渡辺監督時代
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2008年 1月1日付で球団名が埼玉西武ライオンズに変更された(運営会社は「株式会社西武ライオンズ」のまま)。これにより、保護地域である埼玉県の球団であることを明確にし、地域密着を図った。1月8日、正式に命名権契約の解除が発表され、9日より本拠地名称が「西武ドーム」、二軍のチーム名称が一軍同様「埼玉西武ライオンズ」となることが発表された。渡辺久信が二軍監督から一軍監督に昇格し、黒江透修をヘッドコーチ、大久保博元を打撃コーチにするなど、コーチ陣を一新した。その結果、打撃力がアップし、渡辺はNo Limit打線と名付けた。8月11日には西鉄クリッパース創設以来通算4000勝を達成。これは日本プロ野球では6球団目(2リーグ分立後にできた球団の中では初)の記録であり、2リーグ分立後の4000勝は読売ジャイアンツに次いで2球団目である。 4月に首位になって以来一度もその座を明け渡さず、9月26日、埼玉西武ライオンズとなって初めての年で4年ぶり21回目のリーグ優勝を決めた。クライマックスシリーズでは日本ハムとファイナルステージで対戦。4勝2敗で2004年以来、4年ぶりの日本シリーズ出場を決めた。巨人との日本シリーズでは先に巨人に2勝3敗で王手をかけられたものの、その後連勝し4勝3敗で4年ぶりの日本一を達成した。なお、西武はこの年を最後に日本一から遠ざかることになる。アジアシリーズでは、決勝戦の台湾の統一ライオンズをサヨナラ勝ちで下し、初優勝を達成した。この年、彩の国功労賞を受賞。 2009年 1月1日、公式ホームページにてチームカラーがこれまでのライトブルーから紺(レジェンド・ブルー:西鉄の黒と西武の青の合体)に変更され、ペットマーク、チームネームロゴ、ユニフォームも変更されることが発表された。ただし、球団旗およびマスコットは変更しない。1月28日、新ペットマークおよびチームネームロゴを用いた公式戦用新ユニフォームが発表された。この年より西武ドームの3塁側をホームとすることも発表されている。 昨シーズンの守護神であったアレックス・グラマンの故障離脱などにより、リリーフ投手に安定感がなく、リーグワーストの14試合のサヨナラ負けを喫する。それでも終盤には帆足和幸が4試合連続完投勝利するなど先発投手陣が踏ん張り、東北楽天ゴールデンイーグルスやソフトバンクなどと激しくAクラス争いをするが、最終的な順位は4位に終わった。前年日本一からBクラスへの転落は球団として1959年以来50年ぶりとなった。ドラフトでは花巻東高校の菊池雄星との交渉権を阪神、ヤクルト、楽天、中日、日本ハムとの6球団による競合の末に獲得に成功した。 2010年 前半はリリーフ投手が安定し、主力選手の故障が相次ぎながらも、前半戦を首位で折り返した。だが、終盤にリリーフ投手陣が崩壊して失速したため、優勝したソフトバンクにわずか2厘差(ゲーム差なし)の2位に終わった。クライマックスシリーズはファーストステージでロッテに2連敗し、敗退した。ドラフトでは1位希望の早稲田大学の大石達也を横浜、楽天、広島、オリックス、阪神との6球団による競合の末に獲得した。オフに細川亨がソフトバンクにFA移籍。 2011年 東日本大震災による計画停電の影響を受け、4月中は本拠地西武ドームでの試合を自粛することとなった。セ・パ交流戦の後半から失速し、8月終了時点で最大借金15を経験して最下位に低迷する。しかし、9月は19勝5敗2分の成績で、クライマックスシリーズ出場権をめぐる3位争いに加わった。10月18日の最終戦前まで4位であったが、最終戦で勝利し、68勝67敗9分で勝率.50370となり、前日まで3位だったオリックスが同日に敗戦して69勝68敗7分、勝率.50365となってシーズンを終了したため、勝率を5糸(0.5毛)上回り、3位が確定し、クライマックスシリーズ出場を決めた。クライマックスシリーズではファーストステージで日本ハムに2連勝するが、ファイナルステージではソフトバンクに3連敗で敗退した。オフに帆足和幸がソフトバンク、許銘傑がオリックスにFA移籍。 2012年 5月1日には2007年に死去した稲尾和久の背番号「24」を永久欠番とすることを発表、7月1日の西武ドームでの対日本ハム戦にはメモリアルゲームとしてこの試合に出場した選手全員が稲尾の背番号である24を着用した。開幕戦は5年連続で涌井秀章が先発するものの、敗戦投手となり、涌井は開幕から3連敗で4月16日に登録を抹消され、チームも最大借金9を抱えて最下位と低迷した。涌井が救援投手に回り、6月以降は勝ち越すようになり8月までの3か月で貯金を19とし8月19日に首位に立った。日本ハムとの優勝争いとなったが、10月2日の試合に敗れたことで優勝を逃し、3ゲーム差の2位に終わった。クライマックスシリーズではファーストステージでソフトバンクに1勝2敗で敗れ、3年連続のクライマックスシリーズ敗退となった。中村剛也が本塁打王を獲得した。オフに平尾博嗣、佐藤友亮、マイケル中村、大島裕行が現役を引退した。中島裕之が海外FA権を行使し、オークランド・アスレチックスに移籍。 2013年 リーグ一番乗りで10勝に到達するなど開幕ダッシュに成功したものの、5月9日ロッテに連敗したことで、4月10日から守り続けた首位を明け渡し、交流戦開始後の同月22日には楽天に抜かれて3位に転落、6月8日には交流戦で優勝したソフトバンクにも抜かれて4位に後退、結局交流戦は11勝13敗で同率8位でパ6球団では最下位に終わり、6月29日には最大9あった貯金が一旦なくなった。7月28日には再び2位浮上するが、8月15日にソフトバンクに3連敗した時点で4位に転落、その後3位ソフトバンクに最大5ゲーム差をつけられたが、10月3日にソフトバンクとの直接対決で連勝したことにより再度3位に浮上、10月5日に対楽天戦(Kスタ宮城)で2対1で勝利したことで年間3位以上を確定し、4年連続でクライマックスシリーズに進出が決定した。10月8日、共にシーズン最終戦の西武ドームでの2位ロッテとの直接対決を10対2で勝利し8連勝で2位浮上、本拠地でのCSファーストステージ開催権を獲得した が、CSファーストステージは1勝2敗でロッテに敗退し、ファーストステージ終了翌日の10月15日、渡辺が球団に監督を辞任することを申し入れ、了承されたことを発表、渡辺は球団シニアディレクターに就任することとなった。10月22日、後任には2002年から2年間西武ライオンズの監督を務めた伊原の就任が発表された。涌井秀章がロッテ、片岡治大が巨人にFA移籍。
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