日本国内店舗
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 08:14 UTC 版)
町田店・町田大丸 プラザビーミー東京都町田市原町田6-2-6 小田急町田駅西口、小田急百貨店隣。 1971年に東京店に続く関東地区2号店「大丸町田店」として開店。1980年ごろ「町田大丸」に分社、「プラザビーミー」としてリニューアル。2000年2月27日に閉店。 建物は丸井に売却され、翌2001年2月21日に「マルイビィ (OIOI be) 町田」としてオープン、のち「町田モディ」となった。 町田大丸と直接の関係はないが、大丸ホームショッピング受注センターと配送センターが隣接地域(相模原市南区上鶴間本町)にあったが、町田大丸閉店の数年後に閉鎖された。 八王子大丸1972年開店。1985年閉店。東京都八王子市横山町18-7 JR中央線八王子駅北口 甲州街道沿い。 午後6時30分の閉店5分前に、ロバート・マクスウェル「引き潮」の楽曲に乗せた終了放送「ラストポエム」が流れた。 八王子は前述の町田とともに「絹の道」として輸出用の生糸が運ばれた交通の要衝で、大丸の江戸進出時の風呂敷のことが「八王子織物史」で語られるほど大丸と八王子は縁の深い町だった。 八王子市は東京近郊(都心から50km)のベッドタウンとして注目され、1970年には人口が25万を突破した。この時期に大型店舗の出店が相次ぎ、1969年の伊勢丹、1970年の西武百貨店に続き、八王子では3番目の百貨店として開店した。なお、丸井八王子店とダイエー八王子店よりも後の出店である。当時の八王子駅北口では各店がしのぎを削っていた。 大丸はかつての中心街であった甲州街道沿いの商店街にあったが、閉店の引き金になったのは、1983年の八王子駅北口駅ビル「八王子ナウ」の建設とそこにそごう八王子店が進出したことだった。なお、一番駅寄りだった伊勢丹の方が先に撤退している。 大丸が撤退したビルは、その後、「サイドウォーク」という名称で営業し、1987年に忠実屋によりファッションビル「FAM(ファム)」として営業されたが1994年に閉店。その後は長年空きビルとなっており、当時の黒須隆一八王子市長からも商店街衰退の象徴として問題視する発言がなされた。忠実屋を合併したダイエーが2001年2月9日に本館および別館の土地・建物を日本中央地所とセントラル地所に売却。建物は解体され、2003年3月に長谷工コーポレーションにより高層マンション「マクシスタワーズアーバンデュオ」が建設された。「忠実屋#かつて存在した忠実屋店舗」も参照 ららぽーと横浜店横浜市都筑区池辺町4035-1(JR横浜線鴨居駅より徒歩7分)2007年開店-2013年1月31日閉店。店舗面積4,000m2。東京店の分店扱い。食品売り場に特化した業態「大丸フードマーケット」としての出店。 浦和パルコ店さいたま市浦和区東高砂町11-1 ( JR東日本東北本線「浦和駅」東口正面「浦和パルコ」地下1階)2007年開店-2017年7月31日閉店。店舗面積4,000m2。ららぽーと横浜店と同様、東京店の分店扱い。食品売り場に特化した業態「大丸フードマーケット」としての出店。閉店後、ヤオコー浦和パルコ店となっている。 .mw-parser-output .thumbinner{display:flex;flex-direction:column}.mw-parser-output .trow{display:flex;flex-direction:row;clear:left;flex-wrap:wrap;width:100%;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .tsingle{margin:1px;float:left}.mw-parser-output .theader{clear:both;font-weight:bold;text-align:center;align-self:center;background-color:transparent;width:100%}.mw-parser-output .thumbcaption{background-color:transparent}.mw-parser-output .text-align-left{text-align:left}.mw-parser-output .text-align-right{text-align:right}.mw-parser-output .text-align-center{text-align:center}@media all and (max-width:720px){.mw-parser-output .thumbinner{width:100%!important;box-sizing:border-box;max-width:none!important;align-items:center}.mw-parser-output .trow{justify-content:center}.mw-parser-output .tsingle{float:none!important;max-width:100%!important;box-sizing:border-box;align-items:center}.mw-parser-output .trow>.thumbcaption{text-align:center}} 大丸新長田店 新長田店神戸市長田区若松町5-5-1、ジョイプラザに1977年開店。2013年1月31日閉店。 店舗面積9,091m2。神戸店の分店扱いの生活密着型店舗。後継テナントには西友が入る。 和歌山店和歌山市元寺町1-25 富士アイスビル 和歌山バス「ブラクリ丁」バス停前。1971年開店-1998年閉店。 売り場面積4000平方mの小型店、心斎橋店の分店扱い。 閉店後、和光デンキのアウトレット店、ダイソーなどを経て、現在はドン・キホーテ和歌山店となっている。 山科店1998年開店。京都市山科区竹鼻竹ノ街道町91 JR西日本東海道本線・京阪京津線・京都市営地下鉄東西線 山科駅2番出口「ラクト山科ショッピングセンター B棟 地下1階-地上2階(開店時は4階まで)。 店舗面積5,960m2(開店時は9,260m2)。京都店の分店であり、「やましな店(みせ)」とも呼ばれている。近年は衣料品販売が低迷し、2010年8月31日以降、規模を縮小した (2011年4月29日から地上3階から地上4階はニトリラクト山科店が入居)。 2019年3月31日をもって営業終了。 米子大丸鳥取県米子市西福原2-1-10 JR境線 富士見町駅下車 外浜産業道路 ホテルサンルート向かい 1963年12月「米子ストア」開店。1971年「米子大丸」に社名変更。1987年に現「米子しんまち天満屋」に営業譲渡。現「米子しんまち天満屋」が開店する1990年まで、米子駅前通り東町にあった米子大丸をそのまま、株式会社米子天満屋が経営していた。 別子大丸・新居浜大丸(旧:別子百貨店)愛媛県新居浜市西原町3丁目1-26 せとうちバス「西原町3丁目」停留所下車 昭和通り商店街。地上4階建て、売り場面積7,457m2 1950年「別子百貨店」開店。1951年、資本参加により「別子大丸」、1975年「新居浜大丸」に社名変更。 2001年イオン新居浜ショッピングセンター開設を前に閉店、大丸跡地には現在、地元スーパー「ママイ」の店舗が建っている。(一時期閉店したがリニューアルし再オープン) 今治大丸(旧:大洋デパート)愛媛県今治市常盤町4-1-18 せとうちバス「今治バスセンター」そば 1962年「大洋デパート」開店。1974年、資本参加により「今治大丸」に社名変更。2008年12月31日閉店。 長崎大丸(旧:岡政百貨店)長崎市浜町4-11 1934年5月22日「岡政百貨店」開店。1969年3月提携。1987年、岡政100%出資の新会社「株式会社長崎大丸」を設立。1988年営業権の譲渡。2003年、企業再編により博多大丸に吸収合併「博多大丸長崎店」となった。2011年7月31日閉店。店舗面積9,176m2。店舗解体済み。2014年秋、エフ・ジェイホテルズにより「ホテルフォルツァ長崎」が新築オープンする。 高知大丸四万十プラザ土佐くろしお鉄道中村駅徒歩3分。高知県四万十市駅前町274番地。500m2ほど。 高知大丸唯一の支店であった。玩具店としてかつて一世を風靡したハローマックの跡地に出店し、建物もそのまま使用していた。2021年2月28日閉店。
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