近鉄・楽天時代
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2004年6月13日に球界再編問題でオリックスとの合併案が浮上。この時には自身の登板日にも拘らず、試合開始直前まで熱心に署名活動に参加したり、登板のない日には試合に出場する他の選手に「後は俺がやっておくから、安心して試合に行ってこい」と声をかけ、吉田秀彦ら交友関係のある友人に協力を求めるなど、精力的に活動し、最後まで球団合併阻止に力を尽くした。しかし、シーズンでは20試合に登板して4完投を記録するも4勝9敗、防御率4.26に終わった。 2004年シーズンオフの分配ドラフトで東北楽天ゴールデンイーグルスへ移籍。2005年はわずか2試合の登板で0勝1敗、防御率8.64の成績に終わりシーズンオフに戦力外通告を受け、現役を引退。
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