ショパン:3つのノクターン (第1-3番)
英語表記/番号 | 出版情報 | |
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ショパン:3つのノクターン (第1-3番) | 3 Nocturnes (b:/Es:/H:) Op.9 CT108-110 | 作曲年: 1830-31年 出版年: 1832年 初版出版地/出版社: Leipzig, Paris, London 献呈先: Mme Camille Pleyer |
楽章・曲名 | 演奏時間 | 譜例 | |
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1 | 第1番 変ロ短調 No.1 h-moll op.9-1 | 5分30秒 | |
2 | 第2番 変ホ長調 No.2 Es-dur op.9-2 | 3分30秒 | |
3 | 第3番 ロ長調 No.3 H-dur op.9-3 | 6分30秒 |
作品解説
《3つのノクターン》作品9
これら3曲は、ショパンが最初に出版したノクターンである。成立年代は諸説あるが、1830年からショパンがパリに到着する31年にかけて作曲されたとする見解が大勢を占める。楽譜は、パリ(M. Schlesinger, 1833)、ライプツィヒ(Kistner, 1833)、ロンドン(Wessel, 1833)の3都市で初めて出版された。楽器製造社カミーユ・プレイエルの妻で著名なピアニストだったカミーユ・モーク(マリー・モーク, 1811-1875)に献呈。
Nocturne Op.9 No.1
ショパンが折に触れて作曲し続けたノクターンの中で、最初に出版された曲集の第1曲を飾る作品。拡大された中間部を持つ三部形式で書かれている。最初の18小節で、情緒豊かで起伏に富んだ旋律が右手で歌われるが、ここで、ショパンは強弱やニュアンスの指示を事細かに書いている。例えば、3小節目では、右手が速い装飾的パッセージを弾くにも関わらず、スタッカートのある音とない音が書き分けられている(譜例1)。
譜例1 第3~5小節
また、第15、16小節では、左手の伴奏型の中の音を押えたままにして、ペダルを踏み変えても、響きが途切れないようにする、「フィンガー・ペダル」の指示が見られる(ベートーヴェンの《ピアノ・ソナタ》Op.31-2等に先例が見られる)。
譜例2 第15~16小節 各小節の左手4~6拍目のFがフィンガー・ペダル
19小節目からは、変ニ長調の中間部に入る。ここに入って32小節間は、延々右手がオクターヴでメロディーを弾くが、そこにはpppやsotto voceといった静けさを求める指示と、オクターヴによる前打音(第30小節)のような御し難いテクニックが同居しているため、美しく歌わせるためには、高度なコントロール能力が必要である。中間部にあたるこの32小節間は、a-a’- a-a’- b-a’- b-a’(リピート記号を使わずに書かれている)の二部形式で書かれている。a’で突然半音上のニ長調に転調したかと思うと直ちに元の変ニ長調に戻り、更にそこで突然音量がfになるという、分裂的な音楽の進行が特に耳を引く。このような遠隔調への転調は、当時の即興実践を反映した幻想曲や即興曲のようなジャンルで見られるものである。譜例3に示すような和声の動きは、理論というよりは、むしろ偶然的な手の動きの産物であろう。概して、このような鍵盤を這うような手の動きがショパンに独自の和声語法の源泉となっている。
譜例3 第23~26小節 第24小節目にニ長調への半音階的転調が見られる
続く8小節では、変ニ長調の主和音にcesの加わった、変ト長調の属七の和音の上で新しいテーマが出てくるが、旋律は第3音のない同じ分散和音の上で奏でられる(この空虚五度の伴奏は同じ和音のまま16小節間も続く)。完全5度の連続による伴奏は、ミュゼット(バグパイプ)を想起させる。さらに、その上で、フルートに似つかわしい旋律が演奏される。
譜例4 第51~54小節
2小節のブリッジを経て、もう1度同じテーマが少し形を変えて現れるが、フルート風の旋律は、今度はホルンの音型を模した二つの声部となって現れる(実際、ここにホルン五度を聴くことができる)。
譜例5 第61~64小節
フルート、ホルンは、いずれも田園風景を描く際に象徴的に使用される楽器であり、ミュゼットの和音は田舎の土俗的な雰囲気を出すためによく用いられる。つまり、この16小節は、束の間のパストラールをとみなすことができるのである。
