ショパン:3つのノクターン (第4-6番)
英語表記/番号 | 出版情報 | |
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ショパン:3つのノクターン (第4-6番) | 3 Nocturnes (F:/Fis:/g:) Op.15 CT111-113 | 作曲年: 1830-33年 出版年: 1833年 初版出版地/出版社: Leipzig, Paris, London 献呈先: Ferdinand Hiller |
楽章・曲名 | 演奏時間 | 譜例 | |
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1 | 第4番 ヘ長調 No.4 F dur op.15-1 | 3分30秒 | |
2 | 第5番 嬰ヘ長調 No.5 Fis dur op.15-2 | 3分30秒 | |
3 | 第6番 ト短調 No.6 g moll op.15-3 | 4分00秒 |
作品解説
《3つのノクターン》作品15
この3曲のノクターンのうち、第1番と第2番は1831年又は32年に、第3番は1833年に作曲された。楽譜は、パリ(M. Schlesinger, 1833)、ライプツィヒ(Breitkopf und Härtel, 1834)、ロンドン(Wessel, 1834)で初めて出版された。この曲を献呈されたドイツ人0005ピアニスト兼作曲家フェルディナント・ヒラー(1811-1885)は、ショパンの信頼する数少ない
音楽家で親友の一人で、演奏会で共演もしている。あまり知られていないが、ショパンの《練習曲》作品10のイギリス初版表紙の献辞には、リストとならんでヒラーの名前が記載されており、1830年代のショパンの取り巻きのなかでは特に重要な人物である。
Nocturne Op.15 No.1
ショパンのノクターンによく見られる三部形式(A-B-B’-A’)で書かれているが、AとA’は、後者において装飾が増え、短い結句が付いている以外はほとんど同じといって良い。BとB’は展開の仕方こそ異なるものの、最初の4小節は全く一緒であり、12小節ずつの構造になっている点、最後の小節が6/8拍子になる点に、シンメトリーを意識した構造が認められる。このような厳格なシンメトリー構造は、ショパンのノクターンでは他に見られない。
Aでは、左手の三連符の伴奏に乗って、起伏の少ない淡白なメロディーが歌われる。速度表示にAndante cantabileとありながら、表情にsemplice e tranquilloとあるのは、恐らく、歌うといっても、本当に歌うような大きな抑揚は付けずに演奏されることを意味するのだと思われる。こうした楽想指示には、マイアベーアのグランド・オペラで歌われるような、大仰な歌い回しを好まなかったショパンの演奏美学を垣間見ることもできよう。22小節目で、フレーズが収束すると思った所でそこから、冒頭の主題が再び出て歌い始めるが、3小節で歌は「消え行くように」smorzandという指示とともに力尽き、中断される(譜例1)。
譜例1 第21~24小節、Aの末尾
「炎を伴って」con fuocoと記された中間部(B, B’)では、右手が重音の伴奏を弾く中で、左手が波打つような旋律を担い、その波は次第に大きくなる(最初の2小節でその幅は2オクターヴ、その次の2小節では2オクターヴと5度になる)。それまで強弱指定はpしか用いられず、淡々と歌が進行していたのに対し、Bはfで開始され、左手の主要モチーフにはクレッシェンド記号とアクセント記号が置かれるなど、主部とは極端な程のコントラストが作られている。ショパンのノクターンにおいて、これほど様式的なコントラストが生み出される曲は他に見当たらない。
譜例2 第25~26小節、Bの冒頭
この右手の重音は、ショパンの作品の中にはあまり見られないテクニックであり、むしろ30年代のカルクブレンナーの書法に近付いている。ショパン自身、簡略化した音型を弟子のJ.スターリング(作品55の解説参照)の楽譜に書き込んでいる。A’は、殆どAの再現であり、A同様、70小節目でフレーズが収束すると思わせた所でそこから、冒頭の主題が現れわずか5小節の結句に入る。ここには、1回目にはなかったppが見られるが、それにもかかわらず、diminuendo、rallentando、smorzandoの3つの指示が念を押すように書かれている。曲尾は、テンポ、音量ともに落ちていき、2つの分散和音で、殆ど消え入るように曲は終わる。(林川 崇)
Nocturne Op.15 No.2
この曲もまた三部形式(A-B-A’-コーダ)を取っているが、シンメトリカルな第1曲とは違い、最初のAとBの間に推移部がおかれ、また、再現部のA’は短縮されるといった具合に、実際の構成は著しく対称性を欠いている。Aは、それぞれ8小節からなるa-a’-推移部に分かれている。書法としては、他の多くのノクターン同様、左手の伴奏の上で旋律が歌うという体裁をとるが、aとa’では、それぞれの楽節の最後で、弦楽四重奏を思わせるポリフォニックな動きがみられる(譜例1、第7~8小節)。
