科学哲学に関する批判
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「カール・ポパー」の記事における「科学哲学に関する批判」の解説
ポパーの哲学に対する批判は大多数が反証主義、つまり、彼の説明する問題解決法の最重要要素である誤りの排除に対するものである。これらの批判を理解する上では、ポパーの説の狙いを心にとどめておくことが重要である。それは理想的には、人間が問題を解決する上で効果的な実践的な方法となることを狙っている。そういうものとして、現代科学の結論はこの特に精力的な選別法にかけられて生き残ってきた限りで疑似科学や非科学よりも強力である。ポパーは、それゆえにそういう科学の出す結論は全て正しいだとか、反証主義は個人としての科学者全員が実際にとる方法であるなどと主張しているわけではない。 むしろ反証主義は、何らかのシステムやコミュニティに採用されると(そのシステムやコミュニティがどれだけよく採用しているかに応じて)時間のかかるゆっくりだがしかし確実な発展へ導く、推奨される理想的な方法である。ポパーの説は論理実証主義と同時期に生まれたために、強く論理的な真理の説明と思い違いをしばしばされると主張されてきた(論理実証主義の信奉者たちが自分たちの狙いとポパーの狙いを間違えたのである)。 仮説はそれぞれが理論環境の一部として付属しているために一つの仮説をそれ単体でテストすることは不可能だと確証の全体論は主張する。そのため、関連する理論全体をまとめて間違っていたということしかできず、結論としてそのひとまとまりの理論のうちのどの要素を取り除かなければいけないかを言うことはできない。このことの例として、海王星の発見がある。天王星の運動がニュートンの運動法則による予測と合わないとわかったとき、「太陽系には惑星が7つある」という理論が放棄され、ニュートンの運動法則自体は放棄されなかった。素朴な反証主義に対するこの手の批判について『科学的発見の論理』の3章及び4章で論じられている。ポパーによれば、理論はある種の選択の過程を通じて選択もしくは放棄される。物事が表れることについてより多くのことを語る理論はそうでない理論より好まれる。つまり、より一般的に適用できる理論が、より価値が高い。ニュートンの運動法則は広い適用範囲を持っており、より個別的な「太陽系には7つの惑星がある」よりも好まれる。[疑問点 – ノート] トーマス・クーンはその影響力の高い著書『科学革命の構造』で、科学者はパラダイムの系列の中で活動しており、また、反証主義者の方法論では科学が不可能になると主張した:.mw-parser-output .templatequote{overflow:hidden;margin:1em 0;padding:0 40px}.mw-parser-output .templatequote .templatequotecite{line-height:1.5em;text-align:left;padding-left:1.6em;margin-top:0} 「いかなる理論も、しばしば完全に大抵の問題を解決したとしても、それが存続した時期に直面した問題をひとつ残らず解決したことはない。それに反して、データ理論と一致することなのだが、いつの時代も現存する問題を完全には解けないことによってこそ通常科学を特徴づける難題の多くが定義される。全ての問題がそれぞれ対応する理論を否定する根拠になるならば、全ての理論が全時代を通じて否定されているべきである。一方、厳密な間違いのみが対応する理論の放棄を正当化するならば、ポパリアンには『不可能性』もしくは『反証の程度』の何らかの基準が必要となる。一つを発展させるうえでポパリアンはほぼ確実に、様々な検証するための理論の候補に付きまとう、先ほどのと同様の困難のネットワークに直面する(評価を行う理論は対立する理論に対して退歩することを要求することによってしか自信を正当化できない)。」---The Structure of Scientific Revolutions. pp. 145-6. ポパーの弟子イムレ・ラカトシュは、素朴な反証主義のより明確な全称命題よりむしろ「リサーチプログラム」の反証主義による科学的発展を主張してクーンの研究と反証主義を調停しようとした。ポパーの弟子のうちでもう一人ポール・ファイヤアーベントはあらゆる規範的方法論を徹底的に拒否し、唯一の普遍的な方法は科学的発展を「なんでもあり」と特徴づけるものだと主張した。 ポパーは、後にクーンによって強調された「科学者たちは必ず、限定された理論的枠組みの中で自説を発展させる」という事実は1934年の版のポパーの著作『科学的発見の論理(Logik der Forschung)』において既に認識されており、その範囲で「通常科学」に関するクーンの主張の主眼点を予想していたと主張した。(ただしポパーは、自身がクーンの相対主義だとみなしたものを批判している。)また、論文集『推測と反駁――科学的知識の発展』(1963年)ではポパーは「科学は神話とともに、そして神話に対する批判とともに始まる。たくさんの観測結果でも、実験方法の発明でもなく、神話や魔術的技術・営為に対する批判的討論とともに。科学的流儀は前科学的流儀とは二つの層で異なる。前科学的流儀では、それはそれ自身の理論を通過する。しかしそれはそれらに対する批判的態度をも通過する。理論は独断的教義としてではなく、理論について議論したり理論を改良したりすることで通過する」と書いている。 もう一つの反論は、特に帰無仮説を評価する統計的基準を用いている場合に、決定的な誤りを示すことが必ずしも可能ではないということである。より一般的に言えることだが、証拠が仮説と矛盾する際に、そのことが仮説の誤りを示しているのか証拠の誤りを示しているのかは必ずしも明確ではない。しかしながら、こういった批判はポパーの科学哲学が何を示そうとしたかを理解していない。科学を一生懸命発展させるうえでほとんど従う必要のない一揃いの教えを申し出たのではなくむしろ、ポパーは、自分の考えは、仮説と実験の矛盾を解決する方法はどの個々の場合においても科学者集団による判断の問題でしかないということだと『科学的発見の論理』で明らかにしたのである。 ポパーの反証主義には論理的に問題がある。「どんな金属でもそれぞれある温度で溶ける」のような言明をポパーがどのように扱うかは明確ではない。この仮説はいかなる可能な実験によっても反証できない、というのもこの温度で溶けるだろうと思って実験して溶けなかったとしても必ず実験したよりも高い温度が存在するので、この仮説は妥当なように見えるからである。こういった例はカール・グスタフ・ヘンペルによって指摘された。ヘンペルは論理実証主義の正当化は支持できないということは認めるようになったが、反証主義もまた論理的根拠から支持できないと主張した。これに対するもっとも単純な応答として、ポパーは理論がどのように科学としての地位を得、維持し、失っていくのかを示したのだから、現在受け入れられている科学的理論それぞれの推移は試験的な科学的知識の一部であるという意味で科学的であり、ヘンペルの示した例はどちらもこのカテゴリに属しないというものがある。例えば、原子論はどんな金属もある温度で溶けることを示している。 いわゆる批判的合理主義の初期の競争相手のカール=オットー・アーペルはポパーの哲学の包括的な論駁を試みた。『哲学の転換(Transformation der Philosophie)』(1973年)において彼は、特にプラグマティズムの観点から言って矛盾しているとしてポパーを批判した。
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