田園風景過ぎ去ると、音楽は変ト長調に向かうように聴こえるが、第67小節から、伴奏型だけが繰り返される中で転調が生じ、主調である変ロ短調に戻り、最初のテーマの短縮された形での再現となる。79小節目後半のモチーフを何度も繰り返し、最後は突然感情が爆発したかのように、高いes-gesから始まる、強烈な不協和音(主音上に置かれた第5音下方変位の属九)による下降音型を経て、変ロ長調の和音連打で静かに終わるが、最後から2番目の音には倚音のgesがあるといった具合に、最後まで、どこか煮え切らないままである。
譜例6 最後の4小節。最初の小節でb・ces・aが衝突し強烈な響きを作っている。
(林川 崇)
Nocturne Op.9 No.2
言うまでもなく、ショパンのノクターンの中で最も知られたもので、ショパンの死後、ヴァイオリン、チェロ、声楽用などの編曲が盛んに作られた。
曲のフレーズは最後の2小節を除けばすべて4小節のフレーズから成っており、以下のように図式化される。
全体を通じて、左手が一貫して同じ伴奏型を続け、その上で右手の旋律が歌われる。変ロ長調のBの部分は2回ともほぼ同じ形で表れるが、AおよびCの部分は出てくるたびに違った装飾が施されている。このような旋律の装飾法は、当時のオペラ・アリアの演奏習慣に由来するもので、声楽を愛したショパンはこれを積極的にピアノ演奏に取り入れた。この装飾は、ショパン自身、毎回違うように弾いたらしく、そうした出版譜と違った変奏が、あるものはショパン自身の演奏を書き取ったものとして、またあるものはショパンが弟子の楽譜に書きこんだものとして、多数残されている(こうした資料が多く残っているケースは、ショパン作品にあっては珍しい。中には、右手が最高音域から3度の半音階で下降するというものもある)。ドラクロワをはじめとするショパンの取り巻きたちは、この即興性や演奏のたびに音色を自在に変化させる能力にショパンの才能を認めている。こうした彼の演奏習慣は、「楽譜通り」の演奏を基本とする演奏美学と大きく異なる点である。
平明なAに対し、Bの部分では、1小節目で、変ロ長調のVの第一転回形に行ったかと思うと、次の小節で、バスが半音下がって変ホ長調のIV-Iと進行(譜例1, 第10小節)し、また、バスが半音上がって変ロ長調に戻り、安定したかと思うとAに戻る直前で唐突に半音階的和声(譜例2)が現れるなど、何か彷徨うような和声がコントラストを成している。ショパン作品全般を特徴づける「彷徨う和声」もやはり、ある程度はショパンの即興的なセンスから導きだされたものであろう。
譜例1 第9小節~第10小節
譜例2 第11~12小節
(林川 崇)
Nocturne Op.9 No.3
ショパンのノクターンの中で唯一、Allegrettoという快速なテンポが指示された曲であり、また小節数は彼のノクターンの中で最も多い(158小節)。形式は、他の多くのノクターンと同じくA-B-A’-コーダという三部形式をとるが、Aは更に、a-a-b-bに分けられる。aの出だしは、歌うというよりは飛び跳ねるような軽快な主題であり、「おどけて」Scherzandoという楽想用語が用いられている。aの13小節目で、それまで飛び跳ねていた所に、突如espressivoと指示された嬰ヘ長調の歌が入ってくるが、すぐにロ長調に戻って落ち着く。この主題が装飾を増やした形でもう1度繰り返されると、一貫してなだらかな歌が歌われる嬰へ長調のbに入る(第41~64小節)。このbの最後の8小節は、aのそれがそのまま使われている。bもまた、装飾を増やして繰り返される。第87小節目に現れる最後の上昇音型にはppの指示があり、夢見心地な雰囲気を作るが、その最後の音には、それまで、長調だったdis(譜例1)に代わって、短調の、しかもアクセント記号の付いたdが置かれ(譜例2)、音楽は、突然聴き手を突き放すように、2/2拍子の激情的なロ短調の中間部に入る。
譜例1 第63~64小節
譜例2 第87~88小節 Aの末尾とBの入り
ここでは、強弱記号が頻繁に入れ替わり、行き場のない不安定感を醸し出す。そして、感情が頂点まで高まり、ロ短調のドッペルドミナントに終止すると、我に帰ったかのように、Aの最後の2小節が現れる(譜例3)。
譜例3 第129~133小節 Bの末尾とAの回帰
ここでは、前述の上昇音型の最後の音は、dの異名同音のcisisだが、その時点では音楽はまだ短調のため、暗い展開が続くかの印象が与えられる(譜例3、3小節目)。しかし、そのcisisを経過音として、明るい主部に戻り、aの部分が再現される。
譜例1、譜例2に示した上昇音型のモチーフは、第150小節において11連符に拡大され、1オクターヴ上まで衝動的に駆け上がり(譜例4)、激しさを増したところで、短いコーダに入る。
譜例4 第148~151小節
そしてすぐV度に落ち着くと、第2番同様、右手のカデンツァが登場し、最後は、それまでと全く曲想の異なるAdagio、4/4拍子の両手のゆったりとしたアルペジオで終わる。
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