科学対冒険
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/12 14:38 UTC 版)
遠征隊の指揮系統を決めておく必要があった。マーカムはその始まりから全体指揮は海軍士官であり、科学者ではないと決めていた。スコットはその指名後にマーカム宛てに手紙を書き、自分が「船と上陸部隊の指揮を全うしなければならない」と繰り返し、今後のの指名について相談を受けるべきと主張した。しかし、合同委員会はマーカムの黙諾により、メルボルン大学地質学教授で元大英博物館地質学者助手だったジョン・ウォルター・グレゴリーを、遠征隊の科学者指揮官に指名した。王室協会の合同委員会に入っている者に裏書きされたグレゴリーの見解は、上陸部隊の組織と指揮はグレゴリーに任されるべきということだった。「船長は、浚渫や曳き網などに求められる援助をするよう指示される。科学班の下船に必要なボートを手配することである」と語っていた。それに続いた論争の中で、マーカムはスコットの遠征隊全体の指揮が全てであり、曖昧であってはならないと論じ、スコット自身はこの件について進退をかけて主張した。マーカムの見解とスコットの見解が通り、グレゴリーは辞任した。いわく「科学的な仕事は海軍の冒険に従うべきではない」としていた。 この議論は協会の間の関係をまずくした。そのことは遠征が終わった後にまで引き摺り、出版された結果の範囲や質に関する批判に反映された。マーカムは海軍の指揮官に拘ったことが主に伝統と様式の問題であり、科学に対する軽視を示すものではないと主張した。マーカムは単に他の者よりも高い緯度まで進むことなら「支持するに値しない」という自説を明らかにしていた。
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