムの他、家電製造業のユニデンとも契約した(2006年からホーム用ユニフォーム左胸部分にロゴマークを掲出)。また、都民参加型のチームを作るという観点から東京都民銀行ともスポンサー契約を締結した。なお、これらの企業との契約は古田退任後に解消されたものも多く、東京都民銀行に至っては巨人の本拠地である東京ドームでの広告掲載に切り替えている。 さらに古田は球団に対し、当時の球団名「ヤクルトスワローズ」に「東京」を冠し、地域密着をアピールすることを提案した。古田は1990年代半ばから契約更改交渉の席などで球団幹部に対し「球団名に都市名か地域名を入れることはできないか」と提案を続けてきたものの実現には至らなかったが、球団もF-Projectの立ち上げを機に協力することを決定。球団名を「東京ヤクルトスワローズ」と変更した(同年12月19日のプロ野球実行委員会で承認)。なお、球団名に「東京」を冠していた球団は過去に例があり、戦前の東京巨人軍、東京セネタース、大東京軍(いずれも消滅)、戦後の東京オリオンズの4球団。東京オリオンズは1969年を最後に「ロッテ」に改称したが、東京ヤクルトはそれ以来37年ぶりに「東京」を冠する球団となった。また、これを機に神宮球場がある明治神宮外苑周辺の新宿区、港区、渋谷区の3つの特別区をホームタウンと位置づけ、「スワローズタウン(ヤクルトタウン)」と銘打って地域密着活動を行う方針も決定した。もっとも、ヤクルト本社や全国のヤクルトの販売会社からは「東京偏重」と反対意見が出たという。 このF-Projectが立ち上げられた背景には、ヤクルトの主催公式戦の観客動員数が慢性的に減少していたという事実がある。14年ぶりのリーグ優勝を果たした1992年には2,477,000人を集めたが、以後は徐々に減少。2005年から動員数は実数発表となったが、同年は130万人台にとどまった。本拠地の神宮球場ではスワローズファンの来場者減少が顕著な一方で、巨人の本拠地である東京ドームと比較してチケットが取りやすいことからビジター球団のファンの来場者が多く、ビジター側のファンがスワローズファンの数を上回ることがしばしばある。特に対巨人戦や対阪神戦ではビジター側の三塁・左翼側だけにとどまらず、あぶれた観客がホーム側の一塁・右翼側に入場するケースも多い。こうした現状に対し、選手会長の宮本慎也は「かなり複雑な気分。観客数が多くても自分たちを応援してくれる人が少ないのは寂しい」、五十嵐亮太も「神宮はヤクルトの本拠地だが、阪神ファンの方が多い」(実際神宮球場近隣には、阪神タイガースのグッズショップが存在している)と語るなど、選手の間からも現状を憂える声が挙がっており、スワローズのファン層を拡大し、来場者を増やすことが求められていた。 また、神宮球場でのデーゲーム開催数を増やす方針も打ち出された。神宮球場は学生野球(東京六大学野球連盟、東都大学野球連盟)公式戦のスケジュールが優先されているため、ヤクルト主催公式戦は4月初旬の週末を除き、ほとんどがナイター開催となっていた。だが2005年から球団は学生野球側と積極的に折衝を行うようになり、デーゲームの開催数が増加。学生野球がシーズンオフになっている6月にもデーゲームが開催されるようになった。さらにF-Projectの活動開始に伴って折衝が行われた結果、2006年には東都リーグに割り当てられていた5月3日・5月4日のデーゲーム枠を取得(代わって東都はナイター開催)、集客力の高いゴールデンウイークのデーゲーム開催を実現した(神宮球場の使用権については明治神宮野球場#優先使用権も併せて参照)。更にこれまで、暑さ対策のため自発的にデーゲームの開催を見合わせてきた8月についても2013年以後、一部の週末開催で、17時開始の薄暮デーゲーム(準ナイター)として行う試合もある(2018年は6月30日と7月1日のみ)。 この他、都内を本拠とする他のプロスポーツチームとの提携も積極的に進め、2006年7月にはJリーグのFC東京と「東京のスポーツ振興」に共同で取り組むと発表。双方のファンの取り込みを目指した共同キャンペーンなどを展開している。また、同年9月にはbjリーグの東京アパッチ とも提携を結んだ。2009年からはヤクルト球団・FC東京・大井競馬場による3者共同キャンペーンも行なっている。 なお古田の引退・監督辞任により、F-Projectは2007年シーズンをもって活動を終えたが、球団は2008年以降もファンサービスの改善に取り組む意向を示しており、F-Projectで行われていた日替わりのデーイベントは同年以降も継続して実施している。
※この「F-Projectとヤクルトタウン」の解説は、「東京ヤクルトスワローズ」の解説の一部です。
「F-Projectとヤクルトタウン」を含む「東京ヤクルトスワローズ」の記事については、「東京ヤクルトスワローズ」の概要を参照ください。
- F-Projectとヤクルトタウンのページへのリンク