日米安保と集団的自衛権とは? わかりやすく解説

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日米安保と集団的自衛権

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 02:54 UTC 版)

日本の集団的自衛権」の記事における「日米安保と集団的自衛権」の解説

集団的自衛権は、1945年成立した国際連合憲章の第51条に記載され権利ではなく国際連合加盟国において認められ権利である。 この憲章いかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃発生した場合には、安全保障理事会国際の平和及び安全の維持必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛固有の権利害するものではない。この自衛権の行使に当って加盟国がとった措置は、直ち安全保障理事会報告しなければならないまた、この措置は、安全保障理事会国際の平和及び安全の維持または回復のために必要と認め行動をいつでもとるこの憲章に基く権能及び責任に対しては、いかなる影響も及ぼすものではない。 国際連合は、安全保障理事会依拠し集団安全保障世界の秩序維持原則掲げているが、これが機能しない場合個別的集団的自衛権による加盟国対処認められていた。 日本は、国際連合設立され直後から主権喪失していたが、主権回復にあたって1951年9月8日旧交戦国である連合国国際連合母体)との間にサンフランシスコ講和条約締結したその際連合国としては、日本国主権国として国際連合憲章第五十一条掲げ個別的又は集団的自衛固有の権利有すること及び日本国集団的安全保障取極自発的に締結することが出来ること承認する。 — 日本国との平和条約第五条c とされ、個別的集団的自衛権日本においても認められた。一方講和条約並行して締結交渉進められていた日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約旧日米安保条約においては日本側は、日米両国間において集団的自衛権の関係を設定し、これを根拠主権回復後日本においても米軍駐留続けることを求めた。しかし、米国側はバンデンバーグ決議理由相互対等な防衛条約の締結難色示し結局は相互防衛義務について明記しない両国集団的自衛権保有していることを明示する留める)形で締結された。 日本国1952年4月28日主権回復果たしたが、この時警察予備隊10月15日保安隊改組)の存在が、日本国憲法第9条違反であるかが議論になった吉田茂首相自衛権に付ての御尋ねであります戦争放棄に関する本案規定は、直接には自衛権否定はしておりませぬが、第九条第二に於て一切軍備と国の交戦権認めない結果自衛権発動としての戦争も、又交戦権放棄したものであります」(1946年6月26日日本国憲法制定のための第90回帝国議会本会議) —  吉田茂首相戦争放棄に関する憲法草案条項於きまして国家正当防衛依る戦争正当なりとせらるるやうであるが、私は斯くの如きことを認むることが有害であると思ふであります」(同年同月28日) —  この28日答弁は、自衛権すら放棄したものと解する余地ありましたが、次の7月4日弁明からすると自衛「戦争」認めない趣旨であり、自衛」を放棄するものではない。このように政府は「自衛権否定されないが自衛戦争認められない」と説明していた。 吉田茂首相「・・・私の言わんと欲しました所は、自衛権による交戦権放棄ということ強調するというよりも、自衛権による戦争、また侵略による交戦権、この二つ分け区別そのこと有害無益なりと私は言ったつもりでおります」(1946年7月4日) —  1954年7月1日成立した自衛隊合憲性について、その後吉田茂首相自由党総裁)は、日本国家自然権としての自衛権保持しており、憲法典記載内容かかわらず自衛力は合憲である旨を答弁した吉田についで首相になった鳩山一郎率い日本民主党は、吉田日米同盟路線批判して自衛隊違憲論に基づく改憲主張していた。しかし首相就任後は、国家固有の自衛権に基づく自衛隊合憲論に落ち着く1955年6月16日、この矛盾突いた江崎真澄自由党)に対す答弁で、鳩山は 私は戦力という言葉を、日本場合はむしろ素朴に侵略を防ぐために戦い得る力という意味に使っていまして、こういう戦力ならば自衛のため必要最小限度で持ち得ると言ったでありますその意味において、自由党見解根本的に差はないものと考えております独立国家として主権あり、主権には自衛権は当然ついているものとの解釈立って政府内外情勢勘案し国力相応した最小限防衛力整えたいと考えている。 — 1955年6月16日衆議院内閣委員会答弁した憲法許される自衛範囲としては、この「必要最小限度」という抽象的なライン以降維持されるうになる。なお、この頃の「必要最小限度」は、自衛隊発足直前1954年6月2日参議院本会議が「自衛隊の海外出動を為さざることに関する決議」を決議するなど、自衛隊海外派兵行わないことであった1959年砂川事件においては在日米軍合憲性争われたが、最高裁判決においては、 (日米安全保障条約目的するところは……平和条約わが国主権国として集団的安全保障取極締結する権利有することを承認し、さらに、国際連合憲章すべての国が個別的及び集団的自衛固有の権利有することを承認しているのに基づきわが国防衛のための暫定措置として、武力攻撃阻止するため、わが国アメリカ合衆国わが国内およびその附近にその軍隊配備する権利許容する等、わが国の安全と防衛確保する必要な事項定めるにある。 とされ、「集団的安全取極としての日米安保条約合憲であるとされた。 1960年1月19日日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約新日安保条約)が締結された。同条約では、旧条約では米国側の意向により日米間の集団的自衛権の行使明示されていなかったのを改め、 各締約国は、日本国施政の下にある領域における、いずれか一方対す武力攻撃が、自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め自国憲法上の規定及び手続に従つて共通の危機対処するように行動することを宣言する。 — 日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約第五条 と、米国による日本の防衛と、それに対す自衛隊共同行動明文化された。日本政府は、岸信介首相集団的自衛権という内容が最も典型的なものは、他国行ってこれを守るということでございますけれども、それに尽きるものではないとわれわれは考えておるのでございますそういう意味において一切集団的自衛権持たない、こう憲法持たないということは私は言い過ぎだと、かように考えてます。しかしながら、その問題になる他国行って日本防衛するということは、これは持てない。しかし、他国基地貸して、そして自国のそれと協同して自国を守るというようなことは、当然従来集団的自衛権として解釈されている点でございまして、そういうのはもちろん日本として持っている、こう思っております。 — 1960年3月31日参議院予算委員会答弁するなど、新条約によって集団的自衛権名実ともに行使されるようになったことを強調することに務めていた。

※この「日米安保と集団的自衛権」の解説は、「日本の集団的自衛権」の解説の一部です。
「日米安保と集団的自衛権」を含む「日本の集団的自衛権」の記事については、「日本の集団的自衛権」の概要を参照ください。

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