球界「裏面史」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 04:45 UTC 版)
著書で主張している内容として、上記の「藤村排斥事件」や"遺恨試合"以外に、以下のものがある。 南海ホークスの川勝傳オーナーは、生前に2度にわたって、来島どっくグループ総帥の坪内寿夫に球団売却を持ちかけた。ダイエーの中内㓛にも1984年頃に話を持ちかけていた。 セントラル・リーグは鈴木龍二の会長退任の花道という名目で、2球団を追加して8球団にする構想を持っていた。その一つが上記の坪内がオーナーとなって松山市をフランチャイズとする球団、もう一つは田中六助の肝いりによる福岡市の球団だった。この話があったために坪内は南海の売却話に乗らなかった。 近鉄バファローズも1979年頃に、佐伯勇オーナーが坪内寿夫に球団売却を持ちかけていた。 堤康次郎が健在だった頃、永田雅一と青木のもとに堤清二が使者として訪れ、「西武グループが芝公園に球場を建てるので大毎の本拠地に使ってほしい。康次郎は球場経営はしても球団経営はするなと言っているので、大毎の乗っ取りなどは考えていないから安心してほしい」と申し入れた。 堤義明が西武球場を建設した当初は球団を持つ意思がなかった。それが変わったのは、堤と親しかった安倍晋太郎が、義父の岸信介の意向を受けて買収を勧めたためである(当時のライオンズオーナーの中村長芳は岸の元秘書だった)。
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