ハプニング・トラブル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 14:59 UTC 版)
「アメリカ横断ウルトラクイズ」の記事における「ハプニング・トラブル」の解説
次のようなハプニング・トラブルもあった。 福留の病気(第6回) ダラスでのクイズ終了後、福留が農薬のついたブドウを皮ごと食べ、体調を崩し病院に運ばれた。この時は挑戦者のみ次のチェックポイントに先に移動し、福留は1日遅れの日程でロケに復帰。次のチェックポイント(ニューオリンズ)に赴くまでには腫れが引いたものの、腫れの引きが急激に起こり、顔の皮膚が伸び切った状態となってしまった。このため、福留の顔は一切映しだされず、後姿(顔にはサングラスをつけていた)と声だけでクイズを進行した。それがきっかけとなり、次の回からは万が一福留が何らかの理由で司会進行が不能になった場合に備え、予備のアナウンサーを同行させるようになった(石川牧子、小倉淳など)。また、入社したての若手アナウンサーを研修目的で参加させることもあった(日高直人、鈴木健など)。 挑戦者のドクターストップ(第7回) バンクーバーでのクイズ終了後、挑戦者の一人が収録中に急病にかかり、現地の病院に搬送された。尿路結石のため再発の恐れがあるという理由でドクターストップがかかり、日本へ強制帰国となった。本番組の旅で常時挑戦者を1人多く連れて行き準決勝が通常4名(第6回は5名、第10回の北米・南米各ルートでは3名)で行われるのは、このような不測の事態に備えていたためである。準決勝が3名で行われたのは第1回、第3回、第7回だが、当初から3名で行われるのを想定していたのは第1回と第3回のみ。上記の体制が確立したのは第4回以降からである。 祭典によるルートの変更(第8回) 当初グランドキャニオンで行われる予定だったが、当日祭典があり、多数の観光客が押し寄せると予想されたためリノへ変更。大声クイズは、リノに隣接している高地スコーバレーで行われた。 災害によるルートの変更(第10回) 当初の南米ルート決勝地は、北米ルートのナイアガラに対しイグアスの予定だったが、洪水のためリオデジャネイロへ急遽変更された。 敗者が国境警備隊に拘束される(第12回) 罰ゲームでイグアス川を小船で下ることになった敗者がブラジルからパラグアイ側に流されていってしまい、高速艇に乗ったパラグアイの国境警備隊に機関銃で威嚇射撃され、不法出国容疑で拘束された。川岸にいたスタッフが急行しテレビの撮影だと説明したが、1kmほど離れた山の上から望遠カメラで撮影していたため「カメラなんてないじゃないか」と言われてしまい、最終的にはコーディネーターの交渉で解放された。放送ではドッキリ風に編集されているが、威嚇射撃の水しぶきが確認できる。 ストライキによるルートの変更(第13回) オーストラリアの航空便国内線がストライキ決行中で利用できず、チェックポイントをシドニーからバス移動できるオーストラリア東海岸範囲に変更せざるを得なかった。エアーズロック・パース・ダーウィンが削除され、代わりにモーリー・ブルーマウンテンを追加したといわれる。モーリーで大量の脱落者が出たのはこの影響と言われる。 台風の余波(第14回・第16回) 第14回ではグァムで台風の直撃を受け、どろんこクイズのセットや撮影機材を維持させることが不可能になり、急遽○×ボードを掲げる方式のクイズに変更された。第16回では同じくグァムで、台風自体は既に通過していたが、空港が救援物資を空輸することを最優先にしたため、ブーブーゲートが設置できなくなり、挑戦者全員をいったんグァムに下ろし、滞在先のホテル入口で類似のセットを使用し合否判定を行った。また、電気などのライフラインも破壊され、どろんこクイズのプールを作ることができず、急遽早押しクイズに変更された。 制作プロダクションの降板(“今世紀最後”) 「今世紀最後」は第1回から第11回まで制作に携わったテレビマンユニオンが制作を担当し、プロデューサーは鶴野徹太郎、総合演出も第6回から第10回まで担当した白井博が務める予定だった。しかし、「今世紀最後」の放送時間が同社が制作する『世界ウルルン滞在記』の裏に重なることになってしまい、放送枠変更が叶わなかったため、テレビマンユニオンならびに白井をはじめとするスタッフが制作を降りた。それに伴い番組スタッフは、当時の日本テレビのバラエティ番組で成果を上げていた城朋子を中心とした態勢で臨むことになった。 テロによる日程変更(“今世紀最後”) 1998年(平成10年)8月にアメリカ大使館爆破事件が起きたため、スタッフにアメリカのビザの発給が大幅に遅れ、当初の日程(成田集合9月20日から日本帰国10月9日成田着までの予定)で収録をすることが不可能になった。当初の日程では、福留が生放送でキャスターを務めていたTBS系土曜夜の報道・情報番組『ブロードキャスター』を1週(9月26日)休んでロケができる日程(10月3日はオールスター感謝祭で放送休止、『ズームイン!!朝!』に関してはこの年の8月限りで勇退していた為、1次予選は福留のズームイン司会最終回前日に実施され、2次予選以降は当初からズームイン司会交代後に実施の予定だった)が組まれていたが、成田集合9月30日から準決勝終了後一旦日本帰国10月16日成田着・1カ月後に決勝地へ出国という変則日程となり、結果的には福留は同番組の休暇日を9月26日から10月10日へ変更した。また、全面的な企画変更を余儀なくされ、挑戦者にも多大な迷惑がかかり、出場を辞退した挑戦者も多数出て、第一次予選の補欠合格者の中で第二次予選以降に参加できる挑戦者を全員繰上げ当選させても当初の通過人数であった128名には届かなかった。決勝会場がニューヨークでなくなったのはこの日程変更の余波といわれる。さらに、このことにより番組予算に億単位の赤字が出た。また、チケットは決勝地までのもの、成田(東京)行きのもの全て、誰が敗者になるかわからないので全て仮名で取り、クイズ終了後に全て実名に変更するという方法をとっていた(#番組の特徴の節も参照)が、2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ以後の世界情勢ではそれが許されなくなった(ディレクターの加藤就一・談)といったことが、以後の番組復活を妨げる要因とされる。実際、2007年に全日空が、日中国交正常化35周年および同社の北京路線就航20周年を記念、かつ翌2008年の北京オリンピック時、中華人民共和国で「中国横断ウルトラクイズ」(中国大陸を横断するクイズを全日空側が提案)をやるのであれば制作費として3億円を出すという提案をし、当時アール・エフ・ラジオ日本に出向していた元総合演出の加藤就一が詳細な企画案まで提出したものの、最終的に局上層部の判断でゴーサインが出なかったという。
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