譜例1 第5~8小節、 aの後半
続く8小節の推移部では、溜息のような装飾を伴う半音階的な和声進行を経て、並行調である嬰ニ短調のドミナントに落ち着くが、すぐ主調のドミナントに戻り、Doppio movimento(倍の速さで)と指示された中間部Bが開始される。ここでは、右手の5連符のアラベスクの中に、オクターヴのメロディーの上声・下声、それと装飾の3つの声部がわざわざ書き分けられている。
譜例2 第25~28小節(B冒頭)
このようなリズムの記譜は、当時としては極めて珍しく、ショパンは音域の異なる音のまとまりを、異なる音色、強弱で引き分けていたということを暗示している。同じことをショパンは《24の前奏曲》作品28の第1番でも試みている。
最初の8小節では低音に、V度の主音であるcisが保持されている。33小節からは、長三度上のイ長調に転調し同じパターンが繰り返されるが、音域が上がるだけでなく、今度はV7の7度音であるDが保持されるため緊張感はいっそう高まる。演奏からは聞き取りにくいが、ここからは右手のリズムパターンが5連符の連続から付点16分音符+32分音符+三連符の連続に変化している(譜例3)。
譜例3 第33小節~36小節
この記譜の変化によって、各拍の後半が切迫し、より緊張感が高まる。こうした記譜の複雑さからは、自身の演奏の微妙なアゴーギグを可能な限り正確に書きとめよとする強い意志が感じ取られる。だが、紙に図形として写すことのできる情報は極めて限られているのであり、実際のショパンの演奏は、単に楽譜を音にする以上に多様なニュアンス、音色に富んでいたであろう。さて、39小節目で、イ長調の並行調であり、かつ主調の嬰ヘ長調の同主調でもある嬰へ短調のV度が響くと、右手は下降を続け、音楽が落ち着きを取り戻し再現部に入る。A’はAの時の半分に短縮されている代わりに、55~57小節目にかけて、華麗な装飾による見せ場が用意される。これが終わると、主和音のみで構成される5小節のコーダで曲は閉じられる。(林川 崇)
Nocturne Op.15 No.3
ショパンのノクターンの中でも異色の1曲で、歌唱的な部分(第1~88小節, 以下A)-コラール風の部分(第89~120小節, 以下B)-マズルカ風の部分(第121~152小節, 以下C)の3セクションからなる。Aでは旋律が常にト短調で提示され冒頭に提示される12小節の旋律が、リズム、伴奏の和声を微妙に変化させながら4回現れる。そのあとに転調域が続くが、ここでは曲冒頭の2小節および第7~第8小節に現れる2種類のリズム動機(譜例1)を利用しながら嬰ヘ長調などの遠隔調に転調する。
譜例1 冒頭8小節
こうした執拗な反復は、どこかショパンと同年生まれのシューマンを想起させる。事実、シューマンは、この曲を気に入り、これに基づく変奏曲を作ろうとした(但し、第3変奏の途中までしか完成されなかった)。
第77小節でクライマックスに達すると半音階的和声の連続と冒頭動機が交替しながら音域を一気に下げ、低音のCisに至り、これが単音で連打される。
譜例2 Cisの反復とコラールの出だし
このCisは、主音のGと増4度の関係にある。西洋芸術音楽の文脈において、増4度は古くから悪魔の音程として忌み嫌われてきた。Cis音は、すでに63小節からバスのペダル音として何度も打ち鳴らされ強調されている。Cisに支配された25小節間(第63~87小節)の直後にreligioso(宗教的に)と指示された天上的なヘ長調コラールが来るのは、意味深長である。ここにみる邪悪さと救済をイメージさせる神聖性の対比は、恐らくショパンの周到な計算によるものであり、この解釈によって初めてなぜショパンがト短調から♯系の遠隔調に逸れていったのかが合理的に説明できる。cisを導く転調のセクションは、視覚的にもとげとげしい。♯の多い調に転じるにもかかわらず、調号を用いないのはそのような効果を狙っているからであろう。こうした視覚効果はバッハ、ヘンデルからハイドンに至るまで、ショパン以前の宗教曲などで用いられた一種の音画tone paintingという手法だが、ショパンはこれら「大作曲家」の作品にみられる伝統的な作曲技法を熟知していたのではないだろうか?
譜例3 Bに先立つ転調域の一節(第63小節目よりCisのペダル音が始まる)
コラールが終わると、突然、世俗の舞踊であるマズルカを想起させる部分に移行する(譜例4)。
譜例4 マズルカ風のセクション
天上から地上へと移行するこのセクションでは、両手のユニゾンとそれを取り巻く刻みの掛け合いが印象的である。テクニック的には、内声を指で押さえたまま(左手は親指だが、右手は中指または薬指で!)、刻みの和音をスタッカートで弾かなければならず、演奏は容易ではない(無論、当時のピアノにソステヌート・ペダルは装備されていなかった)。同じ形を繰り返しながら次第に音に気を下げ、ニ短調に落ち着くかと思わせておいたところで、曲は唐突にト短調のコラールになり、直ちに曲は閉じられる。この短いノクターンには、何か壮大なドラマが秘められているようである。
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