桧原桜公園とは? わかりやすく解説

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桧原桜公園

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/09/04 22:03 UTC 版)

桧原桜公園(ひばるざくらこうえん)は、2007年に開演した福岡市南区にある公園であり、桜の有名な公園になっている。13本の桜が植えられており、地域の人々の憩いの場となっている。公園の面積は1,170㎡。住所は福岡市南区桧原1丁目5番、2丁目14番となっている。

歴史

1984年3月10日

今の桧原桜公園に樹齢50年のソメイヨシノ9本が,都市計画道路「平尾桧原線」道路拡幅工事により伐採されることになった。9本あった桜が伐採により、8本になる。

1984年3月11日

未明,一人の住民が桜に次の歌を下げて,市長に最後の花を咲かせるようにと嘆願した。

「花あわれ せめてはあと二旬(にじゅん)ついの開花をゆるし給え」

意は、「ああ花よ、せめてもう二十日だけ、最後の開花を許しておくれ」ということになる。

1984年3月? =

この和歌を偶然見かけた、当時九州電力の社長に就任したばかりの川合辰雄が、部下である同社の広報担当・大島淳司にこれを伝え、大島が旧知の仲だった西日本新聞の記者・松永年生にけしかけ、松永が取材したことで、この桧原桜と和歌の一件が、1984年3月23日付の同紙夕刊に写真入り記事として掲載された。後に次の歌が桜に下げられる。

また、進藤が現地を訪れると、報道を受けて知った多くの人々が集まり、桜を惜しむ色紙や短冊を桧原桜に下げていた。

「桜花(はな)惜しむ 大和心(やまとごころ)の うるわしや とわに匂(にお)わん 花の心は」

意は、「桜の花を惜しむ心こそ、日本人の美しい心である。その心は永遠に香り続けるだろう、花そのものの心と共に。」となる。

後に当時の福岡市長であった、進藤一馬の返歌であることがわかる。

これらの影響により、道路拡幅計画は一部変更され,また、8本の桜が植えられることになった。

そして、團伊玖磨の随筆「パイプのけむり」にこれらの話が書かれ、ワールドマガジン「リーダーズ・ダイジェスト」にも掲載されたことにより、日本だけでなく、世界中にも知れ渡るようになる。

交通機関

バス 以下のバス(すべて西鉄バスによる運行)で「桧原桜前」「松本池」下車

天神地区

「アクロス福岡・水鏡天満宮前」「天神ビジネスセンター前」「天神協和ビル前」「西鉄グランドホテル前」「大名二丁目」「赤坂門」「警固町」から52番(桧原営業所/柏原営業所)

「天神協和ビル前」「西鉄グランドホテル前」「大名二丁目」「赤坂門」「警固町」から52-1番(桧原営業所)

「天神北」「天神大丸前」「天神南」から55番(桧原営業所)

博多駅地区から

「東中洲」「川端町・博多座前」「土居町」「呉服町大島眼科」「蓮池」「千代町[自治会館]」「県庁前」から52番(桧原営業所/柏原営業所)

関連項目




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