政府成立とは? わかりやすく解説

政府成立

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 05:51 UTC 版)

フレンスブルク政府」の記事における「政府成立」の解説

4月30日早朝デーニッツ総統官房から無線で「ヒムラースウェーデン経由して連合軍交渉する反逆罪犯したため、迅速かつ冷厳SS全国指導者対処すべし」との指令受けた。しかし、全ての権限ヒムラー掌握しており、地上での戦闘力のない海軍総司令官指令実行するのは容易ではなかった。また、敵側ラジオ放送根拠にした点からも懐疑的であり、午後にリューベックヒムラー会見したヒムラーは敵との接触を完全に否定しデーニッツ実行難しい「反逆者の処罰」よりも、ヒムラー後継者から除外され事実だけを伝えとともに、「自らは海軍降伏させるが、海軍軍人として最後の戦闘で死ぬ」と海軍軍人として決意固めた同日午後にボルマンから特別の暗号解読認証受けたドイツ海軍通信部経由で「総統ゲーリング前国家元帥に換えデーニッツ元帥後継者定められた。今後現状にて可能な全ての処置取られたし」(第1号電報)という電文届けられた。これにより、デーニッツヒトラーが既に死亡したか、または死を目前にしていると考えたデーニッツ湖畔歩き副官ノイラートに「国家形態どうするべきか」とつぶやいた。これは後に発表した三本の柱をもつ憲法(静の元首行動政府主席国民意思代表する議会)」の原案について口にした最初であったデーニッツは「ヒトラー後継者となることを義務みなした国民軍隊最良信ずる道を歩むしかない。」「(軍人としての決意翻すことが)仮にそれが自分のために不名誉なものであっても」と副官ノイラートは後に回想している 。 5月1日午前0時国内最大実力者ヒムラー重武装SS隊員と共にデーニッツの元を訪れたデーニッツ第1号電報を示すと、ヒムラーデーニッツ地位承認する代わりとして首相地位要求したデーニッツは「私の作る極力政治的な政府政治的に傑出した者の席はないし、相手側から貴殿交渉相手になりえない」と降伏交渉重荷になることを説明して断ったヒムラー理解しなかったが、引き下がった同日午前デーニッツ元にボルマン署名の「遺書発効す。自分速やかにそちらに赴く予定それまで公表控えられるべし」との、ヒトラーの死去という重大な事実については曖昧にしたままの第2号電報入電した。これはボルマンヒトラーの死という事実を隠蔽することによって自身権力延長しよう図ったものであった。ただ、この電報ではヒトラーの死について明確に述べられていなかったため、デーニッツはその真意量りかね、しばらくは行動起こすことができなかった。 同日午後ゲッベルスボルマン共同署名になる明確な内容第3号電報デーニッツところに到着した。ここではヒトラーの死事実初め明らかにされるとともにヒトラー遺言概要伝えられていた。デーニッツはここでヒトラー死に自身大統領就任発効したことを知った。この第3号電報ではヒトラー遺言首相にゲッベルスナチ党担当相ナチ党党首)にボルマン外相オランダ総督ザイス=インクヴァルト指名されていることも通知された。 デーニッツ第3号電報受けてドイツ国民ヒトラーの死と自らの後継者就任公表することにした。午後9時半ハンブルク放送の特別報道でヒトラーの死発表され続いて午後10時15分にはデーニッツ自身ラジオ演説行いヒトラーベルリン戦死したこと、自分ヒトラーから国家元首国防軍最高司令官としての職責託されたことを報告自分は「英、米、ボルシェヴィズム戦い続け意思」を改め表明し、さらに「ドイツ国防軍指揮し守り戦い続ける。(中略)私の任務押し寄せる共産主義たちによる破滅からドイツ人を救うことであり…来るべき苦難の時代に力の及ぶ限り耐えうる生活条件作り出す努力をする…私を信頼してもらいたい諸君の道すなわち私の道である…」と国民協力求めた。ただ、デーニッツ署名肩書き海軍元帥大提督)とだけ記された。なお、ヒトラー実際に自殺であって戦死ではないし、デーニッツヒトラーの死様子詳細知らされてはいなかったけれども、あえて「戦死」としたのは、総統ヒトラー軍人らしい死を遂げた脚色することによってドイツ軍忠誠心つなぎとめる狙いがあったと考えられている。 ヒトラー遺書は3通作られて総統地下壕から外部デーニッツ宛、陸軍総司令官任命され中央軍集団司令官フェルディナント・シェルナー陸軍元帥宛、ミュンヘンナチ党文書館宛)に送られたものの、いずれも輸送途上隠匿されてしまい、デーニッツはその全文を知ることができなかった。デーニッツ第3号電報知らされヒトラー遺言による閣僚任命(ただし、デーニッツは全閣僚リスト知らなかった)に驚いたが、出来るだけ沢山の人間救いつつ戦争できるだけ早く終結させるための交渉極めて重荷になる人事を「ヒトラーの死後の命令」として無視することを決意しルートヴィヒ・シュヴェリン・フォン・クロージク財務相閣僚首班首相代行)に指名し組閣依頼した。なお、デーニッツ身辺警護隊としてフォン・ビューロとアリ・クレーマーを指揮官として水兵による陸戦隊編成されたほか、潜水艦隊司令長官のフォン・フリーデブルク大将2月1日付に遡及して海軍総司令官任じた一方5月1日ゲッベルスベルリン総統地下壕において自殺したデーニッツ政府合流することによって自らの権力維持することを狙っていたボルマン総統地下壕から脱出したものの、逃亡失敗してベルリン市内で自殺した5月3日新政府拠点フレンスブルク郊外のミュルヴィク(ドイツ語版にあったミュルヴィク海軍兵学校移したこの際軍需相アルベルト・シュペーアヒムラーはともにバート・ブラムシュテットへ一時疎開している。 5月5日、「フレンスブルク政府」は初閣議開いたまた、同日ヒムラー150人あまりの側近連れて合流しゲシュタポ解体に手をつけたが、この際SS隊員等の身分偽証工作行ったとされる5月6日デーニッツシュレスヴィヒ=ホルシュタイン州最高責任者としての大管区指導者ヒンリヒ・ローゼ解任17時には入閣望んでいたヒムラーと、東部占領地域相のアルフレート・ローゼンベルク全ての職務から解任したほか、ヒトラー内閣司法オットー・ティーラック生死不明であったゲッベルス解任した。これらの解任は、フレンスブルク政府連合国によって容認されやすくするためとも生え抜き党幹部在任新政府障害となった事などが理由であるとされる

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