渡辺監督時代とは? わかりやすく解説

渡辺監督時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 09:36 UTC 版)

埼玉西武ライオンズ」の記事における「渡辺監督時代」の解説

2008年 1月1日付で球団名埼玉西武ライオンズ変更された(運営会社は「株式会社西武ライオンズ」のまま)。これにより、保護地域である埼玉県球団であることを明確にし、地域密着図った1月8日正式に命名権契約の解除発表され9日より本拠地名称が「西武ドーム」、二軍チーム名称一軍同様「埼玉西武ライオンズ」となることが発表された。渡辺久信二軍監督から一軍監督昇格し黒江透修ヘッドコーチ大久保博元打撃コーチにするなど、コーチ陣一新したその結果打撃力アップし渡辺No Limit打線名付けた8月11日には西鉄クリッパース創設以来通算4000勝を達成。これは日本プロ野球では6球団目(2リーグ分立後にできた球団の中では初)の記録であり、2リーグ分立後の4000勝は読売ジャイアンツ次いで2球団目である。 4月首位になって以来一度もその座を明け渡さず9月26日埼玉西武ライオンズとなって初めての年で4年ぶり21回目リーグ優勝決めたクライマックスシリーズでは日本ハムファイナルステージ対戦。4勝2敗で2004年以来4年ぶりの日本シリーズ出場決めた巨人との日本シリーズでは先に巨人に2勝3敗で王手かけられたものの、その後連勝し4勝3敗で4年ぶりの日本一達成した。なお、西武この年最後に日本一から遠ざかることになる。アジアシリーズでは、決勝戦台湾統一ライオンズサヨナラ勝ち下し初優勝達成したこの年彩の国功労賞受賞2009年 1月1日公式ホームページにてチームカラーこれまでのライトブルーから紺(レジェンド・ブルー西鉄の黒と西武の青の合体)に変更されペットマーク、チームネームロゴ、ユニフォーム変更されることが発表された。ただし、球団旗およびマスコット変更しない1月28日、新ペットマークおよびチームネームロゴを用いた公式戦新ユニフォーム発表された。この年より西武ドームの3塁側をホームとすることも発表されている。 昨シーズン守護神であったアレックス・グラマン故障離脱などにより、リリーフ投手安定感がなく、リーグワーストの14試合サヨナラ負け喫する。それでも終盤には帆足和幸が4試合連続完投勝利するなど先発投手陣が踏ん張り東北楽天ゴールデンイーグルスソフトバンクなどと激しくAクラス争いをするが、最終的な順位は4位に終わった前年日本一からBクラスへの転落球団として1959年以来50年ぶりとなったドラフトでは花巻東高校菊池雄星との交渉阪神ヤクルト楽天中日日本ハムとの6球団による競合の末に獲得成功した2010年 前半リリーフ投手安定し主力選手故障が相次ぎながらも、前半戦首位折り返した。だが、終盤リリーフ投手陣が崩壊して失速したため、優勝したソフトバンクにわずか2厘差(ゲーム差なし)の2位終わったクライマックスシリーズファーストステージロッテ2連敗し、敗退したドラフトでは1位希望早稲田大学大石達也横浜楽天広島オリックス阪神との6球団による競合の末に獲得したオフ細川亨ソフトバンクFA移籍2011年 東日本大震災による計画停電影響を受け、4月中は本拠地西武ドームでの試合自粛することとなったセ・パ交流戦後半から失速し8月終了時点最大借金15経験して最下位低迷する。しかし、9月19勝5敗2分の成績で、クライマックスシリーズ出場をめぐる3位争い加わった10月18日最終戦前まで4位であったが、最終戦勝利し6867敗9分で勝率.50370となり、前日まで3位だったオリックス同日敗戦して6968敗7分、勝率.50365となってシーズン終了したため、勝率を5糸(0.5毛)上回り3位確定しクライマックスシリーズ出場決めたクライマックスシリーズではファーストステージ日本ハムに2連勝するが、ファイナルステージではソフトバンクに3連敗敗退したオフ帆足和幸ソフトバンク許銘傑オリックスFA移籍2012年 5月1日には2007年死去した稲尾和久背番号24」を永久欠番とすることを発表7月1日西武ドームでの対日本ハム戦にはメモリアルゲームとしてこの試合出場した選手全員稲尾背番号である24着用した開幕戦5年連続涌井秀章先発するものの、敗戦投手となり、涌井開幕から3連敗4月16日に登録を抹消されチーム最大借金9を抱えて最下位低迷した涌井救援投手回り6月以降勝ち越すようになり8月までの3か月貯金19とし8月19日首位立った日本ハムとの優勝争いとなったが、10月2日試合敗れたことで優勝逃し、3ゲーム差2位終わったクライマックスシリーズではファーストステージソフトバンクに1勝2敗で敗れ3年連続クライマックスシリーズ敗退となった中村剛也本塁打王獲得したオフ平尾博嗣佐藤友亮マイケル中村大島裕行現役引退した中島裕之海外FA権行使しオークランド・アスレチックス移籍2013年 リーグ一番乗り10勝に到達するなど開幕ダッシュ成功したものの、5月9日ロッテ連敗したことで、4月10日から守り続けた首位明け渡し交流戦開始後の同月22日には楽天抜かれ3位転落6月8日には交流戦優勝したソフトバンクにも抜かれて4位に後退結局交流戦1113敗で同率8位でパ6球団では最下位終わり6月29日には最大9あった貯金が一旦なくなった7月28日には再び2位浮上するが、8月15日ソフトバンクに3連敗した時点で4位に転落その後3位ソフトバンク最大5ゲーム差つけられたが、10月3日ソフトバンクとの直接対決連勝したことにより再度3位浮上10月5日に対楽天戦(Kスタ宮城)で2対1で勝利したことで年間3位以上を確定し4年連続クライマックスシリーズ進出決定した10月8日、共にシーズン最終戦西武ドームでの2位ロッテとの直接対決10対2で勝利し8連勝2位浮上本拠地でのCSファーストステージ開催獲得した が、CSファーストステージは1勝2敗でロッテ敗退しファーストステージ終了翌日10月15日渡辺球団監督辞任することを申し入れ了承されたことを発表渡辺球団シニアディレクターに就任することとなった10月22日後任には2002年から2年西武ライオンズ監督務めた伊原就任発表された。涌井秀章ロッテ片岡治大巨人FA移籍

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