ひ‐がき【×檜垣/×菱垣】
ひがき【檜垣】
檜垣
檜垣―闇法師
桧垣
姓 | 読み方 |
---|---|
桧垣 | かいがき |
桧垣 | ひがき |
桧垣 | ひのがき |
桧垣 | ひのきがき |
垣根

垣根(かきね)とは、敷地や庭などの区画として設ける囲い。竹で編んだり組んだりした竹垣や、木を植えた生垣[1]などがある。また、金網を利用した金網垣もあり、洋風庭園などではバラを金網に絡ませたバラ垣などが用いられる[2]。
欧州における垣根
英語圏では畑地や牧草地、放牧場などの境界を示すための生垣をhedge(hedgerow)という[3]。代表的なものにサンザシの若木を用いた生垣があり、横木を渡せる距離で植え、その間を若木で斜めに曲げて絡めたり、ハシバミの枝を編み合わせて作られる[3]。これに近接して生えてきたオーク、トネリコ、ニレ、コリヤナギ、ニワトコ、野リンゴ、野ナシなどの樹木を組み合わせることで一層堅固な垣根が作られる[3]。垣根の間に生える樹木は燃料源とするためそのままにされたが、垣根自体は狩猟時に馬で飛び越せるように人間の肩ぐらいの高さに刈り込まれた[3]。また、サンザシの生垣は生育のために土手下(hedge bottom)に沿って排水溝(drainage ditch)が掘られることが通例で、土手の上に設けられることもあった[3]。
- Hedgelaying ‐ 垣根作り
- Dead hedge - 毎年作る必要があるHazelの枝などを編んで作る垣根[4]。
日本における垣根



日本では住宅の外周の垣に、コンクリート塀や板塀のほか、土塀、煉瓦塀、石垣などが用いられている[2]。また、外垣とは別に、庭園内に区画を設けるために内垣を設けることがあり、竹垣、生垣、金網垣などが用いられる[2]。
板塀には、竪、横張り、目透し、敷目張り、大和張りなどの種類がある[2]。
また、竹垣には、視界を完全に遮るものに建仁寺垣、大徳寺垣、沼津垣、相国寺垣、大津垣、桂垣、源氏垣、馬背垣、鶯垣などがある[2]。他方、視界を遮らないものに光悦垣、偕楽園垣、金閣寺垣、四ツ目垣などがある[2]。
- 四ツ目垣
- タケを四ツ目の格子に組んだ垣根。
- 建仁寺垣
- 建仁寺の垣根を本歌とし割竹を隙間無く立てた垣根で、片面と両面のものがある。
- 御簾垣
- 外観が御簾(すだれ)のように見える垣根。一般的には竹が使用される。
- 桂垣
- 桂離宮の門の両側にある垣根を名前の由来とする。
- 大津垣
- 竹の表面を大津、裏を京都になぞらえた。
- 竹穂垣
- 割竹を使い、組子に竹穂を組み合わせて作る。
- 萩垣
- 蓑垣
- 木賊垣
- 立合垣
- 鉄砲垣
- あやめ垣
- ひしぎ垣
- 光悦寺垣
- 金閣寺垣
- 銀閣寺垣
- 矢来垣
- 竜安寺垣
- 沼津垣
脚注
- ^ 『生垣』 - コトバンク
- ^ a b c d e f 岸村茂雄「「垣」の話」雪印種苗『牧草と園芸』第3巻 第10号 雪印種苗、2022年11月18日閲覧。
- ^ a b c d e 三谷康之「英語英文学の背景:英国の田園」(PDF)『成城文藝』第110号、成城大学文芸学部、1985年3月、126-90頁、ISSN 02865718、CRID 1520290885112051328。
- ^ 三谷康之「英語英文学の背景 : 英語の田園」『成城文藝』第110号、成城大学文芸学部、1985年3月、126-97頁、CRID 1050282677580871808、ISSN 02865718、2024年6月13日閲覧。
関連項目
外部リンク
檜垣嫗

檜垣嫗(桧垣媼、ひがきのおうな)は、生没年不詳、平安時代中期(10世紀)の女性歌人。様々な伝説に包まれ、その正体は詳らかでない。『檜垣嫗集』は、歌物語風に仕立てられた家集である。ただし、檜垣の歌と認められているものは3首のみであり、同書は後人による仮託の書であることが定説となっている[1]。
『後撰和歌集・巻第十七・雑三』、1219番の詞書と付記によれば、筑紫の白河という所に住んでいた「名高く、事好む女」で、大宰大弐・藤原興範(844年 - 917年)に水を汲むよう乞われると、「年ふればわが黒髪も白河の みづはくむまで老いにけるかも」と詠んだという。この歌は零落した身の上を詠んだものだが、歌を詠みかけた相手が、家集では肥後守・清原元輔(908年 - 990年)、『大和物語』では藤原純友の乱の追捕使・小野好古(884年 - 968年)となっており、歌の本文も、
- おいはてて頭の髪は白河の みづはくむまでなりにけるかな(『檜垣嫗集』)
- むばたまのわが黒髪は白河の みづはくむまでなりにけるかな(『大和物語』)
のように、三通りある。また「大和物語」では「檜垣の御」と呼ばれており「嫗」の文字は見えない。説話の内容、その年代といずれもまちまちではあるが、風流で名を知られた女性であった、という点では一致している。
檜垣は清原元輔と親交を結び、肥後守の任期が終わって帰京する彼を送別する際「白川の底の水ひて塵立たむ 時にぞ君を思い忘れん」と詠んだという[2]。また、鎌倉時代に書かれた『無名草子』では、元輔の娘・清少納言を檜垣との間に生まれた子であるかのように記述しているが、現在では俗説の類に過ぎないと評価されている。
熊本県の蓮台寺は、檜垣嫗が草庵を結んだ跡といい、境内には「檜垣石塔」も残る。
創作
室町時代、世阿弥の能『檜垣』によりその名は広く知られるようになった。肥後国岩戸で修行をする僧の前に老女が現れ、年ふればわが黒髪もと歌ったのは自分であり、白拍子として美しさを誇った生前の罪によって死後も苦しむ我が身を語る。僧の弔いを受け老女の霊は華やかかりし昔日の舞を舞って姿を消すという筋である。
脚注
- ^ 檜垣説話と「檜垣嫗集」 : 伝承の史実性と家集の成立について 妹尾好信、広島大学国語国文学会、1985-06
- ^ 但し、史実では元輔は任地である肥後国で病没しており、帰京は適わなかった。
外部リンク
- 檜垣嫗集『群書類従 : 新校. 第十二巻』 (内外書籍, 1937) 国立国会図書館デジタルコレクション
「桧垣」の例文・使い方・用例・文例
- 綾桧垣という垣
桧垣と同じ種類の言葉
- >> 「桧垣」を含む用語の索引
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