織作家とは? わかりやすく解説

織作家

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 09:39 UTC 版)

絡新婦の理」の記事における「織作家」の解説

織作 五百子(おりさく いおこ) 織作家の最古老。紡織初代織作嘉右衛門の妻であり、四姉妹曾祖母100歳近い高齢銀髪老媼で、老人性痴呆症の気があり、足腰弱って多く座った切りなので、介護されている。 織作 雄之助(おりさく ゆうのすけ) 真佐子の婿。織作紡織3代目当主柴田財閥腹心出身越後で、大正14年婿入りした。柴田財閥後ろ盾につけて事業拡大して戦中もかなり儲けていた。婦人人権拡大については寛容で割と理解もある方だったが、性の解放に関する話題頭ごなし激怒していた。書画骨董蒐集好んだ敗戦後4、5年は心臓悪くして伏せりがちになり、昭和28年3月心筋梗塞のため急死する50歳程の若さであったため毒殺説も囁かれる。 織作 真佐子(おりさく まさこ) 家長47歳当主雄之助の妻で、紫・・碧ら四姉妹母親絶世評する相応し容貌の上品な婦人で、強く近寄り難い雰囲気があり、30歳でも通る程若々しいいかなる時も毅然としている気丈な女性。夫個人には殆ど興味がなく、口も利かなければ寝所別だった辛気臭い骨董品を嫌い、是助が織作の名で勝手に夫の遺品売買する前に今川処分依頼する織作 茜(おりさく あかね) 織作家の次女28歳類稀な美形だが、まだ幼さ残した柔和な温順しそうな顔つきで、控え目存在が薄い。気が弱く謙虚な姿勢崩さない。夫である是亮の乱暴な態度雑言耐える貞淑な妻。善く出来た妻の鑑のような人物評判で、良人追い出すなら自分も織作家を出て行くと云ったとされるが、夫との夜の行い拒否したとの噂もあり、謙虚過ぎて他人自尊心を傷つけている節もある。 あまり社交的ではないが、薬学学校にも通っていたので、少なからず外に知人友人もいる。ただ薬剤仕事には就かず社会参加は夫の左遷先の小金井町にある小さな工場秘書夏から秋にかけてしただけに止まっている。 織作 葵(おりさく あおい) 織作家の三女22歳。非のうちどころがない美形だが、飾人形のように人間らしさ損な程に容貌整っている。 「婦人社会考える会」の中心人物として女性の権利上の為の活動をしており、発言は常に論理的厳しく男尊女卑匂わせる発言をした人間には高圧的な態度をとる。非常に聡明且つ情熱的なので、シンパ大勢いる。両親とは折り合いが悪い。 織作 碧(おりさく みどり) 織作家の四女聖ベルナール女学院2年生13歳品行方正にして成績優秀、類稀な才媛で、信仰厚く天使のような風貌振る舞いで、他の者の尊敬集めている。なまじ飛び抜けているが故に他人と己を比較せず劣等感持たぬ代わりに優越感持っていないと云われている。一方で齢を取ってからの子供の割に、親からはあまり可愛がられている様子はない。 織作 是亮(おりさく これあき) の婿、出門耕作息子聖ベルナール女学院理事長。真佐子は人間がなっていないと評していたが、子供の頃から雄之助に見込まれ可愛がられ織作会社にも入れてもらい、雄之助が真佐子の猛反対押し切る形で3年前の婿になる。結婚後には柴田グループ役員昇格となり、傘下企業経営任されたものの、やること為すこと裏目に出て、雄之助の援助があったにも関わらず2年目会社倒産追い込んでしまう。役員の任を解かれ小石川町の子会社出向したが、他人の下で働くことに抵抗して辞職無職では体面が悪いと昨年以降聖ベルナール女学院経営手伝っているが、学院の金を横領している。 事業の失敗以降、酒を飲んで悪さ働き賭けごとや女遊び、妻への暴力繰り返し周囲から馬鹿にされるの使用人の子だからだと実父八つ当たりするので評判は非常に悪く、男の風上にも置けないと云われている。 女学生達の売春に勘付いて美由紀小夜子脅迫した直後織作屋敷絞殺され一部始終伊佐間・今川らに目撃される出門 耕作(でもん こうさく) 織作家に古くから仕える、朴訥忠実な使用人肩幅が広い大柄な老人で、頭には1本の毛髪もない。是亮の父親呉仁吉60年来の友人奈美木 セツ(なみき セツ) 織作家の若い家政婦勤務歴は二年。年齢178歳程。全体洋風なのだが、何故か中国の磁器描かれる子供のような印象与える。威勢はいいがそそっかしく饒舌会ったばかりの今川から「セッちゃん」と呼ばれる。織作家の内部事情に詳しい。 続編の『百器徒然袋――風』にも登場織作 紫(おりさく ゆかり) 織作家の長女父権制度の鋳型に嵌って育ったような人物だったらしく、社会それ程興味持たず、狭い地域住民しか知り合いは居なかったと云う昭和27年春に28歳早逝織作 伊兵衛(おりさく いへえ) 織作家の先代故人織作紡織機2代目柴田耀弘の盟友秦氏傍系に当たる羽田家の生まれで、出身京都明治34年30歳婿入りした。力織機得た利益地元還元し聖ベルナール女学院などを作った堅物信心深い基督教徒だったと云われている。60代亡くなったとされる織作 嘉右衛門(おりさく かえもん) 織作家の先々代故人五百子の婿。織作紡織機創始者で、柴田耀弘が柴田製糸興した時に資金援助した、大柴田の恩人と謂える人物外様幕臣の子であったが、事業家として天賦の才持ち傾きかけていた織作の家を立て直したのみならず莫大な財を成した織作 貞子(おりさく ていこ) 伊兵衛の妻で真佐子の母親故人五百子の実子ではなく嘉右衛門何処か女工に産ませた子だったと云う噂がある。

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織作家(おりさくけ)

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絡新婦の理」の記事における「織作家(おりさくけ)」の解説

紡績業一代の富を築き上げた財閥柴田財閥劣らぬ力を持っている。雄之助の代になり、柴田財閥手を組んだ女性多く生まれるため、他所から婿養子とっている。当主は男、家長は女。

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