軍事基地としての真珠湾とは? わかりやすく解説

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軍事基地としての真珠湾

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 18:50 UTC 版)

真珠湾攻撃」の記事における「軍事基地としての真珠湾」の解説

1898年明治31年7月アメリカハワイ併合を行うと、海軍基地順次整備していき、太平洋上における戦略上の軍事拠点として、またフィリピンへの中継拠点として、その存在意義高まっていった。1940年昭和15年5月には、日本の南方政策を牽制するためアメリカ合衆国西海岸サンディエゴ駐留していた太平洋艦隊主力が、ハワイ真珠湾駐留するようになった当時ハワイアメリカ巨費投じて構築した要塞であり、「太平洋ジブラルタル」と呼ばれ難攻不落思われていた。軍事評論家フレッチア・ブラッドは「真珠湾はおそらく、世界中で最良海軍基地であり、これほど最良位置にあり、最高に防御され、また最高に補給され基地は他のどこにもない。」と評価しアメリカ極東陸軍司令官ダグラス・マッカーサー少将も「真珠湾アメリカ太平洋にもっていた最も強力な軍事基地だった。基地防衛陣は高射砲陣地アメリカの持つ最も優秀な航空機、それに高度に防備され飛行場警報設備備え、さらにアメリカ太平洋艦隊守られ当時私がもっていた不完全な陸海空間に合わせ部隊比べればお話しにならないほど強力なのだった。」と分析していた。アメリカ新聞が「日本は我々を攻撃することはできない。それは軍事的に不可能なことである。ハワイ基地でさえ日本艦隊有効な攻撃力圏外にある。」と報じジャーナリストのクラーク・ビーチが「日本真珠湾対す攻撃は、もっともありうべからざることである。成功チャンス百万にひとつしかない。」と寄稿したように、アメリカ国民や軍の多く人々は“金城鉄壁真珠湾”という真珠湾触れ込み信じ切っており、日本軍攻撃への警戒が非常に希薄であった。 しかし、ハワイへの空からの攻撃可能性については、かなり前から指摘され続けており、古く1920年代航空主兵論の熱心な論者ウィリアム・ミッチェルが、ハワイオアフ島について防空体制不備指摘する意見公表している。また1932年昭和7年)にはアジア艦隊英語版司令長官ハリー・E・ヤーネル大将が、日本宣戦布告前に空母ハワイもしくはアメリカ合衆国西海岸攻撃する可能性指摘し2月7日日曜日実際に就役間もない空母2隻(レキシントンサラトガ)と4隻の駆逐艦使用し152機の攻撃機オアフ島沖96kmの海上から防御体制のできていない真珠湾早暁奇襲する模擬訓練行ったところ、理論上湾内碇泊する全ての艦船沈め地上航空機全て破壊する計算で、完全に成功している。この演習模様ホノルル日本領事館から本国報告されていた。第二次世界大戦始まりナチス・ドイツ快進撃続いていた1940年昭和15年)になると、太平洋艦隊司令長官ジェームズ・リチャードソン大将フランクリン・ルーズベルト大統領太平洋艦隊主力真珠湾置いていることの危険性について進言すると共に日本軍奇襲備え洋上哨戒しょうかい)を強化したが、ルーズベルトとは意見合わず解任され1941年昭和16年2月にはハズバンド・キンメル大将太平洋艦隊司令長官就任している。 キンメル前任リチャードソン同様にオアフ島危険性については十分認識しており、太平洋艦隊司令長官になると直ちに「開戦布告先立って真珠湾艦船攻撃があるかも知れない」と極秘指令出し艦隊警戒呼び掛けたが、結局は潜水艦による攻撃備えて駆逐艦哨戒強化指示止まった昼夜問わず360度警戒を行うだけの偵察機を有さなかったことを理由に、初めから航空哨戒についての努力放棄していたのである1941年昭和16年8月にはハワイ陸軍航空隊指揮官フレデリック・L・マーチン少将と第5爆撃航空隊指揮官ウィリアム・C・ファーシング大佐数名スタッフによる作戦研究で「日本海軍は6隻の空母使用し北方から攻撃をかけてくる。オアフ島対す攻撃早朝が敵にとってもっとも有利であろう。」という、ほぼ完全に日本軍の作戦予見した研究結果出てキンメル陸軍省にも報告されているが、その報告により航空哨戒強化されることはなかった。この頃アメリカ大西洋戦局大きな関心向けており、日本軍真珠湾での攻撃可能性については十分に認識していたが、それを現実的な脅威とは考えていなかった。キンメル海軍作戦部長ハロルド・スターク大将に「大西洋問題軽く見るわけではないが、ここから見ていると、太平洋依然として世界情勢一部である。」と愚痴めいた書面贈ったのに対しスタークは「私自身ジャップやってくるとは思わない」と答えている。 それは、ハワイ方面陸軍司令官ウォルター・ショート中将陸軍も同様で、ハワイには二個師団防衛部隊が配置されていたが、常に補給訓練問題悩まされていた。強力な戦力となる「空の要塞B-17爆撃機アメリカ本土工場製造されると、オアフ島空輸され武装その他の最終装備施されるが、それからB-17ハワイにほとんど留まることなくフィリピン送られていた。陸軍誰もがハワイB-17必要になるとは思っていなかったからである。ハワイ陸海軍総指揮官であるキンメルショート一週間おきの日曜日一緒にゴルフを楽しむなど個人的に懇意であったが、陸海軍連携協力は無いに等しくショート海軍航空哨戒をしていると思い込んでおり、陸軍哨戒活動をほとんどしていなかった。こうした陸海軍警戒態勢不備大西洋重視日本軍対す過小評価アメリカ軍油断生じさせていた。

※この「軍事基地としての真珠湾」の解説は、「真珠湾攻撃」の解説の一部です。
「軍事基地としての真珠湾」を含む「真珠湾攻撃」の記事については、「真珠湾攻撃」の概要を参照ください。

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