構成と出版事情とは? わかりやすく解説

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構成と出版事情

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/14 05:08 UTC 版)

南総里見八犬伝」の記事における「構成と出版事情」の解説

南総里見八犬伝』は9輯98106からなる刊行初期には5巻=5冊を1輯にまとめて発刊していたが、最終的に全体半数以上を「第9輯」が占めるという異様な構成になっている。これは馬琴陰陽思想における陽の極数である9にこだわったためである。巻数冊数一致しないのは、上下分冊にした巻があるためである。 『水滸伝』などに範をとった章回小説中国語版)の形式をとっており、物語は「回」によって区切られ、回ごとに内容を示す対句の題がついている通常1冊に2回が収録されている。『八犬伝』の回数は180回と数えられるが、上下回に分かれる回などもあり、「第180回」の数字を持つ回に至っては「第百八十回上」「第百八十回下」「第百八十勝回上」「第百八十勝中編」「第百八十勝下編大団円」に5分割されている。 肇輯5冊の刊行文化11年1814年)。曲亭馬琴はすでに『椿説弓張月』(文化3年/1806年 - )、『俊寛僧都島物語』(文化5年/1808年)などを上梓しており、読本作家として名声築いていた。 28年間に版元3回変わった。第5輯までの25冊を山青堂(山崎平八)が出版し、山青堂から版木譲られ涌泉堂(美濃屋甚三郎)が第6輯を刊行した。しかし涌泉堂は資金繰り困り、第7輯刊行には文渓堂丁字屋平兵衛)の助力得ている。その後経営行き詰った涌泉堂が『八犬伝』の版木上方版元売り渡す事態起こしているが、文渓堂がこれらの版木買い戻している。第8輯以降文渓堂が『八犬伝』の刊行続けて完成に至るとともに、肇輯から第7輯に関して刷り出している。 執筆中、馬琴天保4年1833年)頃から右目の視力衰え、やがて視力失った天保9年1838年)には左目の視力衰えはじめ、天保11年1840年11月には執筆不可能になった。このため息子の嫁の路(土岐村路)に口述筆記させて執筆続けた馬琴手探り記し、路が書き継いだ原稿第九輯巻四十六=第177回)が早稲田大学現存している。なお、漢字をまったく知らない路に偏や旁を教えながら口述筆記した、とされることもあるが、これは馬琴が「回外剰筆」で多分に誇張した執筆状況そのもの物語化した)苦心談が独り歩きしたのである早稲田大学自筆原稿では、路が確かな筆運び整然とした文字書き継いでいる。 天保12年8月20日1841年10月4日)、馬琴本編(第百八十勝下編大団円)を完成させた。 輯・帙冊数版元画工筆工浄書挿絵彫刻剞劂出版年肇輯 5冊(巻之1~巻之5) 第1回第10回 山青堂 柳川重信 千形仲道 朝倉伊八文化11年1814年) 第2輯 5冊(巻之1~巻之5) 第11回第20回 山青堂 柳川重信 千形仲道 朝倉伊八文化13年1816年第3輯 5冊(巻之1~巻之5) 第21回~第30回 山青堂 柳川重信 千形仲道 中喜作 文政2年1819年) 第4輯 5冊(巻之1~巻之5) 第31回~第40回 山青堂 柳川重信 千形仲道 中喜作 文政3年1820年) 第5輯 5冊(巻之1~巻之5) 第41回~第50回 山青堂 柳川重信渓斎英泉 田中正造 中村喜作神田庵驥徳 文政6年1823年) 第6輯 6冊(巻之1~巻之5下) 第51回第61回 涌泉柳川重信渓斎英泉金川田中正造 中村喜作 文政10年1827年) 第7輯 7冊(巻之1~巻之7) 第62回第73回 涌泉渓斎英泉柳川重信 筑波橘谷金川 天保元年1830年) 第8輯上帙 5冊(巻之1~巻之4下套) 第74回第82回 文渓堂 柳川重信金川 朝倉伊八横田守桜木藤吉原喜知 天保3年1832年) 第8輯下帙 5冊(巻之5~巻之8下套) 第83回第91回 文渓堂 柳川重信金川墨田 朝倉伊八横田守桜木藤吉原喜知田中三天保4年1833年) 第9輯上套 6冊(巻之1~巻之6) 第92回~第103回 文渓堂 柳川重信二世) 谷金川 朝倉伊八横田守桜木藤吉 天保6年1835年) 第9輯中套 7冊(巻之7~巻之12下) 第104回~第115回 文渓堂 柳川重信二世) 谷金川千方道友 横田守桜木藤吉高木 天保7年1836年) 第9輯下套上 5冊(巻之1314~巻之18) 第116回~第125回 文渓堂 柳川重信二世) 谷金川 横田守桜木藤吉鳥山天保8年1837年) 第9輯下套中 5冊(巻之19~巻之23) 第126回~第135回 文渓堂 柳川重信二世) 谷金川 横田守桜木藤吉森田天保9年1838年) 第9輯下帙之下甲号 5冊(巻之24~巻之28) 第136回~第145回 文渓堂 柳川重信二世渓斎英泉金川白馬音成 鏤廉吉森田横田守常盤天保10年1839年) 第9輯下帙之下乙号上套 5冊(巻之29~巻之32) 第146回~第153回 文渓堂 柳川重信二世歌川貞秀金川金次郎朝倉伊八常盤園鏤近吉 天保11年1840年) 第9輯下帙之下乙号中套 5冊(巻之33~巻之35下) 第154回~第161回 文渓堂 歌川貞秀金川金次郎常盤天保11年1840年) 第9輯下帙下編之上 5冊(巻之36~巻之40) 第162回~第166回 文渓堂 柳川重信二世渓斎英泉金川金次郎常盤高谷熊五郎 天保12年1841年) 第9輯下帙下編之中 5冊(巻之41~巻之45) 第167回~第176回 文渓堂 柳川重信二世) 谷金川 高谷熊五郎金次郎 天保12年1841年) 第9輯下帙下編之下 10冊(巻之46~巻之53下) 第177回~第180勝回下編大団円回外剰筆 文渓堂 柳川重信二世渓斎英泉金川亀井金水対二音成 高谷熊五郎金次郎米蔵幸太郎 天保13年1842年) 『八犬伝』の板木は、3千数百に及ぶ。板木明治維新後に和泉屋吉兵衛兎屋などの手経て博文館所有となった板木用いた出版明治30年まで行われた江戸時代には今日的な意味での著作権作者になく、出版権板株)は版元の間で取引され版元は自らが蔵板する本を自由に再摺し、板木仕立て直し行ったり、改題を行うこともできた。馬琴刊行にあたって挿絵意匠さまざまな指示出しているが、これらの指示反映されたとみなされる初版摺本が、研究上重視されている。後摺本に馬琴関与したものと、馬琴関知しないものがある。『南総里見八犬伝』という作品流通普及の上では、後摺本の果たした役割大きい。 馬琴の手にあった南総里見八犬伝』(手沢本)は国立国会図書館収蔵されており、馬琴による書き入れ見られる明治大学所蔵板本は初摺本そろったものとして評価が高い。

※この「構成と出版事情」の解説は、「南総里見八犬伝」の解説の一部です。
「構成と出版事情」を含む「南総里見八犬伝」の記事については、「南総里見八犬伝」の概要を参照ください。

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