プロ野球再編問題
プロ野球再編問題(プロやきゅうさいへんもんだい)とは、日本プロ野球の再編問題。プロ野球界再編問題、それを略し球界再編問題などとも呼ばれる。
- プロ野球再編問題 (1949年) - 1949年にプロ野球球団数の拡大をめぐって発生した再編問題。これにより翌1950年よりセ・リーグとパ・リーグに分裂。両リーグ合わせて7球団が新規参入し、1949年までの1リーグ8球団体制から2リーグ計15球団(セ8球団、パ7球団)となる。
- プロ野球再編問題 (1973年) - 1973年に日拓ホームフライヤーズの西村昭孝オーナーが1リーグ制移行を視野にロッテオリオンズとの合併を表明したことによって発生した再編問題。結局合併は行われず、日拓球団が日本ハムに身売りされ日本ハムファイターズとなる。
- プロ野球再編問題 (2004年) - 2004年に大阪近鉄バファローズとオリックス・ブルーウェーブの合併を前提とした協議に端を発した再編問題。近鉄がオリックスに合併される形で消滅し、東北楽天ゴールデンイーグルスが新規参入した。
球界再編問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/23 04:30 UTC 版)
ロッテの球団代表時代の2004年に発生した球界再編問題で、瀬戸山はプロ野球実行委員会ワーキンググループ選手関係委員長を務めた。瀬戸山は世論が選手会側の主張を支持するのとは対照的に、オーナー側の立場をぎりぎりまで主張し、冷徹な交渉に徹した。 その交渉姿勢ゆえに、9月9日の団体交渉終了後、当時日本プロ野球選手会の会長であった古田敦也に握手を求めたところ、古田は苦々しい表情で握手を拒否する一幕があった。この一幕は小学生に真似されるほど有名になった。コミッショナーの根來泰周が選手会のスト権行使を明確に「違法」と断じたこともあり、瀬戸山は経営陣側に立つ悪役として認知され、自宅や球団事務所に脅迫状が届くほどであった。9月18日・19日にプロ野球選手会は初のストライキに突入。世論の盛り上がりと古田ら選手会の尽力もあって9月23日に交渉は事実上妥結した。 翌日、宮城県をフランチャイズ(地域保護権)とする新球団の加盟申請が行われ、11月2日のプロ野球オーナー会議を経て東北楽天ゴールデンイーグルスの参入が正式に承認され、現在に至っている。
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