該当する戦争の一覧とは? わかりやすく解説

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該当する戦争の一覧

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/14 16:26 UTC 版)

外交上の終結まで長期にわたった戦争の一覧」の記事における「該当する戦争の一覧」の解説

交戦国歴史上呼称戦争開始戦争終止戦争終結概要アテナイ vs スパルタ ペロポネソス戦争 紀元前431年 紀元前404年 1996年 アテナイ降伏して平和条約結ばれ1996年市長象徴的な平和条約締結合意した共和政ローマ vs カルタゴ ポエニ戦争 紀元前264年 紀元前146年 1985年 紀元前146年ローマ人カルタゴ占領して破壊した際、古代ローマカルタゴ互いに平和条約締結する事はなかった。1985年になってローマカルタゴ市長平和条約締結し友好協定結んだシリー諸島 vsオランダ 三百三十五年戦争 1651年 1654年 1986年 ミヒール・デ・ロイテル率いネーデルラント連邦共和国現在のオランダ前身)の海軍提督マールテン・トロンプは、当時イギリス王室軍の支配下にあった正確には、英国領だったコーンウォールにあったシリー諸島に対して宣戦布告した当時イングランドのほぼ全土議会派の手にあったためである。背景には、王党派共和派との間で起きたイングランド内戦の期間中国王軍所属海賊による威嚇を、ネーデルラント受けていた事があった。ただし、シリー諸島国家でもなく、ネーデルラントイングランドは、1651年戦争状態に入り第一次英蘭戦争)、1654年ウェストミンスター条約締結して講和している。1986年4月17日オランダ大使シリー諸島招かれて「平和条約」が締結され、この戦争にも終止符打たれた。ただし、ロイテル提督宣戦布告権限はなく、仮に戦争状態が発生していても1654年ウェストミンスター条約終結していたという指摘もある。 ウェスカル(英語版vs デンマーク 半島戦争 1809年 1814年 1981年 1809年11月11日スペインのウェスカル議会は、デンマーク=ノルウェーに対して宣戦布告した。これはデンマーク半島戦争においてフランス帝国支援していたためである。1981年地元郷土史家によって発見されるまで、この戦争宣戦布告されていた事は忘れ去られていた。1981年11月11日、ウェスカル市においてウェスカル市長と駐スペインデンマーク大使との間で平和条約交わされ、ようやく終結した172年もの間、武器交える事がなく、それ故1人死傷者も出さなかった奇妙な戦争だった。 モンテネグロ公国 vs 大日本帝国 日露戦争 1904年 1905年 2006年日露戦争では、1905年モンテネグロ公国日本宣戦布告しロシア軍とともに戦うため義勇兵満州派遣していた。しかし実際に戦闘参加しなかったことから、その宣戦布告無視され講和会議には招かれなかった。1918年モンテネグロ公国消滅したが、国際法上は、モンテネグロ公国日本戦争継続しているという奇妙な状態になった日本政府は、2006年提出され衆議院議員鈴木宗男質問主意書対す答弁書において「千九百四年にモンテネグロ国が我が国に対して宣戦布告したことを示す根拠があるとは承知していない。」と回答している。2006年6月3日モンテネグロ独立宣言際し日本政府は、6月16日独立承認し山中燁子外務大臣政務官総理特使として派遣したUPI通信6月16日ベオグラードB92ラジオニュース引用し特使独立承認100年以上前勃発した日露戦争休戦通達を行う予定報道したが、日本国外務省からは、特使派遣報告はじめとして日露戦争休戦関連する情報出されていない日本とモンテネグロの関係参照のこと。 アンドラ公国 vs ドイツ帝国 第一次世界大戦 1914年 1918年 1958年 1993年の正式独立までアンドラフランス大統領スペインウルヘル司教共同君主とする共同主権地域であった第一次世界大戦において、アンドラドイツ戦争状態に入ったが、パリ講和会議参加しておらず、戦争状態が続いたとされることがある。この終戦時期1950年代であるという説から、1930年代・1940年代まちまちハッキリとした証拠は見つかっていない。なお2014年公表され歴史家調査では、アンドラドイツ宣戦布告及び第一次世界大戦に参戦していたという公的記録は、アンドラにもドイツにも存在していないことが判明している。そのため「アンドラ第一次世界大戦に参戦していた」という事自体そもそも間違い可能性がある。 コスタリカ vs ドイツ帝国 第一次世界大戦 1918年 1918年 1945年 コスタリカ1918年5月23日ドイツ宣戦しているが、1917年8月成立したフェデリコ・チノコ・グラナドス(英語版)の政権イギリスおよびアメリカ政府承認していなかったため、パリ講和会議招請されなかった 。1919年9月にチノコ政府崩壊した後、新政府はチノコ政府の諸決定無効とする措置を執っている。しかしドイツコスタリカにおいては個別和平合意おこなわれていないため戦争状態が終結していない事になる。第二次世界大戦においてコスタリカ連合国として参戦しドイツとの戦争状態にあるとした連合国共同宣言の原署名となっている。 連合国 (第二次世界大戦) vs ドイツ国 第二次世界大戦 1939年 1945年 1990年 ナチス・ドイツ敗北後連合国ベルリン宣言によって、ドイツ中央政府存在しない宣言しその後占領統治のさなか、ドイツ占領地域は分裂する事態になったいわゆる西ドイツ東ドイツ)。その後1951年7月9日7月13日にはイギリスフランスが、10月24日にはアメリカドイツとの戦争状態終結宣言した。また西側連合国イタリア戦争状態終了追随している。1955年1月25日にはソ連ドイツとの戦争状態終結宣言している。しかし、すべての戦争当事者ナチス・ドイツ継承国であると認められた「ドイツ」は冷戦期通じて存在しなかったために正式な平和条約結ばれず、1990年9月12日ドイツ最終規定条約締結されることによって正式な戦争状態が終了した

※この「該当する戦争の一覧」の解説は、「外交上の終結まで長期にわたった戦争の一覧」の解説の一部です。
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