織作家
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織作 五百子(おりさく いおこ) 織作家の最古老。紡織業初代・織作嘉右衛門の妻であり、四姉妹の曾祖母。100歳近い高齢。銀髪の老媼で、老人性痴呆症の気があり、足腰が弱って多くは座った切りなので、茜に介護されている。 織作 雄之助(おりさく ゆうのすけ) 真佐子の婿。織作紡織の3代目当主。柴田財閥の腹心。出身は越後で、大正14年に婿入りした。柴田財閥を後ろ盾につけて事業を拡大して戦中もかなり儲けていた。婦人の人権拡大については寛容で割と理解もある方だったが、性の解放に関する話題は頭ごなしに激怒していた。書画骨董の蒐集を好んだ。 敗戦後の4、5年は心臓を悪くして伏せりがちになり、昭和28年3月に心筋梗塞のため急死する。50歳程の若さであったため毒殺説も囁かれる。 織作 真佐子(おりさく まさこ) 家長。47歳。当主雄之助の妻で、紫・茜・葵・碧ら四姉妹の母親。絶世と評するに相応しい容貌の上品な婦人で、強く近寄り難い雰囲気があり、30歳でも通る程若々しい。いかなる時も毅然としている気丈な女性。夫個人には殆ど興味がなく、口も利かなければ寝所も別だった。 辛気臭い骨董品を嫌い、是助が織作の名で勝手に夫の遺品を売買する前に今川に処分を依頼する。 織作 茜(おりさく あかね) 織作家の次女。28歳。類稀なる美形だが、まだ幼さを残した、柔和な温順しそうな顔つきで、控え目で存在が薄い。気が弱く、謙虚な姿勢を崩さない。夫である是亮の乱暴な態度と雑言に耐える貞淑な妻。善く出来た妻の鑑のような人物と評判で、良人を追い出すなら自分も織作家を出て行くと云ったとされるが、夫との夜の行いを拒否したとの噂もあり、謙虚過ぎて他人の自尊心を傷つけている節もある。 あまり社交的ではないが、薬学の学校にも通っていたので、少なからず外に知人友人もいる。ただ薬剤の仕事には就かず、社会参加は夫の左遷先の小金井町にある小さな工場で秘書を夏から秋にかけてしただけに止まっている。 織作 葵(おりさく あおい) 織作家の三女。22歳。非のうちどころがない美形だが、飾人形のように人間らしさを損なう程に容貌が整っている。 「婦人と社会を考える会」の中心人物として女性の権利向上の為の活動をしており、発言は常に論理的で厳しく、男尊女卑を匂わせる発言をした人間には高圧的な態度をとる。非常に聡明且つ情熱的なので、シンパも大勢いる。両親とは折り合いが悪い。 織作 碧(おりさく みどり) 織作家の四女。聖ベルナール女学院2年生。13歳。品行方正にして成績優秀、類稀なる才媛で、信仰に厚く、天使のような風貌と振る舞いで、他の者の尊敬を集めている。なまじ飛び抜けているが故に他人と己を比較せず、劣等感を持たぬ代わりに優越感も持っていないと云われている。一方で齢を取ってからの子供の割に、親からはあまり可愛がられている様子はない。 織作 是亮(おりさく これあき) 茜の婿、出門耕作の息子。聖ベルナール女学院の理事長。真佐子は人間がなっていないと評していたが、子供の頃から雄之助に見込まれて可愛がられ、織作の会社にも入れてもらい、雄之助が真佐子の猛反対を押し切る形で3年前に茜の婿になる。結婚後には柴田グループの役員に昇格となり、傘下企業の経営を任されたものの、やること為すこと裏目に出て、雄之助の援助があったにも関わらず2年目で会社を倒産に追い込んでしまう。役員の任を解かれて小石川町の子会社に出向したが、他人の下で働くことに抵抗して辞職。無職では体面が悪いと昨年秋以降は聖ベルナール女学院で経営を手伝っているが、学院の金を横領している。 事業の失敗以降、酒を飲んでは悪さを働き、賭けごとや女遊び、妻への暴力を繰り返し、周囲から馬鹿にされるのは使用人の子だからだと実父に八つ当たりするので評判は非常に悪く、男の風上にも置けないと云われている。 女学生達の売春に勘付いて美由紀と小夜子を脅迫した直後、織作屋敷で絞殺され、一部始終を伊佐間・今川らに目撃される。 出門 耕作(でもん こうさく) 織作家に古くから仕える、朴訥で忠実な使用人。肩幅が広い大柄な老人で、頭には1本の毛髪もない。是亮の父親。呉仁吉の60年来の友人。 奈美木 セツ(なみき セツ) 織作家の若い家政婦。勤務歴は二年。年齢は17、8歳程。全体に洋風なのだが、何故か中国の磁器に描かれる子供のような印象を与える。威勢はいいがそそっかしく饒舌。会ったばかりの今川から「セッちゃん」と呼ばれる。織作家の内部事情に詳しい。 続編の『百器徒然袋――風』にも登場。 織作 紫(おりさく ゆかり) 織作家の長女。父権制度の鋳型に嵌って育ったような人物だったらしく、社会にそれ程興味を持たず、狭い地域の住民しか知り合いは居なかったと云う。昭和27年春に28歳で早逝。 織作 伊兵衛(おりさく いへえ) 織作家の先代。故人。織作紡織機の2代目で柴田耀弘の盟友。秦氏の傍系に当たる羽田家の生まれで、出身は京都。明治34年に30歳で婿入りした。力織機で得た利益を地元に還元し、聖ベルナール女学院などを作った。堅物で信心深い基督教徒だったと云われている。60代で亡くなったとされる。 織作 嘉右衛門(おりさく かえもん) 織作家の先々代。故人。五百子の婿。織作紡織機の創始者で、柴田耀弘が柴田製糸を興した時に資金援助した、大柴田の恩人と謂える人物。外様の幕臣の子であったが、事業家として天賦の才を持ち、傾きかけていた織作の家を立て直したのみならず莫大な財を成した。 織作 貞子(おりさく ていこ) 伊兵衛の妻で真佐子の母親。故人。五百子の実子ではなく、嘉右衛門が何処かの女工に産ませた子だったと云う噂がある。
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織作家(おりさくけ)
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紡績業で一代の富を築き上げた財閥。柴田財閥に劣らぬ力を持っている。雄之助の代になり、柴田財閥と手を組んだ。女性が多く生まれるため、他所から婿養子をとっている。当主は男、家長は女。
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