高取 (福岡市)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/05/01 15:06 UTC 版)
高取(たかとり)は、福岡県福岡市早良区の町名。現行行政地名は、高取一丁目および高取二丁目[1]。面積は26.67ヘクタール[2]。2022年9月末現在の人口は6,391人[3]。郵便番号は814-0011[4]。
注釈
- ^ 所在地:福岡市早良区高取一丁目14番13号[8]
- ^ 所在地:高取一丁目26、公園種別:街区公園、面積:8,284m2、開園年度:1965年[9]
- ^ 高齢者の健康、福祉、介護などに関する相談等の支援を行うことを目的として福岡市役所が設置する施設。福岡市のWEBページ:「いきいきセンターふくおか」、「福岡市指定介護予防支援等の事業の人員及び運営等の基準等を定める条例」参照。
- ^ 当窯元は西皿山窯とも呼ばれていたが、今は現存しない東皿山窯についての石碑が西新五丁目8番19号の中西宮地嶽神社(なかにしみやじだけじんじゃ)の境内にあり、次のように記されている。「旧黒田藩窯高取焼東皿山窯跡 黒田藩御用窯東皿山窯跡が、この宮地嶽神社附近にあった。(実際には、ここより約百メートルほど西側一帯にあったと思われる。)四代黒田綱政は、宝永五年(一七〇八年)に小石原から陶工を選んで、福岡城下の西、麁原(そはら)村に開窯させた。これを『東皿山』と呼んでいる。陶工は西皿山に居住し、交代で、この東皿山に製成ならびに焼成に来ていた。この東皿山は、黒田藩の御庭焼として隆盛をきわめ、主として茶入、茶碗、置物など薄手の遠州好みの製品を作陶していたが、その製品は、幕府及び諸侯への贈答用に限られていた。なお西皿山(西区高取一丁目)では、現在も引き続き製陶されている。 昭和五十三年三月 東皿山窯跡保存会 福岡市教育委員会」
- ^ 現在の地名では福岡市早良区高取、百道及び藤崎にまたがる範囲に弥生時代に存在した共同墓地の遺跡。石碑が早良区高取二丁目17番37号の私有地内北緯33度34分52.50秒 東経130度20分55.48秒 / 北緯33.5812500度 東経130.3487444度に設置されている。この石碑には次のように記されている。「藤崎遺跡 この地は、弥生時代の集団墓地の遺跡として古くから知られていたところで、弘中ビルの建築に先だって昭和五十二年八月四日から九月十六日まで発掘調査を行い、弥生時代(BC3-AD1)の上拡墓十基、甕棺墓六十基と、それを囲む大溝などが発見され、当時の人その生活や埋葬儀礼の様相が明らかにされました。この調査によって失われた祖先の跡を偲んでこの碑を建立し、永久にこれを伝えるものであります。 昭和五十三年四月二十二日 施主 広中 浩」
出典
- ^ 福岡市. “福岡市区の設置等に関する条例”. 2022年10月29日閲覧。→別表第1
- ^ 平成27年(2015年)国勢調査の結果
- ^ a b 福岡市統計調査課. “登録人口(公称町別)- 住民基本台帳(日本人)男女別人口及び世帯数”. 福岡市. 2022年10月29日閲覧。
- ^ 日本郵便株式会社. “郵便局”. 2023年3月24日閲覧。→「郵便番号を調べる」→キーワード検索等
- ^ 福岡市都市計画課. “福岡市都市計画マスタープラン”. 福岡市. 2012年5月21日閲覧。
- ^ 池田善朗 (2013), 筑前の古地名・小字, 石風社, pp. 108, ISBN 978-4-88344-222-5
- ^ 高取商店街及び藤崎通り商店街は藤崎から西新まで繋がるいわゆる西新商店街(通称「サザエさん商店街通り」西新商店街公式ホームページ)の一部を構成している。旧唐津街道の一部でもある。
- ^ 福岡市市民局コミュニティ推進部生涯学習課. “公民館情報(福岡市学習情報提供システム)”. 福岡市. 2022年8月12日閲覧。→キーワード検索
- ^ 公益財団法人福岡市緑のまちづくり協会. “紅葉山公園”. 2021年6月26日閲覧。
- ^ 福岡市教育委員会. “福岡市通学区域”. 福岡市. 2012年5月21日閲覧。
- ^ 位置:北緯33度34分46.3秒 東経130度21分5.6秒 / 北緯33.579528度 東経130.351556度、参照:福岡市WEBページ「高取焼窯元」
- ^ 福岡市のWEBページ「http://www.city.fukuoka.lg.jp/sawaraku-tamatebako/odekake/shiseki/isa.html 伊佐家住宅」
- 1 高取 (福岡市)とは
- 2 高取 (福岡市)の概要
- 3 地理
- 4 交通
- 5 脚注
「高取 (福岡市)」の例文・使い方・用例・文例
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